テレビ・ドキュメント番組作りの面白さ(3)
日中国交回復記念スペシャル ドキュメント フジテレビ「中国大秘境」前編

株式会社マークワン
プロデューサー
永堀 徹

私のプロデューサー人生の中で、「中国大秘境」は最も辛い思いをした作品だけに、一番思い出深い。

1、プロデュースの始まり“道を拓く”

この企画は、大手の広告代理店に勤める私の友人との茶飲み話から始まった。
「登山者たちで作る日本ヒマラヤ協会という組織から頼まれて、テレビ各局に持ちかけたが、何処の局も全然興味を示さない企画があるが、君に興味があるんならあげるよ」
と、手渡された数ページの書類に眼を通した。その内容は、四川省、雲南省の指定された未踏峰の登山を許可するため、その偵察隊を歓迎する、という中国登山協会の許可書が添付された53日間の日程表であった。雲南省、四川省の大半を踏破する移動距離だけでも7000kmにも及ぶ気が遠くなるような内容である。しかもこのコース上のほとんどが、標高1500m〜3000mからなる雲貴高原に位置する雲南省と、5000〜6000mの山脈が幾重にも連なる横断山脈を有する四川省で、このエリアは、多くの少数民族が暮らす大秘境である。日本とほぼ同じ総面積を有するこの偵察エリアは、未開放地区と指定された取材撮影禁止区域であり、若しこの企画が実現するとなると、初めて外国のカメラが入ることになる。このルートには垂涎の名所史跡が数多くある。何段もの瀑布で繋がる渓流と湖からなる風光明媚な九寨?、世界一数多くの鉄橋とトンネルを有する西南シルクロード上の成昆鉄道、中国一美しい秘境の街といわれる古都・麗江、パンダのふるさと臥竜と二千年前、成都盆地の穀倉地帯を守った都江堰、飢えと寒さの「長征」で、人民軍が何万人と犠牲になった松藩草地など話題の場所は枚挙に暇がない。しかし、これだけでは番組にならない。大きな縦糸となる構成ができないものかと、ヒマラヤ協会専務理事の稲田定重氏を訪ね、いろいろ話し合った結果、興味ある事実がわかってきた。

2、日本人パイオニアと西田敏行さんとの出会い

中国の大秘境といわれるこの一帯を、明治30年代に日本の僧侶や冒険家たちが四川ルート、雲南ルートからチベットに向かっていた。当時、本来の仏典「大蔵経」はチベットにしかないといわれ、日本の冒険僧たちが、競ってラサ入りを試みた。その中で一際注目を引いた人物が、能海寛という島根県金城町の浄蓮寺のお坊さんである。明治元年生まれで慶応義塾に学んだインテリ僧侶である彼は、英語、中国語、チベット語、サンスクリット語をマスターしていた。チベット仏教を求めて新婚3ヶ月目の新妻を浄蓮寺に残し、長い年月を費やしてチベット・ラサ入りを試みる。追剥ぎに遭ったり、金を盗まれたり、チベットとの国境で官憲に見つかり何回も追い返されたりしながらも諦めずにトライする。しかし、とうとう雲南省の麗江付近でその日記は終わっていて、消息は絶たれてしまっている。彼が何度もチベット入りを試みたそのルートが、正に今回の取材コースそのものなのである。これで企画構成は見えてきた。能海寛の足跡を追う中国大秘境の旅番組にすればよい。日中国交回復記念の節目に当たる。しかし、地味な番組になってしまう一抹の不安はある。視聴率アップを狙わなければならない。能海寛の写真をじっと見ていると誰かに似ている。そうだ、西田敏行さんだ、ということに気づき、早速、NHKでドラマ収録中の西田さんを、NHK西口玄関近くの喫茶店で、四時間以上も待って出演依頼をお願いした。映画、テレビに引っ張りだこの彼が、OKサインを出してくれるかどうかが心配ではあったが、ここは神に祈る他ない。
「能海寛(のうみゆたか)になった気持ちで彼の足跡を追っていただきたくスペシャルドキュメントに是非出演して欲しい、これは西田敏行さんしか居ないのです」
と、言うと、しばらく考えていたが、
「判りました。やりましょう。まだ中国に入ったことがないので、いつか行って見たいなと思っていたんですよ。
面白そうじゃないですか」
と、承諾してくれたときは、正直言って嬉しかった。
後に、「この中国ロケの辛い体験が、大作映画〈敦煌〉ロケに大変役に立った」と西田さんは語ってくれた。次の日、広島経由で中国山脈の山懐の集落にある金城町波佐の浄蓮寺に、能海寛の子孫を訪ね、「能海寛遺稿集」や当時雲南、四川から送られてきた山中で書かれた日記や風景画やメモを見せていただいた。また中国ロケの資料として一部お借りし、大いに参考になった。
スタッフ編成も手早く済ませ、フジテレビの編成部長・村上光一氏(後のフジテレビ社長)に出発の挨拶に行くと、
「大丈夫かねえ、本当に取材できるんだろうね」
と、いささか心配のご様子だったので、
「大丈夫です。中国人が好む言葉に、『出来ることはできない、出来ないことはできる』、という格言があります。これはまさに、出来ないことはできる、という部類です」
などと、判った様な判らない様な事を調子に乗って言ってしまったが、中国ロケのスタートでは、予想もしていなかった大変なアクシデントに追い込まれてしまった。



●この一帯は標高2,500m。
〔雲貴高原(雲南省)にて〕



●スタッフ一同と。
〔金沙江(四川省)にて〕