社長の全国出張事件簿その3

怒濤の長崎チャンポンばってん編




 あああ〜、長崎は今日も〜雨だった〜♪」

 思わず口ずさみながら僕は眼鏡橋を渡っていた。

「機嫌が良いようやね、課長さん」

 麻子(仮名)が長い髪を掻き上げながら僕の腕に自分の腕を絡ませてくる。

 
石鹸の良い香りがした。

「そりゃ、当たり前やで。とりあえず仕事のメドも付いたし、今日は思いがけず可愛い女の子とデート出来るわけやから、機嫌が良くない方がおかしいわ」

「どこまで本気で言ってるんか、わからんわ。関西の人は口がうまいよって」

「可愛いもんは可愛い。そやな、麻子は全国で2番目に可愛いな」

「昨夜も同じこと言ってたね。じゃあ1番は誰よ」

「のりピー」

「ばっかみたい。30近くになってのりピーだって」

「で、店に行く前に何か食べるか、腹減ったしな」

「うん。あたし安くておいしい店知ってるから」

 麻子とは前回出張の時、得意先に連れて行ってもらった店で知り合った。

 結構大きなラウンジでたまたま麻子は僕の隣に座った。

 良く笑う女の子で、当時流行っていたワンレングスが良く似合ってた。

「また絶対来てね」

 と言った麻子と半年ぶりに会ったのは昨夜のことだった。

 違う店でお客さんと一緒に飲んでいた。

 銅座(長崎の飲屋街)の外れ、スナックばかりが入っているテナントビルだった。

「ママ、ごめんなさい。XO1本貸してくれる?」

 ドアが開き、派手なボディコンを着た若い女が入って来た。

「ああ、かまわんよ。1本で良いの」

「はい、1本でよか。あれ?」

 と彼女は僕の顔をじいと見つめていた。

「おねえちゃん、もうちょっとでパンツ見えるで」

「ああ、思い出した。大阪の課長さんでしょ」

「げっ、!」

 いきなり飛び込んで来た女に身分をズバリ当てられ僕は目が点になった。

「あの、どこかでお会いしましたでしようか」

 パンツから敬語に素早く言葉を整えながら、僕の頭の中は凄いスピードで回転した。

「私のこと覚えてない?その顔は忘れてる顔やね。こんな美人を忘れるなんて」

「ははは、そうやね。いや、忘れてるというか、おかしいな。女の子の顔は絶対忘れへん会の会長やのにな。いやちょっと思い出した」

 って、本当は全然覚えていなかった。

「あんた、アルバトロス(仮称)でおった娘じゃろ」
 
 得意先の課長が僕より早く思い出したみたいだ。

「ほら、村田しゃん。この前来た時に行った店ですばい」

「ああ、あの時の。思い出した。思い出した。たしか名前はジャスミンさん」

「それはひとつ屋根の下です。わたしは麻子」

「そうそう、アサコちゃん。朝昼晩の朝に」

「違います。麻は麻でも繊維の麻です。相変わらず調子の良いことで」

「ははは、まあな。でも店変わったんやな。いつから?」

「2ヶ月前かな。ここのビルの2階のゴールデンバイオレットスペシャル(仮称)て店。また来て下さい。それじゃ、ママすみません」

「それじゃがんばってね。バイバイ」

「あっ、ちょっと10分経ったら外に出てきて。お願い」

 小声で素早く僕に言いながら麻子は元気良く扉を開いて出ていった。

「ほんと久しぶり。あれから全然来てくれないから。でも偶然でも会えてうれしい」

 10分後僕は麻子と狭い廊下で向かい合っていた。

「そやけど全然気がつけへんかったわ。相変わらず可愛いな。日本で2番目に可愛い」

「ほんと?うれしい。ねえ、お店寄っていってよ」

「お客さんと一緒やからな。寄れたら寄るわ」

「だめ、絶対寄って。一人でも寄って。お願い」

「そうやな。わかった。寄るわ。えーと2階のゴールデンバットセクシャルバイオレットNO1やったかな」

「おしいけど違う。ゴールデンバイオレットスペシャル。それじゃ待ってるから」

 というわけで(目の前にボディコンの女の子がいて断れませんよね、みなさん)僕たちは、その麻子の勤める店にはしごした。

