現場から見る「今どき学生と大学のあり方」は

久留米大学文学部教授
飯田 武郎

長年教師をしていてよく思うのは、どういう時代になっても非常に出来のいい学生は1〜2割程度はいるということ。そういう学生はあまり手がかからないので、放っておいても自分で問題を解決していく力をもっています。しかしその他絶対多数の学生は、教師が指導しなければ怠けてしまいます。後者の学生をどのように鍛えるかで、大学の教育的評価や質が決まってくるのでしょう。

今どき学生の二大特徴

最近の学生を見ていて特に感じるのは、自己表現力に乏しく、協調性に欠ける傾向が強くなっている、ということです。教室で質疑応答の時間を設けても質問すらしようとしない、できない学生がいるのです。この種の学生は、はじめから言葉のやり取りをしようとする意思をもっていません。これでは質疑応答にならないし、意思疎通を深めることもできません。また、質問を投げかけても、ぼそぼそと言うだけで自分の表現力を駆使して自分なりの答えを返そうとしない学生も目に付きます。いずれの場合も自己表現力が乏しい証しです。
もう一つ、協調性の欠如も大きな問題です。自分のことに関心はあっても、人と協力して何かをしようとしたり助け合おうとしたりする姿勢に乏しくなっています。昔はクラブや同好会に入ったりして、仲間と力を合わせ、仲間と共に活動をすることが普通でしたが、最近ではそういうことが一般的でなくなってきました。目立った傾向は、アルバイトにだけは熱心だということかもしれません。クラブ活動はしなくても、アルバイトをしている学生は非常に多く、学生生活の時間を割いています。アルバイトでお金を稼ぐことはできても、クラブ活動などによって培われる仲間との連帯感や協調性を得ることはできません。協調性を身につけておかなくては卒業後、社会に出てから大変困るのではないかと心配します。

求められるのは教育の質的レベルアップ

自己表現力が乏しく、協調性にも欠ける学生が多い現実の中で、大学はどうしたらいいのでしょう。大学が相変わらず大教室でのマスプロ教育でお茶を濁しているようでは、これからは生き残れません。教育の質を高めていくしかないのです。
先ず第一に、大講義形式の授業は時には必要かもしれませんが、1人1人の学生を育てるためには、できるだけ少人数形式の授業形態を多く取り入れ、そこで自己表現力を高めるためのさまざまな試みを行い、学生に質問力、応答力、意見発表力などの重要性に気付かせることです。
このような口頭の自己表現だけでなく、文章表現においても的確に自己表現ができるよう指導することが欠かせません。まとまった文章を書けない学生が多いのです。入試で○×形式の問題が多く出され、受験生はそれに対処する勉強が主となり、文章形式で答える練習をあまりしていないので、そうなるのは当然の成り行きかもしれません。大学が入試で文章形式の問題を出さないところに大きな落ち度があるとすれば、入学後は学生たちにさまざまな形で文章表現力をつけさせることが大学の社会的責任です。そういう練習を充分にさせないで卒業させると、文章もまともに書けないような大卒者が多数、社会に送り出されてしまいます。それは社会的損失でもあるはずです。
次に協調性については、例えばゼミならゼミで全員が何らかのテーマについて討論するような場合、教師が全員に積極的に参加するよう指導することによって自然と協調性を身につけさせることができるはず。誰にも疎外感を味わわせないようにすれば、全員が共通の目標に向かって議論を展開することができます。そういう形によっても協調性を育てることができるのではないか、と思います。

 

このように学生1人1人をきめ細かな教育で鍛えていけば、学生全体の自己表現力も協調性も徐々に育てられ、卒業後彼らは、社会のなかで必要とされる一員として考え、表現する力が身についていくのではないか、と考えます。