全国綱遊会第8回定期総会報告 PART2



【第8回】平成13年11月23日〜25日(広島市内・宮島)【定期総会】

↑PART1と微妙に人が入れ替わっています。わかるかな?↑




ワイヤロープはこんなとこにも使われています。モデルはバカでした。

さーて、いよいよ本番当日。って言うか本番までの前説が長すぎるよー。(笑)
朝一、会長から電話で起こされて、カトちゃん、俺、石川、カトちゃん、マサで朝飯を食べに行った。
とりあえず広島駅までブラブラ歩いて、明日の新幹線のチケットを買った。
それからホテル近くの市場の中のうどん屋さんに入った。
いかにも戦後の闇市から続いてるような市場の中は、
早朝のざわめきが一段落したような雰囲気だった。
かやくめしと肉うどん注文した後で「狂牛病」の件を思い出した。
でもぜんぜん気にしない。焼肉も平気で食べてたしね。
普段は朝飯は食べないんで、旅に来て食べる朝ご飯は結構おいしい。
なんてたって二日酔いがないのが嬉しい。
結構飲んだはずなんだけど、飲む前に胃腸薬をほぼ全員飲んでるんだよなあ。
それが100%効いてるとは思わないけど、
なんかそれだけで安心してしまうとこがある。
気持ちの問題なんだろうなあ。


カキ工場にいた犬。太ってるよなあ。

とりあえずみんな揃ったんで、広島駅まで最後の参加者たちを迎えに行く。
残りはサメ、高橋さん、ヤッちゃん。
待ち合わせ時間を決めて、2.3のグループに別れて待つことにした。
会長たち数人はパチンコ屋へと向かっていった。
俺はヨシキ、カトちゃんらと広島駅でタバコ吸いながら待っていた。
まずはサメが来た。ハハハ、相変わらず見ただけで楽しいなあ。
次のヤッちゃんが到着する時間まで少しあったのでみんなで飲食街へと向かった。
適当な店に入ってまずはビール!(笑)
しかし俺らゴルフ組はすでに広島滞在3日目。
こいつらと一緒に過ごす限界も近い。
グビグビ、ワイワイ言ってるうちにヤッちゃん到着!
二年ぶりのヤッちゃーん!ぜんぜん変わってないけど、ちょっといかつくなったかなあ。
でも話し出すとすぐに元に戻るのが全国綱遊会のいいところ。
ビールも結構おかわりして、集合時間になった。
みんながダラダラと広島駅改札前に集合。
ようやく最後の高橋さんが広島到着。
これで今年の参加者が全員揃った。
この団体を仕切るのは・・・幹事のヨシキ。
たいへんやなあ。(笑)


ぜーんぶカキの殻。すごい量やったなあ。

全員揃ったところで、さてどうしようか、ということになった。
予定では岩国の錦帯橋に行くはずだったのだが、移動時間などを考えて広島市内を観光することになった。
タクシーに分乗して平和公園へと向かう。
とてもさわやかな秋晴れ。観光客らしき人たちがたくさんいた。
道路を挟んで広島市民球場が見えた。
そこが原爆ドームへの入り口だった。
全員がタクシーを降りて集まると、原爆ドームへと向かった。
石碑に千羽鶴が掛けられていた。線香の煙が漂っている。
1秒前の道路の喧噪が嘘のような厳かな空気が支配していた。
今まで見たことのないようなよそ行きの顔をしたメンバー達。
56年前の廃墟が目の前にそびえていた。
何という威圧感、何という清らかさ、そして何という悲しさ・・・
この建物の上で56年前原爆が光った。
人類の歴史で初めての光がその後何十年に渡り、人々に光と影を落としてきたのは、
紛れもない歴史的事実である。
戦争が終わり、日本は経済大国と呼ばれるまでに復興した。
原爆が戦争終結の原因であるならば、多くの犠牲を払い、
日本は復活した。しかし原爆で被害を受けた人たちはその後現在に至るまで
大きな闇を背負ったまま生き続けてきたというのも紛れもない
真実であるということを決して忘れてはいけない。


