司法制度改革推進本部
     仲裁検討会 御中 

                     仲裁法制定に関する意見書

 当全国証券問題研究会は、1992年2月の結成以来、ワラント・株式・投資信託など証券取引被害の救済と、投資家保護のための制度改革に一貫して取り組んできた弁護士の団体である(当研究会の活動の詳細はホームページ(http://www2.osk.3web.ne.jp/~syouken/)をご参照いただきたい)。
 現在、貴会において仲裁法制定に関する検討が行われているとのことである。しかし、証券取引被害に仲裁合意が持ち込まれれば、被害に遭った投資家がこれまで以上に不利な立場に立たされることは明らかであり、被害救済の道が全面的に閉ざされることとなりかねない。従って、仮に仲裁法を制定する場合、証券取引(証券会社と顧客との取引)は適用除外とすべきである。以下、その理由を述べる。

1 まず、証券取引において仲裁合意を認めれば、この合意によって投資家は訴権を喪失することとなる。しかし、証券取引被害の救済に関し、民事裁判の道は、奪われてはならない必要不可欠な選択肢である。
  証券取引被害は、勧誘行為の有無やその内容等を巡って事実関係が真っ向から対立するケースが多く、しかも、事実関係が確定されてさえ、単純な条文の当てはめにとどまらない踏み込んだ法律判断(違法性判断)が必要となることが多い紛争類型である。そこで、以下では@事実関係の認定における問題点とA法律判断における問題点について順に述べる。

 @事実関係については、ただでさえ証拠の偏在という前提がある上に、証券会社側は綿密な打ち合わせの上で極端な虚偽主張、虚偽証言を展開することが多い(我々が手掛けた事案でも、録音テープによりかような虚偽が暴かれたケースは少なくない)。一般投資家がこれに対抗して真実を立証していくことは容易ではなく、正式な裁判手続において全力を傾けての立証活動を尽くすことが必要となる。
ところが、仮に証券取引に仲裁合意が持ち込まれて簡易な手続で判断されてしまうようになれば、投資家側が十分な立証活動を行うことは不可能となり、ほとんどの場合、表面的には必要な書証や資料を取り揃えた証券会社側の言い分が信頼されてしまうことになりかねない。ワラント訴訟において、証券外務員が説明書を交付し、確認書を徴求したものの、実際には「後で読んでおいてください」「取引に必要なので署名してください」と言って書類を揃えたにすぎないことを立証してようやく救済された事案が多数存在することから、簡易な手続による事実認定には、投資家保護を後退させるとの危惧を抱かざるを得ない。
 A法律判断に関して言えば、10年前には、証券取引被害において投資家が救済されることなどまずあり得なかった。それがこの10年、300件を超える判例の蓄積によって、説明義務や過当取引等の新たな被害救済法理が生まれ、次第に被害救済が果たされてきたのである。たとえばワラント取引における説明義務を例にとっても、当初は説明義務の存在自体、激しく争われたし、説明義務を認めることが定着した段階でも、初期においては、ワラント訴訟においては行使期限が到来したら無価値になること及び価格変動が激しいことの2点のみを説明すれば足りるなどという裁判例も存在したが、その後判例の進化によってこのような浅薄な見解が淘汰され、説明義務の内容が深められていった。また、これらの法理もいまなお発展途上である上、次々に新種商品が開発されて新種被害(近時で言えばEB債被害)が生まれていく証券取引被害の特殊性からすれば、今後も適時の司法判断により実態に即した被害救済が実現され、そのための法理(換言すれば投資勧誘等のルール)が確立されていく必要がある。以上は、これまでに多数の被害事案に取り組んできた我々の偽らざる実感である。
 ところが、今後さらに判例理論の進化が必要な被害類型(過当取引の違法性判断、信用リスクなど)や、前例のない新種被害が生じたときには、仲裁において新たな法律判断を前提にした被害救済が果たされることは期待できない。仮にある事案について新判断に基づく解決が行われたとしても、仲裁は基本的に非公開となるはずであるから、新たな法理・ルールの形成にも、同種被害の救済にも役立たないはずである。

