■■■ニコライ・ルガンスキー■■■

バイオグラフィー

by Valour


ニコライ・ルガンスキー
ニコライ・ルガンスキーは1972年4月26日、科学者の家庭に生まれた。 5才のときに、両親を驚愕させるような彼の内なる音楽性が姿をあらわした。

「僕はピアニストになるべく運命づけられていたんです。」とルガンスキーは言う。 彼は楽譜の読み方を習う少し前のできごとを覚えていた。近所の家に行って、 ピアノの前に座り、耳から覚えたベートーヴェンのソナタを暗譜で弾いた。 そのすぐ後で彼はセルゲイ・イパトフというその隣人からピアノのレッスンを受けることになった。イパトフは伝説的ヴィルトゥオーソ・コンスタンチン・イグムノフの弟子であった。

7才のとき、彼はモスクワ中央音楽学校に入学し、アレキサンダー・ゴールドワイザーの弟子であったタチアナ・ケストナーに師事した。ケストナーが亡くなったとき、ニコライのデビューコンサートの直前だったが、ニコライはケストナーの親友タチアナ・ニコラーエワの弟子となった。ニコラーエワとは9年間勉強することとなった。この間、教師と生徒は多くの時間を一緒に音楽を聞いて過ごした。また2台のピアノのための協奏曲で共演もした。最近、インタヴューでルガンスキーはよくニコラーエワの偉大な個性と精神性について敬意を持って話している。

1988年にルガンスキーはトリビシの全国コンクールに優勝し、ライプチヒの第8回バッハ・コンクールで銀メダルを取った。

2年後にはモスクワのラフマニノフ・コンクールで第2位となった。

タチアナ・ニコラーエワとニコライ・ルガンスキー


タチアナ・ニコラーエワとニコライ・ルガンスキー
1993年の夏に、ニコライは事故で足と背中に負傷した。それから7ヶ月は練習することも、自信を持って演奏することもできなかった。その年の11月にタチアナ・ニコラーエワがサンフランシスコで演奏中に亡くなった。ニコラーエワは亡くなる直前のインタビューで、ルガンスキーがロシアの偉大なピアニストの系譜で「次なる者」になるであろうと宣言した。

この困難な時期にニコライは1994年の夏に開かれる第10回チャイコフスキー・コンクールに出場するかどうかを決めねばならなかった。彼はこの大事業に備えることが完全復帰につながるのではと感じていた。ニコライは著名なピアニストで、一時期ニコラーエワの助手を務めていたセルゲイ・ドレンスキーのもとで勉強を続けた。

あるロシアの新聞が、チャイコフスキー・コンクールのファイナルでの ルガンスキーの演奏についてこう評していた。

(94年7月5日)
「それはまるで日射病にやられたような、音楽的ショックだった。この控えめで 慎み深い若者の魂が、禁欲的かつ詩的な風貌の下にこのように霊感的に、 厳しくコントロールされた火山を内包していたとは誰も想像できなかった。」
ニコライ・ルガンスキーは1994年のチャイコフスキー・コンクールを制した。しかしそれはほんの始まりだった。彼は現在何をしているだろうか?

ニコライ・ルガンスキーは今や世界で最も優れたピアノ作品の解釈者のひとりとしての地位を確立した。ヨーロッパ、日本、そして南北アメリカでのコンサートやリサイタルは聴衆と同様批評家たちの熱狂的な支持を得ている。

ルガンスキーの数多くの録音はその芸術性の新たな証明となっている。 2000年には彼はショパンのエチュード全集の録音に対して権威ある ディアパゾン金賞を獲得した。彼のショパンのプレリュード、バラード、ノクターンの録音もディアパゾン金賞を取った。最も新しいディスクはラフマニノフのピアノ協奏曲1番と3番である。

演奏生活に加え、ニコライはセルゲイ・ドレンスキー教授の助手としてモスクワ音楽院で教えている。
音楽以外では、ニコライはチェスや文学、スポーツが好きだ。夫人と二人の子供とともにモスクワに住んでいる。


Biography by Valour. Uploaded with permission by AK, July, 2003.

[The Nikolai Lugansky Web Site] [Vadim Repin Homepage]