地元のおばちゃん達がカキの貝殻を割ってカキの身を出している。すごいスピードだった。

原爆ドーム前でお約束の記念写真。
ゾロゾロと平和公園内を歩いていく。
いいお天気にも関わらず、やはりこの場所を歩くのには今の平和ボケした日本人には
あまりにも重すぎる。戦争での被害者たちから強烈な批判を浴びせられているような。
そのまま原爆資料館に入館した。俺は二度目だったが、前回よりも強烈な印象を受けた。
これでもか、これでもか、と迫ってくる圧迫感、
当時の広島を映したカラーフィルムのヒトコマ、ヒトコマから
視線を外せなくなった。
人間が造った街を、人間が造った原子爆弾が一瞬にして灰にしてしまう。
その恐ろしさ・・・恐怖が同じ日本人として痛いほどに胸にしみる。
どれだけ怖かったんだろ、どれたけ叫んだんだろう、どれだけ泣いたんだろう、
自分自身の心が音を立ててきしんでいる。
人間には動物の中で唯一与えられた言葉がある。理性がある。
そしてまた平和を確立するために戦うという正義がある。
その正義が本当に正義なのかは誰にもわからない。
でもそれを正義だと信じなければ、人類は進まないとも思う。
それが明らかにするのはずっと後世の歴史家なのかもしれない。


おばちゃんたちは何気ない手つきでしてるけど、実際は難しいと思う。しかし旨そうカキだった。

平和公園の正面入り口でみんなが揃うのを待っていた。
タバコを吸いながら何となくみんなの顔色が冴えない。
全国綱遊会始まって以来の静けさ。重苦しさ。
次はどこに行こうか?ということになった。会長がカキ、カキと連呼していた。
よっぽど前夜生ガキが食べられなかったのが悔しいらしい。
昨夜タクシーに乗った際に運転手が「カキなら江波(えば)がいいけん」と教えて貰っていた。
江波なら新鮮ないいカキを直売してくれるらしい。
カキはどこの土産物屋にも売っているけどやはり江波のカキ打ち場に行くのが通だ、
ということなので会長が執拗に江波を主張する。
あまりの勢いに江波行きが決定。
みんながタクシーに乗り込んだ。何となく海までは遠いという先入観があったけれど、
案外近かった。


早朝の宮島。雄大な歴史を感じずにはいられない。

タクシーを降りて近くにあったカキ打ち場に入った。回りは見事なくらい何にもないとこだった。
見学させてもらうことになり二階にあるカキ打ち場に上がっていった。
パートのおばちゃん達がすごい速さでカキの殻を割って、中身を取り出している。
まさにおばちゃん達は人間を忘れて機械(マシーン)になり、
一心不乱一定なリズムで作業を続けている。
すごい量のカキの殻が作業場の裏に機械に掛けられて粉々に砕かれている。
おばちゃん達が近くでジッーと見学しているサメに向かって言った。
「あんた外国の人かい?」
サメの目が点になっていた。おそらくサメの濃くて長い顔を見て、東南アジアかどっかの人間だと思ったんだろう。
後ろで見ていた俺は思いきり笑った。
サメが慌てて否定するんだけど、その言葉も怪しいからおばちゃんは、こいつほんまに日本人かい?
って感じだった。しゃべりながらもおばちゃんの手は止まらない。
俺だったら絶対手から血を流しながら作業するんだろなあ、と思いつつ焦るサメを楽しんでいた。
みんな適当にカキのお土産を頼んだ後で外に出た。
何にもない。バスも電車もタクシーさえも通らない。
移動手段がぜんぜんなーい!しょうがないから歩くか、ということになったんだけど、
やっぱりタクシー呼ぼうということになって電話で呼んだ。
待っている間、大の男達が中学生に戻ったように堤防などにもたれたり、うんこ座りでタバコをふかしたり。
何となく懐かしいような気持ちよさ。
個性がきつい連中だけど、その中でいることで安らぐ俺っていったい?(笑)
ようやくタクシーが来たんでそのまま繁華街まで行った。


宮島に行くフェリー乗り場。いよいよ上陸や!

