懲罰的賠償制度の導入を求めています


大幅な規制緩和の前提条件として

無数の規制が日本を閉塞状況に追い込んできました。戦後政治行政が国民をリードしてきたのは事実ですが、次第にミスリードが重なり国民の信用を失墜させてしまいました。日本の現状を牛車に例えれば、政治行政は老いぼれた牛であり、先導するどころではなくヒモで引かれて後ろからついてくるブレーキとしての働きしかない状況と言えるでしょう。前橋本内閣も、公約の行革は看板の掛け替えに終わってしまいました。

情報公開法原案を見てもいかに行政の壁が強固であるかが判ろうというものです。情報の重要度、公開の是非を官僚が判断する、正に「行政情報秘匿法」であり、あのような内容なら作らない方が良いという声が正論のように思えます。しかし為替という外圧がごくわずかずつながら許認可削減を現実化し、行政もよほどオイシイものを残して後退せざるを得ない局面というのは事実のようです。

さて、許認可のシバリがなくなる、緩くなるとどういう事になるでしょうか。それは悪質企業の台頭でしょう。悪徳商法の繁茂は社会正義をさらに荒廃させます、被害にあった多くの人々、ことに若者の心から道徳、倫理などを捨てさせてしまうでしょう。愛、信頼は社会の基盤でなければなりません。悪徳企業は正に社会の富、基盤への挑戦とでも言うべきものです。悪質な企業経営にたいしては100の規制を設けたり、通常の刑法による制裁はもはや現実的ではありません。欧米にはこうした企業行動に対して「制裁的、懲罰的賠償制度」というものがあります。加害企業に保険では賄いきれない程多額の罰金を課し、企業の経営の姿勢を制裁するとともに、他の多くの企業に警鐘を鳴らすのです。100の法で縛っても抜け道というのはあるものです。しかもそうした法は社会の活力を損ないます。だとすれば100の法を準備するよりもたった一つ「制裁的懲罰的賠償制度」を用意しておく事こそが重要です。法理は厳密には、経費として計上できる保険料と、製品の改善費を勘案して、製品の改善費用よりも安い保険料の方を採用したという、人命と企業利益を天秤にかけたような行為に対して適用されるべきだというものですが、実際には火傷をする程の熱いコーヒーを出した等というような事さえ、悪質と判断されれば適用されているようです。そして今の日本は正に百鬼夜行、人を見れば泥棒と思わなければ行き抜けられないほど悪質経営が広がっているのです。

 

〜〜〜規制案〜〜〜

【政治行政の立場からは】

どこまでも冷徹な経営判断を志向したいという企業の思惑の擁護が政治行政の務めであるとして、このような倫理道徳を企業に求めようとする制度には反対の姿勢であろうと思います。正にHIVエイズの松村生物製剤課長の「企業に迷惑をかける」として廃棄命令を出さなかった姿勢こそがそれを象徴しているでしょう。私が3年前に衆参両院に対して請願し、衆院では「空洞化を促進」などという見当違いの付せんを付けてお倉入りにされた姿勢も合点がいきません。

又官僚は前例踏襲が第一の務めと考えていますから、このようなこれまでない制度には頭から相手にしようとは思わないのかも知れません。豊かな社会とは安心して生活ができることが基本でなければなりません、しかしいかにして法の隙間を潜って騙そうかという事から出発している悪質企業に、これまでの法では効果がないのです。一罰百戒の法がなければ隙間は埋めようがありません。騙される方に責任を問うのは法治国家として自らの無能を曝すことではないでしょうか。

 

【弱者の立場からは】

老後の蓄えを全て取られた、等という悲惨な記事がしばしば見られます、若者は若者で返事の仕方が不用意だったために100万ものお金を騙しとられ人間不信に陥ってしまい、犯罪に手を染め転落してしまう例なども少なくありません。

現状は大衆に賢明さを求め、社会の不正義を野放しにしているとしか言えません。

これは憲法の精神である国家の役割りの放棄と言わざるを得ないのです。即ち

「国民の生命財産の保護」をうたうのであればあらゆる場面に対応できる制裁的、懲罰的賠償制度を用意して、厳しく適用していく必要があります。

弱者に知恵と知識、責任を備えるよう指導するのは当然としても、「指導を理解できなければ、その資質が悪い、騙される事で鍛えられるのだ」というような政治姿勢であっては為政者としての責任放棄と言うべきであり、法治国家とはいいながら弱者はジャングルに置かれたものとかわりありません。

このホームページの趣旨からはずれますが制裁的懲罰的賠償制度の精神をイジメ問題にあてはめた場合はどうなるでしょうか。イジメられる方が悪い、それによって鍛えられる、そういう見方はジャングルの掟を正当化するものではないでしょうか。

イジメられた者は「一体日本に政治があるのか、社会に正義が行われているのか、人に正義心があるのか」と疑わざるを得なくなります。ついには死を選ばざるを得ない。そしてイジメた側の名は伏せられ、「前途のある若者」として処罰も殆どされません。この若者は多分、善悪について学ぶ事もなく教育の期間を通過するでしょう。こうしたことが日本中で起きていると思われます

許認可、各種の規制は見方によっては善悪、倫理を法と官僚の裁量によって判断し、日本の案寧秩序を維持しようとするものですが、時代はそうしたものが返って社会の活力を削ぐという流れにあります。善悪、倫理が外され日本がジャングルの掟に支配されるようになれば日本は再び強権政治へと回帰せざるを得なくなるでしょう。この極端から極端への移行は国民にとって大きな不幸です。

 

「このホームページの役割り」

主張しています私松峯はメカ音痴ですからこの程度 のホームページしかできません。賛同されるどなたかが各種のデーターや画像入りの立派なものを作られるまでのアドバルーン的なものではないかと思っています

「取り敢えず」

私へのメールはQ&Aに組み直しここに掲示していきます、そしてメンバーになられた方へはMaling Listのようにlogを個々にメールします

懲罰的賠償制度は米国の多くの州で施行されています。社会正義の実現の為組織を構築し啓蒙に力を入れるべきだと思いますのでご協力をお願いします

96年に衆参両院へ議員を通して請願書を提出しましたが「空洞化を促進する」というまるで見当違いの評価を付けられました。国民の血涙の請願も一官僚が数分で裁量してしまうと聞いています。まさに体制は形骸化しているのです。

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このホームページは直接間接並存政治案の案内版です。並存政治の大略ですが、政治意識の高い人は選挙権を返上して、直接参政権を得、興味ある法案に電子的に賛否表明し、議員は選挙の得票数を行使する政治構想です

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