社長の全国出張事件簿その4


暮色の古都金沢はいらんかいね編






「能登はいらんかいね〜ふるさと能登はよう♪」

 思わず口ずさみながら僕は香林坊109の前に立っていた。

 香林坊は片町と並ぶ金沢の繁華街である。

 腕時計を見ると午後8時を10分ばかり過ぎていた。

 くそっ、一人待ちぼうけで鼻歌うたってる、なんて間抜けや。

 いやいや昔梅田で3時間待ったことのあるこの俺や、たかが10分くらい。

 そやけどここはビシッと言うとかなあかん。ビシッと。

 20分くらい過ぎてようやく夕子(仮名)の姿が現れた。

「ごめん、ちょっとミーティング延びてしもて」

 ううっ、その声であやまられると・・・・・・。

「いや全然待ってへんよ」

 僕は足もとに捨てていた煙草を踏みつぶしながら夕子に笑顔で答えた。

「のど乾いたあ!早く冷たいの飲みたいよ」

「そうやなあ、今日は特にムシムシするしな」

「一端ホテルに帰ったん?」

「うん。6時くらいに戻ってベタベタして気持ち悪かったからシャワー浴びて来た。それから我慢してるからもう喉がカラカラや」

 僕と夕子は香林坊から片町へとブラブラ歩き出した。

 夕子の馴染みの居酒屋に腰を落ち着かせると、一気に生ビールを飲み干す。

 プハアー、二人同時に満足の声をあげた。

「おいしい!生き返ったね。わたしも今日は仕事終わってから水分とってなかったから。すみませんおかわり2杯!!」

 夕子はたぶん自分がそうすれば可愛く見えるのだということを充分知っているかのように、その大きな瞳をクルクルさせながら笑った。

 夕子はその時21歳になったばかりだったと思う。

 生まれも育ちも金沢市内の女の子で昼はスイミングスクールの先生をしており、夜は片町のラウンジ「ミッシェル」で週に3日アルバイトをしている。

 僕は得意先に連れてもらったそのミッシェルで夕子と知り合った。

 しかし我ながらワンパターンではある。

 出張ですぐ帰ることをいいことに酔っ払っては、今度ええもん食べに連れていっちゃるといいかげんな約束を繰り返していたのだが、前回出張時半ば強制的に次回は何月何日に出張に来なさい、と念書をとられたわけである。

