科学の未来を語る


フリーマン・ダイソン著科学の未来を語る

転載

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核爆弾推進装置から太陽光搬送宇宙船(なんとSF的な!)まで設計した米国の 科学者であり、「宇宙船とカヌー」の主人公であるジョージダイソン(シーカヤッ ク「バイダルカ」の設計者)の父であるフリーマンダイソン。原子力関係者の不 見識を語る。(市民はみんな知っていることなんですけれど)コスト計算の話も 出てくるが米国では原子力発電はコストがあわず見放されている。

日本でも同様以下。東電社長が買電自由化について先月のインタビューで「原子 力は廃棄物と廃炉費用を入れると競争力が無いため不利である。(かわいそうだ から)平等にあつかうわけにはいかぬ」と発言していた。

フリーマン・ダイソン 科学の未来を語る 編著者 フリーマン・ダイソン著 はや し・はじめ+はやし・まさる共訳 発行所 三田出版会 本体価格 1,800円(税別) ISBN 4-89583-220-1 発行日 1998年3月5日

今日、大英帝国は過去のものになっており、そのイデオロギーは廃れている。し かし、イデオロギーによって推し進められた技術は、イデオロギーがそれほど流 行遅れになっていなくても、障害にぶつかることになりがちである。障害にぶつ かったいま一つの強力なイデオロギーが、原子力だ。第二次世界大戦後、世界中 で原子力のイデオロギーが隆盛になった。それを衝き動かしていたのは、広島・ 長崎の廃塩の中から何か平和的かつ有益なものをつくりだしたいという強烈な願 望だった。
科学者、政治家、産業界の指導者が等しくこのビジョンに魅了された。 戦争で人を殺したり、不具にしたりした新しい大きな自然の力が、今度は砂漠に 平和の花を咲かせるのだ。核エネルギーは魔法のように不思議で強力だった。
こ の魔法が世界中の貧しい人々に富と繁栄をもたらすことができると信じるのはた やすかった。すべての大国と多くの小国で、民主主義国家と独裁国家で、共産主 義国と資本主義国で、原子力がやってのけると期待される奇跡を監視すべく原子 力機関が創設された。
これは将来のための健全な投資なのだという確信のもとに、 核研究所に巨額の資金がつぎ込まれた。私は、原子力熱中時代の初期にイギリス の中心的な核研究機関であるハーウェルを訪れた。ハーウェルの初代所長は、一 流の科学者にして誠実な公僕だったサー・ジョン・コックロフトだった。コック ロフトといっしょに施設内を歩き回り、発電所から出て、私たちの頭上を越えて かなたまで延びる大旦の電線を見上げた。
コックロフトは言った。「電気がここ から出て全国の電力網に流れ込んでいると一般の人々は思っています。反対に流 れているんだと言っても、信じてくれないんです。」原子力を使って電気をつく ることは何も悪くなかったし、今でも悪いところはない。しかし、ゲームのルー ルは公平でなければならないのだから、原子力がほかのエネルギー源と競争し、 張り合うことができなけれぱ降りることを許す。失敗すれば降りることが許され るかぎり、原子力が害になることはない。
ところが、イデオロギーに推し進めら れる技術の特徴とは、失敗が許されないという点である。だからこそ、原子力は 問題になるのだ。イデオロギーによれば、原子力は勝たなければならなかった。 原子力の推進者たちは一種の信仰として、原子力は安全にしてクリーンかつ安上 がりで人類にとっての恵みだと信じていた。その反対だという証拠があがってく ると、推進者たちは証拠を無視する方法を見つけた。原子力が負けることがない ようなルールを書いた。

コスト計算のルールは、原子力発電のコストにこの技術 の開発と燃料の製造に投資された巨額の公的資金が含まれないように書かれた。 原子炉の安全性の規則は、もともと潜水艦の推進力として米国海軍が開発した型 の軽水炉が定義上、安全であるように書かれた。環境をきれいに保つためのルー ルは書かれたものの、使用済み燃料と使い古された機械の最終的処理は度外視さ れた。そのようなルールが書かれてしまうと、原子力は推進者たちの信念を固め ることになった。

こうしたルールによれば、核エネルギーは本当に安上がりでク リーンで安全だった。ルールを書いた人々に、世間を欺くつもりはなかった。そ れ以前に自分自身を欺いてしまい、自分の固い信念と矛盾する証拠を握りつぶす 習慣が身についてしまったのだ。最後には原子力のイデオロギーは崩壊した。失 敗が許されない技術は見るからに失敗しつつあったからだ。政府の助成金にもか かわらず、核エネルギーでつくった電力は石炭や石油を燃やしてつくる電力とく らべて格別安くはならなかった。軽水炉は安全だと公言されているにもかかわら ず、時折、事故が起こった。

原子力発電所がもつ環境面の利点にもかかわらず、 使用済み燃料の処理は末解決の間題として残っている。結局、世論は原子力に対 してきびしい反応を示した。推進者の主張が明らかな事実と矛盾したからだ。あ る技術がほかの技術との競争に失敗することを許されるとき、失敗は正常なダー ウィン的進化の過程の部分となり、改良につながるし、やがては成功につながる かもしれない。ある技術が失敗を許されず、それでも、失敗してしまうとき、失 敗がもたらす損害ははるかに大きなものになる。

原子力がはじめから失敗を許さ れていたら、今頃はもっとましな技術に進化し、世間の人々の信頼と支持を得て いたことだろう。自然の法則の中に、もっと優れた原子力発電所を建てることを 阻むものは何もない。それを阻んでいるのは、根深い、しかも、もっともな理由 のある人々の不信感なのだ。世間の人々が専門家を信頼しないのは、専門家が自 分たちは過ちを犯さないと主張するからだ。人間が過ちを犯すことを世間の人々 は知っている。イデオロギーに目がくらんでいる人々だけが、自分は過ちを犯さ ないと信じるという罠に陥るのだ。

米国に関するかぎり、核分裂エネルギーの悲 劇は、ほぼ終わっている。核分裂発電所を建てたいと思う者は誰もいない。しか し、もう一つの悲劇がなお演じられている。核融合の悲劇である。核融合の推進 者は核分裂の推進者が三○年前に犯したのと同じ過ちを犯している。(後略)


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