小学生のページ

ここでは小学校の校外学習や、グループ研究などでよく質問のある事柄について、まとめてみました。地域の歴史を勉強する際の参考にして下さい。



Q.「鴉の杜」(からすのもり)のいわれはなんですか?

昔、大津神社の建っているあたりまで海が入り込んで「小津の泊まり」と呼ばれる港だった頃、息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)さま、またの名を神功皇后(じんぐうこうごう)さまが、ここにご上陸になりました。

その時里人は、皆黒装束に身をつつみ、命をお出迎え申し上げたそうです。里人で満ちあふれた神社の杜の様子がカラスのようであったので、以来、「鴉の杜」と呼ばれるようになったと言うことです。



Q.戎小学校と戎神社はなにか関係がありますか?

旧戎小学校(現・泉大津市教育支援センター)が建っているところは、もとの戎神社の境内でした。戎神社が若宮八幡宮に移転合併した後に、子供たちの学問の場として小学校が建てられました。



Q.戎神社の紋と宮本町のだんじりの紋が同じなのはなぜですか?

宮本町はもとの戎神社(上の説明を見て下さい)の宮本(お宮のあるまち)であることから戎社の紋を使うようになったと考えられます。

戎神社の紋は「蔓柏(つるかしわ)」といいます。戎神社の堤灯にも描かれていますから、お参りしたときに見てみて下さい。
蔓柏(つるかしわ)


Q.上之町の児童公園はなぜ「お天王公園」というのですか?

上之町の児童公園は、もとの宇多神社の境内です。今でも上之町公園が「お天王公園」と呼ばれるのは、宇多神社の御祭神、素戔嗚尊(すさのおのみこと)さまの別名である、牛頭天王(ごずてんのう)に由来します。
宇多神社の社紋 木瓜(もっこ)



Q.若宮町と若宮八幡はなにか関係がありますか?

現在の大津神社はもともと若宮八幡宮というお宮でした。泉大津が大津町から泉大津市に変わったときに、各町の名を決めるのにいろいろな由来から名前をとりました。若宮八幡宮のあった町は「若宮町」。他にも神社に関係する町名として、菅原神社のあった「菅原町」。戎神社のあった「戎町」。神明神社のあった「神明町」。式内粟神社のあった「式内町」などがあります。

謎なのが若宮町の北隣の「春日町」です。春日といえばすぐに春日神社を連想しますが、そういうお宮があったとい
う記録はありません。
なぜ「春日町」と名付けられたのか知っている人がいれば教えて下さい。