8日目に神は創られた・・・堀米ゆず子を

- Daniel Tytgat -

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堀米ゆず子
は科学者(電気化学博士)であり、シゲティの弟子だった有能なヴァイオリニスト(父)と、マルグリット・ロン及びイヴ・ナットに師事した有能なピアニスト(母)の息子です。

私もクラシック音楽は好きでたまらないのですが、チェロとピアノをひどく下手ながらちょっとたしなむという程度で、音楽への深すぎる愛情をコントロールしながらこの非常に高い感性を表現することなど出来ません。

私の耳の感受性が選んだ一番やさしい仕事が科学であり、ハイ・レヴェルとは言いがたいものです。方程式の間違いがわかる人はほとんどいませんが、モーツァルトの演奏の間違いは誰にでもわかってしまいます。このことが生来の怠け心を高じさせてしまいました。

1951年(コーガン)以来エリーザベト・コンクールは誰も、何ごとも私を邪魔することのできない安息期間です:緊急の用件はめったにありませんし、あったとしてもほとんどは尋ねるのが遅すぎた質問への答えです。

こうして私はフライシャーを見い出し・・・ここに挙げませんが(私の怠慢で)他に多くの人たちを発見しました。そしてこのエリーザベト・コンクールへの勤勉さが報われる1980年がやってきました。すでにセミ・ファイナルで私の感性は目覚めさせられたのです。22才の日本人女性:堀米ゆず子のために。

神聖なバッハとイザイの第2ソナタ、特筆すべきはまるで映画の中でカルメンが踊るのを見ているような激しいカルメン幻想曲。

私はプログラムのこの候補者のところに即座にアンダーラインを引き、彼女の最終審査の日は絶対時間をあけておくぞと、固く決意したのでした。そして最終審査になりました。私は全ての録音機器を用意しました。神よ、感謝します、これは報われました。

このアーティストを聴くのは神々しく優雅な体験でした。非凡なファン・ロッスム、 ブラームスのソナタ1番はこんなにすばらしいのを聞くのは初めてでした。(私の家内は別の用事をしていたのですが、堀米ゆず子を聞いてすぐ中断してしまいました。こんな反応を引き起こすのは異例のことです!!) J-C Vanden Eynden (ピアノ)と共にブラームスの解釈者の最高峰に達した、めったにない音楽的瞬間でした。その後これほどの演奏は聴いたことがありません。そして次にシベリウス。

しかしなんというシベリウスでしょう!いかなる困難な技巧(スタッカート、オクターブ、アクロバティックな跳躍)を用いても音の完璧な正確さ(または確実さ)に影響を与えることはありませんでした。アクロバット・・・誰もがそれを知っていますが、ここには騒々しい妙技(簡単に大衆受けする)はなく、完璧な、比類なき音楽性がありました。第2楽章ではオイストラフのみが同じように私を感動させてくれましたが、第1楽章と第3楽章で堀米ゆず子は巨匠ダヴィッド・オイストラフを上まわりました。おびただしい数の比較盤を聞いたあと雲の上に祭り上げていたダヴィッド・オイストラフの同曲は玉座から転落してしまいました。

私の記憶によれば1959年のラレドの演奏がダヴィッド・オイストラフ版と比肩しうるものでした。

この協奏曲は偉大なヴァイオリニストたちの多くのバージョンを聞いてきましたが、このときから私のCDコレクション(dBXシステムで生録音したもの)の「不可侵」となったこのバージョンに匹敵するものはありません。しかも彼女が弾いていたのはジョヴァンニ・バッティスタ・チェルッティでしかなく、アマティ、ストラディヴァリ、グァルネリといった有名ヴァイオリニストの使っている楽器からは相当劣るという事実にもかかわらず。

コンサートがあると発表されたとき、このアーティストを聴ける機会を逃してなるものかという、めらめらと燃える決意が生まれました。

正直いって、全ての演奏がトップ・レヴェルだったとは言えませんが、私が失望することは決してありませんでした。

全てのコンサートの中で私の記憶に永遠に残るものが6つあります。

このほとんどの演奏で使われた1741年製のグァルネリ・デル・ジェズと相俟って(なんとすばらしい楽器か!しかし堀米ゆず子はこのようなヴァイオリンをなんと鳴らすことか!)、これらの一つひとつが比類なき音楽的瞬間となっています。

CDもいくつかあります。

最後に、実際に文献にあったのですがモッシェ・アツモン指揮ドルトムンド・フィルとのベートーヴェンの協奏曲をご報告したいと思います。

これらの全てのCDが、常に堀米ゆず子のお薦め最高峰でないにしても注目すべきものです。

LPも忘れてはなりません。(ブラームス・・・すばらしい)

しかしどれが私にとって最高のものでしょうか?1989年フルぺ城のコンサートでPascal Sigrist と演奏したバッハの BWV 1004 がそうです。 このCDは商品化されていないし、商品化され得ないものです。音楽愛好家たちにとってどのバージョンもこれに近づき得ないことは残念なことです。もし私が無人島に行くなら多分このCDを持っていくでしょう。

私はこの賛辞によって、プロデューサーたちがこのようなすばらしいアーティストにもう少し注目するという効果を発揮できれば、と思います。彼女は疑いなく、プログラムの中で、またCDについてメディアや販売店で熱烈な文章を書かれている他のヴァイオリニストたちよりはるかにすぐれているからです。


Daniel Tytgat (dan.tytgat@base.be) 

 (訳:古瀬明子、原井博子)


This page is written by Daniel Tytgat. Uploaded on July 12, 2000