午後2時過ぎくらいやったかな。
とりあえず昼飯食べようということになって、やっぱり広島焼き!ということで全員賛成。
あるビルに入ったけど、そこの二階のフロアがせーんぶ広島焼き屋さん。
お昼時が過ぎたにも関わらずわりと人がいた。
やっぱり暇そうな店と忙しそうにしている店があり、前を通るたびにいらっしゃいませーどうぞ。
というオバハンたちの呼び込み。たぶんすいている店より混んでいる店の方が味はいいんだろうけど、
こっちは10人以上の集団。分散して座るのもいやだったから、すいてる店になだれ混んだ。
座ると同時にとりあえず生ビールと全員叫んだ。
喉がカラカラだったので本当においしかったなあ。
チョウドカウンターの端に一人で広島焼きを食べている若い男の子がいた。
そのお客さんをはさんで我ら全国綱遊会の連中がズラズラと座っていた。
自分の目の前を変な男ばかりの集団の大声が飛び交ってさぞかしイヤだったろうな。
俺だったらとっとと逃げていくよ。案の定、その子もそそくさと食べ終わると出ていった。
広島焼きはとにかくボリュームがすごい。
夕食のことも考えて食べりゃ良かったんだけど、一人一枚にビール数杯飲んでるんでもう腹はパンパン。
充分に広島焼きを堪能した。で、ホテル近くまで車を取りに行き、乗用車三台に分かれて
ようやく宮島に向かうことになった。
車に乗ると疲れて眠り込んだから気が付くとすでに宮島の近くだった。
運転手さん、ごくろうさまでした・・・
駐車場はわりと混んでいたけど、何とかみんな停めていよいよフェリー乗り場へ。
腹が苦しい・・・


絵になる男・・・鮫島。かっこいいぞ!(すみません、嘘をついてしまいました)

フェリーは約10分間くらいの船旅。宮島は何でも女性の横になった姿をしているらしい。
言われてみるとそんな風にも見えたけど、なんかゴツゴツした女やなあ。
やはり紅葉シーズン。観光客が多かった。
ようやく上陸するといきなりシカがいた!
めっちゃ可愛いやんか!みんなはそうでもないと言ってたけどな。
そして着いた旅館が「宮島館」!
なんと石川裕が小学校の修学旅行で泊まった旅館。
24年ぶりに再びご宿泊!
でも当時の大阪の公立小学校の修学旅行ってのは、
伊勢がほとんどだったような気がするけど広島ってのは、
現在はあたりまえだけど当時は珍しかったんだと思う。
まあ宮島館は結構年期が入っていたけど、宴会が始まれば全国どこでも一緒!
もう場所なんて関係ない。どこでも酔っぱらえるからな。
あっ、白浜の木輪は例外やった。(笑)
とりあえず長旅の疲れを癒すために全員で風呂に入った。
いいオッサン連中がほんと修学旅行のノリ。
水かけんなよ、冷たいよう、というダミ声が浴場に響いてた。
他の客がいてなくて良かった・・・
お風呂でわいわい騒いだけどぜんぜん腹が減らないまま
午後6時に宴会開始。
今年も去年に続いてコンパニオン付き!
しかも大判振る舞いの4人!ワーイワーイ!
みんな期待に胸ふくらまして宴会場へと突入した。
ところが・・・