 だから、わたし金沢全日空ホテルのディナーが食べたいと言われれば、連れていかなければいけないと覚悟していた。

 いつもより出張仮払い金は多かった。

 だから居酒屋と聞いて無茶苦茶ほっとした。

「何でも注文しいよ!」

 僕は2杯目のビールも半分一気に飲んで気分が良かった。

 古都金沢で女の子とデート、ビールはうまいし、顔がにやけっぱなしだった。

 回りから見たら情けないよな、こんな奴。

「ふうん、シラフの時の村田さん何かまじめな会社員やね」

「まじめやがな。こんなまじめな奴もめずらしいで。背中にまじめって入れ墨彫ってるくらいやから」

「だって店に来る時はいつも結構飲んでからやから。そうやね、まじめな裏に隠されている衝撃の事実!」

「昼はサラリーマン、夜の顔は悪を憎むスナイパーとかいうやっちゃな」

「いや女のパンツを盗む変質者とか」 
 
「あほ、でもまあスナイパーよりはそっちの方が可能性は高いな」

「仕事の方はどう?忙しい?」

「まあな、儲かれへんけどバタバタしてる。ほらまだ新入社員やからな。何でもせなあかん」

「でもね、男はやっぱり仕事なんよ。仕事してる姿ってとっても素敵やもん」

「仕事せなごはん食われへんからな。働かざるもの食うべからずや」

「村田さん今歳なんぼやった?」

「おまえな、もう2年近くもつきおうてんのにわからへんか」

「そやかていつも聞いても、僕3歳とか、今年で米寿とか、わけわからんことばっかり言うからほんまの年は知らんもん」

「ははは、そうやったか。本当はきんさんぎんさんより若い」

「わかってるって」

「今年で28になった。芸能界で言うたらマッチと同じや」

「別に言わんでもええって。そうか、そしたら24って4年前か」

「なんや、その具体的な数字は?」

「24の頃って男の人は何考えてるんかな」

「そりゃ、大学出てたんやったらようやく仕事も覚え始めて来てやな、酒の味も本格的にわかりやな、そうや後学生の恋から大人の恋へと移って行くんちゃうか」

「大人の恋って?結婚を前提にとかいうこと?」

「まあ広い意味ではそういうのも入る」

「村田さんは考えてたん?24の時は」

「ちょっとは考えてたけど。でもまだ自分に全然自信がなかったからな」

「自信?仕事とか、生活力とか」

「うん。全部ひっくるめて。結婚するっていうのは、相手に対して責任がある。絶対幸せにせなあかん。子供も出来たらそれだけ責任も重くなる。まあ早い話が主に金銭的なことなんやろうと思うけどな」

「でもよく二人でいるだけで貧しくとも生きていけるみたいなこと言うけど」

「それは価値観の違いや。人によっていろんな考えあるよって。ただ俺の場合は、一緒になる限りは金銭的にも相手に余裕を与えてあげたいと思てただけや」

「今でもそう?」

「今はそれがすべてじゃないと思てる。好きなうちにさっさと結婚する方がええんちゃうかと思う部分もあるけど。ほら、今結婚どころか彼女おれへんからな。あんまりわからへんわ。うう、情けない」

「あっ、そうか去年ふられたんやったね。みんなで店で慰め会してあげたんや」

「あの時はお世話になりました」

「あの時泣いてたもんね」

「あほか、泣いてへんわ」

「いや泣いてた」

「泣いてへんて」

「絶対泣いてた」

「ちょっとだけね。で、」

「で、ってなによ?」

「夕子の彼氏は今24歳なんか?」

「えっ、わかった?」

「あほか、誰でもわかるわ。そんなけヒントもうたら。くそっ、おまえ彼氏いてへん言うてたのに」

「あれっ?妬いてんの?ひょっとしてあたしのこと好きだったりして」

「あほ、誰がモンチッチ好きになるねん」

(本当はちょっと好きだった)

「モンチッチで悪かったわよ。どうせわたしは可愛いモンチッチ。みんなの人気者」

「おまえ頭にウジ虫わいてんちゃうか。それで彼氏は金沢の男か?」

「まあね、高2の時に知り合ったんだけどね。相手は大学3回生」

「早い話が彼氏が今24やけど冷たいと。何を考えてるかわからんと」

「早いな。まあそうなんだけど、今ね東京に行ってるの」

「仕事の関係でか?」

「警視庁」

「へっ、警察官なの?」

「うん。石川県警も受けたんだけどね、なぜか警視庁だけ受かって」

「警察やったら最初寮とか入らなあかんちゃうの」

「独身のうちは絶対寮なんやて」

「ほんまか。警官やったら休みもなかなかまとめてとられへんわな」

「今年なってあたしが東京に行ったきり1回しか会ってないんよ。電話もあんまりかかってこんし」

「警官やったら俺らなんかより仕事が大変やから、彼女とかよりも今は仕事で頭がいっぱいちゃうの。特に首都東京やから凶悪犯罪もようさんあるやろうし。まあ浮気とかは心配せんでええんちゃうか。」

「そうかな。やっぱり仕事やよね。そうだとは思うんだけど、何かいろいろ考えたりして。村田さんみたいに何でも言い合える人やったらええんやけど、結構頑固で無口な人やからね。デートしてもあたしの方がしゃべりっぱなし」