 麻子の他に何人か女の子がいたけど、カウンターに座った僕たちの前から麻子は一歩も動かずよく笑い、よく飲み、よくしゃべった。笑うたびに大きな胸が揺れている。うーん。

 得意先の課長がトイレに立った時だった。

「ねえ、村田さん、いつ帰るの?」

「今日博多から来たばっかりやから明日朝から市内で仕事してもう1泊してあさっての飛行機の予定やな」

「明日の夜は予定ある?」

「別にないけど」

「何か食べに行こうよ。一緒に」

「同伴出勤か」

「まあね。じゃあ、えーと眼鏡橋知ってる?」

「知ってるよ。中島川やろ。1回行ったことある」

「じゃあ、そこに6時でどう?」

「かめへんよ。6時やな」

 ちょうど課長が戻って来たので密談は終わった。

 この日は課長に車でホテルまで送ってもらったのが午前3時になろうとする

 時刻だった。

 それが麻子との久しぶりの再会だった。

「乾杯!!」

 麻子の馴染みの居酒屋に腰を下ろした。

 五島列島のおいしい魚を食わせる店で安くてボリュームがあり、店内はいっぱいだった。

「よく来るの?」

「そう、1ヶ月に2,3回は来てるかな。結構いけるでしょ」

「おいしい、おいしい。女の子と食べてるとなおさらおいしい」

「でももっと長崎に出張来てくれらんね」

「なかなかな、ローテションがあるからな。長崎で大きな商売でもあればな」

「何にもないとこやけんね。わたしもどっか行きたかねえ」

「大阪でも東京でも行ったら麻子なら就職口なんぼでもあるて」

「えっモデルとか、タレントとか、ひょっとして女優とか。そんなあ」

「あほか、ソープ嬢とか、キャバクラとか、あと、女王様とか」

「何よ、それ、全部風俗ばかりやないの」

「結構儲かるんやぞ。風俗を馬鹿にしたらあかん。日本の将来は風俗と共にあるんやから」

「やけに風俗にこだわるね。さては私も軽い女だと思ってない?」

「ドキッ、い、いや、そ、そんなこと、ぜんぜんぜん思ってない」

「ぜんが1個多いよ。どこまで本気なんかわからんけんね。村田課長の場合は」

「田原俊彦の課長島耕作よりマシやで。・・・・・麻子、」

「何?」

「今の店あんまり行きたないんちゃうか?」

「ううん。そんなことなか。ママは良い人やし、他の女の子ともこの店来たりするんよ。ほら、わたしアルバトロスから今のとこに引き抜かれた期待の星やから」

「へえ、ヘッドハンティングかいな。大したもんやな」

「ただね、」

「ただ?」

「誰にも言わんといてよ。ママっていうのは元々関東の方なんよ。埼玉の大宮って言うたかな?」

「あるある。埼玉で1番大きな町や」

「そこから始まって流れ流れてこんな一番西の果てに辿りついてしもうたらしいわ」

「すごい流れようやな。長崎大水害並みや」

「それでようやく長崎に腰を落ち着かせたんが10年前て言うてた。そこで知り合ったんが今のパパ」 

「パパ?」

「ママの旦那さん。毎日店にも顔を覗かせるんだけどね、それが現役暴力団幹部」

「ヤ、ヤ、ヤクザ屋さん!」

「何どもってんのよ。別に店に来るだけで水割り1〜2杯飲んだらすぐに帰るんだけど、パパが入って来ただけで店の空気が変わるのよ。
 常連さんなんか知ってるもんだからみんな緊張しちゃって。私たちも空気が重くてね。パパもそれを知ってるから店に長居はしないんだけど。昨日は帰ったあとで課長らが来たから会わなかったけど」

「もちろん今日もいらっしゃるんでしょうね」

「来ると思うけど」

「あっ、僕ちょっと用事が」

「何ビビってんのよ。でもね、私たちにはとってもやさしいの。たまにはお小遣いもくれるけんね」

「しまいに愛人になってたりして」

「可能性はあるわね。わたしは違うけど岬ちゃんなんか結構パパに気があるみたいだしね。そうなればママとの三角関係になって。ママもああ見えて度胸の座った人だから岬ちゃんもパパは好きだけどママも怖い、いつまでたっても堂々めぐりやね」