宮島のシカは神様の化身と言われている。あちこちにいるけど、可愛いよ。可愛いなんて神様に失礼か。

宴会場に入ってすぐに綺麗な着物を着た年配の女性(おばちゃん、もしくはババア)が
4人座っていた。明らかに仲居さんとは違う・・・4人。
まさか・・・全員にイヤな雰囲気が漂う。
顔がひきつる。しかし口には出さない。いや出せない。
せっかく幹事のヨシキがここまで完璧にしてくれているだけに、
口に出せばすべてが終わる・・・
何とも言えない空気に包まれながらも会長の挨拶で宴会開始。
乾杯!ど同時にババア達が動き出した。
やはり・・・間違いない・・・彼女らが今日の・・・
コ・・・ン・・・パ・・・・・・・・ニ・・・・・・・・・・・・オ・・・・・ン・・・・・・・・(ガクッ)
あー、神様僕たちがどんな悪いことをしたのでしょうか!
よりにもよってこんな遠くまで来てババア相手にお酒を飲むことになるとは。
しかも図々しい。「喉乾いてたのよ」だって。
「小便でも飲んどけ!」という叫びたい気持ちをクググッとこらえて
宴会は始まった。大人になったな。俺も。




連休とあって朝から厳島神社は人出が多かった。肝心の紅葉は見なかった・・・

酔いが回るに連れてコンパニオンのババアも気にならなくなる。
「お兄さんたち料理ぜんぜん食べないね」
と言ってたけど食べたくても食べられない・・・恐るべし広島焼き。
なかなか消化しきれない。
酔っぱらっておばさん達を口説こうとする暴走野郎は出るわで全国綱遊会らしくなってきました。
恒例の近況報告では正幸が「ボクにも春が来ました」と報告。
「だから村田くんとは遊べません」って、俺はいずれにしろひとりぼっちかい!(笑)
カラオケもないし、遊ぶところもない、神聖な島でしょうがないからお酒ばっかり飲んでしまった。
お銚子いちいち言うの面倒だから、一升瓶で持ってきてよ、と言うと
なんと車座中央にドーンと、紙パック!
か、紙、パック?しかもお徳用2リットル(笑)!
広島まで来て紙パックだぜ。大阪でも飲んだことないって。(笑)
でもみんな関係なし。酒さえあれば、ということで。
で、久しぶりに古今東西に、ドビンチャビンして笑った。めっちゃ笑った。
興奮冷めきれないうちに場所を部屋に移動。
狭い部屋が暑苦しさでいっぱいになった。


何回もテレビなんかで見たけど初めて見た有名な厳島の鳥居。

古今東西で笑ったのは、やっぱりカトちゃん。
自分で出題した県庁所在地でいきなり「浦和!」って言うんだもん。
合併して「さいたま市」になったばかりやのに。
しかも自分で住んでいる場所やのに。(笑)
追加の紙パックも飲み干して、部屋にあるアルコールを飲み干したときにはボチボチ脱落者も出てきている。
せっかくやからマージャンでもやろう、とマージャン組とその他組と就寝組に分かれた。
今年の全国綱遊会も終わりが近づいている。
毎年思うけどなんとも言えない寂しさが募る。
だから少しでも遅くまで起きていたい。その気持ちは強い。
結局マージャン組が寝たのは4時近かったかな。
そしてこの長かった旅も最終日を迎えた。




シカにはまった。エサを上げたら手がベトベトになった。でも可愛い。

翌日は厳島神社をお詣り。朝早くにも関わらず人出が多い。
ブラブラと軍団たちがそぞろ歩く。
シカが観光客達を見守っている。
朝の日差しと肌寒さが、神社の威厳を盛り上げているようだ。
こんな離れ島によくもこんな立派な神社を建立したもんだ。
凛とした空気が紛れもなく漂っていた。
手を合わせた後、ロープウェイに乗って紅葉見ようか、って話しになったけど
結局止めて、シカに煎餅を上げた。
参道に並ぶ土産物屋を見て見て回った。
予定よりずいぶん早くにフェリーに乗って、宮島口まで戻った。
おつかれさま・・・そこで適当に別れて来年の再会を約束しながら、
それぞれが広島を後にした。
幹事、ごくろうさまでした。


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