「まあ、そんなに心配せんと。待つ女も結構憂いがあって綺麗なもんや。そやけど警察官やったら結婚したらやな、新妻がいきなり未亡人て可能性もたかいぜ」」

「大丈夫あたしが守ってやるもん」

「そんだけ元気あれば大丈夫や。よっしゃ、この後カラオケで歌おう!」

「本当、じゃあ今日は飲もう!何か聞いてもろてすっきりした」

「はいはい。どうせ僕はいい人だけのお友達」

「そんなに落ち込まない。はい、乾杯」

 夕子はそう言いながら僕にありったけの笑顔を見せてくれたんだけど、結構男のことで悩んでたんやろうな。けなげな。

 でもって、話しは1ヶ月後に飛ぶ。

 僕が家で屁こいて寝てる時だった。

「もしもし、あたし。寝てた?」

「えっ、?」

 一瞬誰だかわからなかった。

「あれ、わからん?北陸のモンチッチ。こないだはごちそうさまでした」

「なんや、夕子ちゃんかいな。よそいきの声出すからわからへんわな。珍しいな。電話かけてくるて。仕事の帰りか?」

「うん。家の近くの公衆電話からやの。ねえ、村田さん、」

「何?」

「こっち来る予定ないの?」

「先月行ったばっかりやしな。今のところない」

「来てほしいんよ。どうしても」

「どないしたんや?何かあったんか」

「詳しいことは直接話したいんよ。ねえ、お願い」

「女の子にお願いって言われたら弱いなあ。いつ行ったらええんや?」

「明日の夕方」

「ええ、そりゃ急やな。俺明日から東京行かなあかんねん」

「東京?そう、そりゃ無理やね。ごめんね。変なこと言って」

「どうしたんや。何かへんやで。仕事で何かあったんか?」

「ううん。大丈夫。ただちょっと村田さんしか頼む人思い当たらなかったから」

「頼む?電話で言うてみいや。聞いちゃるから」

「いいの、いいの。また近いうちに来てね。遅くにごめん。おやすみなさい」

 一方的に夕子は電話を切った。

 まあ、いいか。僕は受話器を置くと何気なく壁のカレンダーを見た。

 今は6月、梅雨入りの季節である。

 6月か、6月・・・・金沢・・・そう言えば百万石まつりの季節やな。

 何か胸騒ぎがした。夕子の寂しそうな声が耳から離れない。

 僕は時刻表を取り出した。

 翌日僕は金沢駅に降り立った。

 ちょっと遠回りの東京出張やと思えばいい。

 夕子へは昨夜あれから連絡をとり、待ち合わせ場所も決めていた。

 金沢駅は百万石まつりの飾りでいつもより派手になっている。

 観光客の姿も多い。

 駅を出ると北陸独特のどんよりとした空が僕を迎えてくれた。

 時計を見るとまだ待ち合わせ時間までかなりある。

 僕はぶらりぶらり歩いていくことにした。

 明日は朝一東京で約束があるため、あんまりゆっくりもしていられない。

 武蔵が辻の交差点を左に折れる。

 目指すは浅野川にかかる梅の橋である。

 今日はそこで百万石まつりの前夜祭といえる「灯籠流し」が行われるのである。

 金沢市内には2つの有名な川が流れており、ひとつは室生犀星で有名な犀川であり、もうひとつがこの浅野川である。

 よく雄大な犀川の流れは男性に喩えられ、繊細な流れの浅野川は女性に喩えられたりしている。

 以前は浅野川の畔にはたくさんの芝居小屋などがあり、金沢一栄えていたということだが今はその名残りは、泉鏡花の「義血侠血」の中に出てくる水芸人「滝の白糸」にしか見ることはできない。

