抽選で参政員を決めてはどうか***
参政員制度において、「任意に参政員登録できる」のではなく、「抽選
による参政員」はどうかというご提案がありました、それについて「司法改革ヲ
タ1号」さんのお考えが理路整然と思いましたので以下に転載します
抽選による直接参政というのは、本人の意思がどの程度のウェイトを占める
のでしょうか? 例えば、直接参政希望者が参政員の定員を上回った場合に、
抽選で決めるのなら、筋が通るし合理的だと思います。しかし裁判員のように
無作為に抽選というのは、筋が通らないのではないでしょうか。
裁判員制度は、司法手続きへの国民の関与によって、国民の地位を単なる
「被統治者」から「統治の主体」へと転換するとともに、司法判断にも国民の
健全な常識を反映させ、立法権・行政権の事後的チェックを担当する司法権に
対して、独善に陥ることを防止する機能が期待されています。
これに対して、参政員制度の参政員は、もっぱら代表民主制による
意思決定が国民意思から乖離することを防止する機能が期待されると思います。
なぜなら、代表民主制であっても国民が統治主体であることには変わりはない
(すなわち「正当性の根拠」)から、直接参政員はいわば「市民モニター」の
ような役割を担うと考えられます。
このように比較すると、「司法への市民参加」は個々の参加者たる国民に
「ナシオン代表」的機能も期待され、「立法への直接参加」は個々の参政員が
文字通り「プープル主権者」として権能を行使する、と対比できると思います。
したがって、裁判員は「義務の遂行」と捉えられますが、直接参政員は100%
「権利行使」以外ではありえないというべきでしょう。
そうだとすれば、プープル主権の制度化である直接参政員を、当の本人の
意思を不当に制限する形の「抽選」で選ぶというのは、背理であると思います。
同様に考えれば、憲法改正国民投票はまさしく国民の改正権(制度化された
制憲権)行使の機会であって、改憲案の是非につき意思表示を「強制される」
いわれはありません。
14日の日テレ系「ウェークアップ」で、舛添要一が最低
投票率について「(調査会で)何度も議論したことを今頃になって新聞とかが
蒸し返している、ボイコットなんてダメですよ」と言いいましたが、
とんでもない話です。
国民が真に興味を持つ課題であれば、そう簡単に「投票
ボイコット」など成功しません。吉野川第10堰住民投票で、建設推進派が
投票ボイコットを呼びかけて見事に失敗しました。国民投票「ボイコット」が
成功するとしたら、それは国民から無視されるような改憲案を提案した国会の
落度です。
ナシオン・プープルについて少し説明します
裁判員の「ナシオン代表」的機能というのは、各自がそれぞれ「公益の追求」
のために、個人の利害や願望を超えた「全国民の代表」として判断することを
求められる、という意味を込めています。もちろん、そのような判断の基底は
各個人の経験や主観によって裏打ちされているわけで、このような判断基底の
多様性が客観的で公平な判断をもたらすことが期待されているわけです。
これに対し、直接参政員が「プープル主権者」として権能を行使する、とは
あくまで個人の主観や利害に基づいた判断を行うことができる、という意味を
込めています。これは、立法が社会全体を規律する「ルール作り」であるから
には、利害関係のある者からもない者からも、「社会の構成員」のできるだけ
多様な意見をくみ上げることで、公平性を担保する必要があるからです。
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