李登輝先生(元・中華民国(台湾)総統)会見記(2)
「最高リーダーの条件」

エデュース
代表 原 清

ゆったり、深く腰掛けて、手ぶり、言葉、表情豊かに、時には独り言のように語り続ける李先生。「司馬遼太郎さんは大阪外語で蒙古語を学び、私は京都で農学でした。司馬さんは満州帰り、私は台湾・高雄で終戦を迎えました。話が合いましたね、意気投合しましたね」。
「12年に亘る総統を辞めた後、長年の夢であった芭蕉の“奥の細道”を旅しました。松島では『松島や ああ松島や 松島や』を目の当たりにしました。私は『松島や 光りと影の まぶしかり』と詠み、妻は『松島や ロマンささやく 夏の海』…」。
遠くを見るように目を細めて語る先生の表情に、台湾に住む多くの人々の、今に至る深い思いと哀しみを見た。
…自らの体験を語りながら“リーダーとしてのあり方”が、心に染みていく…。


― 李登輝先生が語る「リーダーの条件」―

1、指導者がもつべき哲学

(1)公義の精神(皆のため)をもつ

「公義」、とは公の義、すなわちジャスティス(正義)のことです。私利私欲を離れて全体の幸福のために尽くすこと。その根底にあるのは、自分自身が、「人間、いかに生きるべきか」の命題に取組むことではないか、と思います。
日本の台湾統治時代は父親が警察官吏、家は商売をしており、比較的裕福でした。大切に育てられ過ぎた私は、「このままでは、完全にスポイルされてしまう」、と危機感を抱いていました。意識して、学校生活では「便所掃除をやらせて下さい」、などと志願したり、旧制中学時代は鈴木大拙の本を読み、禅修行、時に真冬の池に潜りこむ、といっためちゃくちゃなこともしました。
1988年、蒋経国(蒋介石の息子)統治の下、副総統になり、蒋総統の死去で初めて「総統」になった時から、一度として自分の権力に執着したことはありません。

 

(2)“原則”を堅持することが判断基準

心に銘ずべきは「公私の別」をはっきりさせることです。「公」、「私」とは何か。先ず、仕事を任す部下には私情で接してはなりません。私が台北市長、台湾省主席、副総統、そして総統になるまで、長い間、私を補佐してくれた秘書がいました。優れた人材でしたが国家に関わる問題を起こした時、辛い決断でしたが、即、辞めさせました。民主国家の政治家にとって選挙は極めて重要です。次の選挙に備え、支持者から形に表れる利益誘導を求められても国政は国政。この時の判断を誤ると腐敗し癒着が生まれます。身内への利益供与など、品性卑しいことの最たるもの。
政治の世界は一方で泥を飲みながら、もう一方で吐き出すようなものです。潔白でいるのは天に上るよりも難しいことです。しかし、リーダー自身が「国のため、民のため」の原則を堅持していなければ、組織は機能しません。

 

(3)「私は権力ではない」に徹する。

権力とは困難な問題の解決や理想的計画を執行するための一道具にすぎません。一時的に国民から預かったもので、仕事が終われば返還すべきものです。権力の行使は甘く、心地よいもの。だからこそ、快感にひきずられ、腐っていくのです。
1994年、司馬さんが、次の総統選には出馬しない方がよいと忠告してくれました。1996年に初めて行われた総統直接選挙に出た理由は、「台湾の民主化を更に進めるためには、もう一期するしかない」、と思ったからです。「公のため」、を自らが証明するためだ、の思いがあったからです。カリスマ的指導者が長期的な政治生命を保つことは出来ません。カリスマとは大衆の感情であり、一種の幻想にすぎません。感情や幻想は瞬く間に消え去るものです。マキュアベリの君主論にも、「民衆を基盤とする人は、砂の上に家を築くように危険」、と述べています。
指導者は国家と国民に対して忠誠心をもち、あらゆる面で謙虚でなければなりません。孫文先生の「天下為公(天下は公のため)」は、私の信念です。

2、上に立つ者の行動原理とは

(1)コンセンサス(合意・納得)を得たビジョンがもたらす力は大きい

指導者は「公のため」に、自らが高い理想と目標を掲げる責務を負っています。自らの思いや信念に基く、組織全体の未来と発展のためです。実現のためには、組織に属するメンバーの幅広い参画が不可欠です。「青写真の作成」には、組織全体のメンバーと分かち合ってこそ、共感を呼び熱意を喚起し、共に追求できるものになります。
「ビジョン(構想)」とは組織が発展する方向であり、組織の未来の理想です。繰り返しますが、ビジョンはコンセンサスを得ることを忘れてはなりません。全員共通のものに特化し、一人ひとりが理想の目標に向かって努力するように促す大きな力を生み出します。
アメリカのルーズベルト大統領は、経済大恐慌時代に「新しい政治の推進」を掲げて当選し、その後、ラジオを通した「炉辺談話」により、理念や施政プランを語ることで国民をリードし、コンセンサスを得ました。私の場合は、国連の場から排除された後の台湾で、「生命共同体」、「新台湾人」等のスローガンを打ち出しました。「精神文化と物質文明が均衡発展する現代社会」を打ち建てる、というビジョン実現するために、プロジェクトの邁進努力を重ねました。
日本の植民地時代も含め長期に亘る外来政権による統治は、台湾を主体的な意識が確立できないようにしていたのです。
悲しいことです。

 

(2)「誠実」、「忍耐力」が実現の要諦

誠実に説く、とは皆に理解してもらえない言葉は使わない、ということでもあります。
孔子は『中庸』で、「誠は物の終始なり、誠ならざれば物なし」と言い、伊達政宗も、「誠の伴わない礼などは…」と言っています。私なりの解釈を加えますと、「相手に解る言葉で説く」ではないか、と考えています。
1988年、第七代の総統就任時の言葉は、「みなさん、一緒に努力しましょう」、第八代になる時は、「中華民国の新しい時代をつくろう」、第九代就任時は、「国民の声に耳を傾けよう。民主改革を徹底的に推し進めよう」、でした。これは、「台湾のアイデンティティー」を確固としたものにすることが重要である、と考えたからです。指導者として、新しい方向を示し、実行しようとする時に、大切なことは、「お願い」の姿勢。
「誠」は「愛」であると思っています。

 

(3)「知識」や「能力」を越えて求められるもの

現在の日本社会を見たとき、指導者に求められるべき精神修業が軽視されている、と思います。
洞察力をもつには、人間の能力や計算づくの利害関係を超越した発想が不可欠です。そのための“体験”として、例えば、道場で禅を組む、朝早く起きて人の嫌がる場所の掃除をする…、こんなことが、「今の指導者に何が欠けているか」、の問いへの答につながるヒントではないでしょうか。日本には学者の友人も多くいますが、多くの人は勉強のための勉強に終わっています。大事なのは、現実を見つめ、問題点を認識し、「日本をよくしたい」という信念をもって、自ら社会に問いかけることです。私が京都帝大で学んだ時も、又、多くの日本人が明治以降、外国で学んだ時も、同様に、「自分の国をよくしたい」の一念であったはずです。
大事なのは「信念」であり、自らに対する「矜持」(プライド)です。

 

尊大さなどみじんもなく、モノ知り顔に喩すわけでもなく、淡々とそして熱く語る先生に私のこめかみは疼く。国家・企業と、組織の単位は異なってもリーダーとしてのあり方は、同じ軌道の上に在る。
(李先生の話と、著書“最高領導者”【台北 允晨文化社版2009年】を参考に構成しました)

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