「これが本当の岬めぐり」

「はいはい。さあ、ぼちぼちご出勤の時間だ」

 僕たちはグラスに残ったビールを一気に飲み干すと同時に席を立った。

 ゴールデンバイオレットスペシャルに行くと、すでに店内は盛り上がっていた。

 ボックス席が2組の若い連中で埋まっており、僕は誰も座っていないカウンターに席を下ろした。

 「あら大阪の課長さん。今日もいらっしゃいませ」
 
 ママが笑顔で迎えてくれたが、そう言えば流れ疲れているのか年のわりには笑い皺が目立っている。

 昼間見たらもっと目立つでなあ、と思いながら麻子とママと3人で乾杯した。

 パパに惚れているらしい岬ちゃんはボックスで皆にもみくちゃにされている。

 麻子とふたり、30分くらい話していたろうか、ようやく歌の順番が回ってきて僕がマイクを持ったとほぼ同時だった。

 ガチャーンとガラスの壊れる音がした。

 怒号が飛び交い、2組のグループ同士が喧嘩を始めた。

 イントロが流れ、僕は歌い始める。

「きゃあ、」

 と岬ちゃんの悲鳴が聞こえる。

 ひとりの男が顔面を強打され、後ろにソファごと派手に倒れた。

「あんたら、何しとるん!」

 麻子がカウンター越しに怒鳴った。

 誰も僕の歌なんか聞いてない。そりゃそうだ。

 それでも乱闘は収まりそうもない。

 麻子がカウンターを出て凄い顔でボックスに向かって行く。

 ママは奥の小部屋に入ったきり出てこない。

「いいかげんにしちょき!」

 麻子の大声に皆一瞬動きが止まったが、

 一人の男がその隙に相手のボディに一発入れた。

「きさま、」

 呻きながら男が振るった拳が空振りし、テーブルの上のボトルを吹っ飛ばした。

 僕の歌は間奏から2番へと入って行く。うん、今日は良く声が出てるぜ。

 その時奥の小部屋のカーテンが素早く開いた。

 ママが鬼のような顔をして立っていた。

 僕の声が裏返る。

 ツカツカとボックスに近寄っていく。

 あれ?手には包丁か?

 乱闘がさらに広がる気配を見せたその刹那。

「きさまら!ここをどこだと思ってんのよ!」

 歯切れの良い関東弁、ザクッという音とともにソファに包丁を突き立てた。

 僕の歌も最高潮を迎えようとしている。いいBGMだ。

「なめんじゃないわよ!文句があるんだったら外で私が相手になったげる!あんたらみたいなガキ、お金なんていいからさっさと出ていきな!むかつくんだよ!ガキの喧嘩はね」」

 そんなに広くないフロアーにママの声が響き、その顔には天井から照らし出されたスポットライトの光が反射している。

 おっかねえ。まさに極道の女たち。

 みんながあっけにとられて突っ立ち、僕の歌だけが間抜けに店内に響いている。

「ご、ごめん。ママそんなつもりじゃ」

「すみません。おとなしくしますから」

 僕の歌が終了してたっぷり3分は経ったろうか。

 当事者たちが金縛りの状態のまま、ポツリポツリとママに詫びる。

「わかりゃいいのよ。わかりゃ。みんなで楽しく、ねっ!」

 変わり身がさすが早く、いつものママの顔に戻りながら騒ぎは一段落した。

 麻子が戻って来て、僕の顔を見ながら

「おっかなかったね」とポツリと言った。  

「でも村田さん、良くあの状況で歌ってたね。わたしが殴られるとか、心配せんかった?」

「いやいや麻子ちゃんの顔の方が怖かった」

「あっ、パパ」

 ドアが開いていよいよパパ登場。危なかったな。

 革のトレンチコート(もちろん袖は通さず肩に掛けてるだけ)、長身にパンチパーマ、黒いサングラス、くわえ煙草。

 うつむき加減にパパは入って来た。

 もろじゃねえか。

 たしかに店の空気が変わった。

 さっきまで元気だったボックス席も宇宙の果てのように静まり返っている。

「ああ、いらっしゃい」

 ママは何事もなかったかのようにパパに挨拶した。

「水割りでいい?」

 ママの声をパパは右手で制しながら、

「いや、今夜は遅くなるから」

 ボソっと低い声で言った。

 それだけ言うとパパは座りもせずに背中を向けた。

「気をつけて」

 ママは明るい声でパパを送り出す。

「さあ、課長、飲むっちゃ」

 麻子の声とともに店の中にざわめきが戻ったのはパパが帰ってからかなり時間が経ってからだった。


 後日談

 それから長崎には約1年行く機会がなかった。

 ようやく機会が出来、店にも顔を出した。

 ママは健在だったけど、パパは3ヶ月前にピストルで撃たれこの世を去っていた。

 そして麻子は、その後用心棒兼で雇ったチーフと一緒に駆け落ちしたそうだ。

 店に借金を残したまま、本当に今の若いもんは怖いと未亡人が愚痴っていた。

 あの時のあんたの顔の方がよっぽど怖かったよ。

 僕はようやくその言葉を飲み込んだ。