 五木寛之の「浅野川暮色」という作品は浅野川にかかる浅野川大橋の左岸下手、待合いのつづく主計町を舞台にしている。

 僕が汗をハンカチで拭きながらようやく浅野川にたどり着いた時、すでに人々は大勢集まっていた。

 次から次へと人が集まって来る。

 浴衣を着た女性の姿も多い。

 梅の橋たもとは特に人の流れが多い。

 約束通り鏡花の文学碑の前で夕子を待った。

 時折吹き抜ける風が心地よかった。ムシムシとした湿気を吹き飛ばしてくれる。

 肩を叩かれ振り返ると夕子がいた。

 浅黄色の浴衣を着ていた。

「ごめんね。忙しいのに」
 
 ポツリとそう言う夕子にいつもの元気はなかった。

「いや、それよりどうしたんや。全然元気ないやんか。せっかくのお祭りやのに」

「うん・・・実はね」

 そう言ったきり夕子は黙ってしまった。

 二人の間の沈黙が川沿いの雑踏に飲み込まれていく。

「しかし、灯籠流しって初めて来たけど、すごい風情があってええな」

 沈黙に耐えきれず僕が口を開いた。

 黄昏が迫って来、地元のテレビ局のカメラが人々の姿と川面を交互に追いかけている。

 何かにじっと耐えているようだった夕子がようやく口を開いた。

「ごめんね」

 もう一度彼女は同じことを繰り返した。

「怖いんよ、あたし。もう胸がドキドキして。立ってられへんくらい」

「まさか俺に惚れたんちゃうやろな。わたしのためにここまで来てくれて・・・」

 僕の言葉にも夕子はにこりともせず、次の言葉を探しているようだった。

「なわけないか・・・・」

「村田さん・・・、」

「なんや?」

「あたしね、手紙出したんよ」

「手紙って警察官の彼氏にか」

「うん。灯籠流しの日にここで待ってます。来るまで待ってます。もしあなたが来なかったら、」  

「来なかったら、?」

「あたしもう待てないですって」

「ええっ!」

 僕の素っ頓狂な声にそばにいた浴衣のコギャル(たぶん)が不思議そうにこちらを向いた。

「おまえな、そりゃドラマの見すぎやで。向こうはそりゃ公務もあるしやな。俺みたいなスチャラカ社員とわけが違うで。それで何?俺はどうするの?もし彼が来てハッピーエンドになれば、俺はそれじゃ邪魔者はここらへんでって馬に乗って去って行くのか!そんなやつおらんぞ」

「だからあやまってるやない。だってひとりじゃとても来れそうになかったんだもん。迷ったんよ。村田さんに連絡するの。ギリギリまで。でも他に頼る人おらんし」

 夕子は本当にすまなそうに僕に言った。これじゃ怒れない。

 そう結局僕はいい人さ。エッチな心さえも持ってはいけないおにいさんなんだ。

「こないだ村田さんに言われて待とうと思ったんだけどもう我慢できんの。24時間ずっと彼のこと考えてたら気が狂いそうになるんよ。だから私自身もどっかでケジメつけらなとても今のままじゃ耐えられんのよ。ねえ、あたし間違うとる?」

 灯籠流しが始まった。小さな明かりを灯しながらたくさんの船が川を流れていく。

 暮色が水面に溶け込み風が暮色を闇に染めていく。

「それは夕子が決めたことやねんからそれでええと思う。誰も間違うてる、間違ってへんなんて言う権利はあらへん。それだけ夕子が苦しんで出した結論やねんから」

「一緒にいてくれんの?」

「しゃあないがな。ああ彼氏早く来てくれたら丸くおさまんのに」

「ありがとう、本当にありがとう」

「どこで待ち合わせしてんねん」

「ここ」

「そうか。そしたらちょっと見物がてら待ちましょう」

「彼が金沢でおる時は毎年一緒に来たんやけど・・・・」
 
 ひっかかり止まっている灯籠を係りの人だろうか、懸命に押し出したりしている。

 浅野川の両岸、梅ノ橋、天神橋の上は人であふれ返っている。

 夜の気配が辺りを支配するとムードは最高潮に達する。

 僕は煙草を何本も灰にしながらその幻想的な光景を見守っていた。

 いつのまにか灯籠の姿が遠くなっていった。

 人々の数も減って行き、僕たちがいる前を次から次へと通り過ぎて行く。

 今度はまつりの後の寂しさが闇の中を漂い始め、川面を滑っていく。

 人々が去った後も僕たちは待ち続けた。

 二人とも何も言わず、ただじっと立ちすくしていた。

 僕が最後の煙草を灰にした時、夕子がぽつりと言った。

「終わったね」

 それが灯籠流しを指していたのか、二人の絆を指していたのかわからないまま、僕は頷いていた。

「そうやな」

 現実はドラマのようにはいかない。

 ハッピーエンドは待つものじゃない。自分でつかみにいくもんだ。

 僕はその言葉をぐっと飲み込んだ。

 一瞬そのまま落ち込む夕子を連れてどこかに行こうかと思った。

 一緒に行こう、そう喉元まで出かかっていた。

 でも夕子の肩をポンと軽く叩きながら、

「家まで送るわ」それしか言えなかった。

「それじゃ、俺今から東京行くから。また今度ゆっくり飲みに行こう。今日はゆっくり休み」

「本当にありがとう。ごめんね。あたしのために」

「夕子、」

「えっ、」

「浴衣よお似合うてたわ。ほな」

 別れ際夕子はその日初めて僕に笑顔を見せてくれた。


後日談
あれから何年が経ったんだろう。
きっと夕子は誰かと結婚して幸せに暮らしているんだろうなあ。
あの子供っぽかった彼女が赤ん坊を抱えている姿は、
やっぱり想像出来ない。(笑)
古都金沢がテレビに映ると僕は彼女の明るい笑い声を思い出す。
僕の大好きだった笑い声。金沢は僕にとってちょっぴりせつない街である。