 無論、紛争解決手段の選択肢が増えること自体は好ましいことであり、中には簡易迅速な仲裁手続が適した事案もあると思われる。しかし、選択肢として仲裁手続があると言うにとどまらず、仲裁合意によって訴権が奪われてしまうのでは、10年を要してようやく開かれかけた被害救済の道が、再び閉ざされることとなるのである。

2 次に、仲裁機関どころか、実績ある公正な裁判外紛争解決機関が現在存在しないにもかかわらず、投資家の訴権を奪う仲裁合意を先に認めてしまうことは、本末転倒であって許されないことである。
 証券取引のような専門業者と一般顧客の間の取引において、仲裁合意が正当化されるためには、十分な判断能力と公正さが保障された仲裁機関の存在が必須の前提となることは言うまでもない。ところが、我が国では仲裁制度は定着しているとは言えず、とくに証券取引被害の分野においては、現在のところ実績ある裁判外紛争解決機関は存在しない(日本証券業協会のあっせんが満足に機能していないことは、同協会が発表している解決件数やその内容を見れば明らかである)。このように最も肝心の仲裁機関について何ら具体的な検討もしないままで、先走った立法を行い、投資家の訴権を奪うことは、投資家保護の観点から到底許されない。少なくとも、現に十分な判断能力と公正さが確保された仲裁機関が相当期間にわたって活動を行い、投資家側からも評価される程度に実績を上げてからでなければ、証券取引に仲裁合意を持ち込む議論を行うこと自体が不適当であると言うべきである。仮に現状のままで証券取引に仲裁合意を持ち込めば、証券会社側が予め用意する仲裁合意の書面において、業界団体である日本証券業協会あるいは証券業界が新たに設立した機関が仲裁機関に指定されることは確実であり、これでは被害救済の道は事実上閉ざされることとなってしまうのである。

3 投資家の、仲裁合意がもたらす不利益を理解した上での真意による合意の確保という観点から見ても、現状において、証券取引に仲裁合意を持ち込むことは不当である。
 仮に証券取引に仲裁合意が持ち込まれれば、口座開設時あるいは取引開始時等に投資家から徴求されることとなる定型の合意書面が、訴権喪失の根拠として機能することとなるはずである(約款に仲裁合意が刷り込まれることやインターネット上の同意をもって書面に代えることなど論外である)。
しかし、証券取引においては、投資家の真意によらずに書面が徴求されている実情がある。例えば先にも述べたとおり、全国で多発したワラント取引被害においては、必ずと言っていいほどリスクに関する確認書が徴求されていたが、実際にはリスク説明は全く行われておらず、ただ手続上必要であるとして確認書が徴求されていたのである。このように、形だけ説明書を交付し、確認書を徴求し、投資家が躊躇するような説明は一切行わないという手法は、今も変わらぬ証券会社の常套手段である。
 この点、仲裁合意については、投資対象商品の説明の問題以上に、投資家にとって問題の所在を意識することが困難となる。取引開始時点から紛争になった場合を考える投資家はいないし、トラブルが発生してからであっても、裁判と仲裁の相違や実態など一般投資家には全く分からないからである。そうしてみれば、仲裁合意についても、取引開始時に様々な書類とともにいつの間にか合意書面が徴求され、投資家はこのことを全く意識できないままとなることが容易に予測される。また、紛争発生後であっても、投資家と証券会社の力の差を考えれば、証券会社側が何も分からない投資家から言葉巧みに合意書面を徴求することは十分あり得ることである。

 なお、かような合意の問題については、消費者契約法によって別途対応すれば足るとの意見も存在するようである。しかしながら、裁判を提起しようとした際に証券会社から合意の存在を主張され、これを消費者契約法によって論破しなければならなくなること自体が、投資家側にとって著しい負担となる。これでは、投資家が証券会社の言うがままに仲裁手続に応じ、あるいは被害主張そのものを断念するケースが多くなってしまうはずである。また、法人といえども機関投資家ではない一般投資家(中小企業の経営者が会社名で取引を行うケースや財務部門を持たない企業が投資を行うケース)は少なくないところ、これらの者は事業者であるため消費者契約法の適用を受けることはできない。

 従って、かような合意書面方式で訴権を喪失させることはそれ自体が問題であり、投資家の真意による合意を確保できない以上、そもそも証券取引に仲裁合意を持ち込むこと自体を断念すべきである。


 証券取引被害に仲裁合意を持ち込めば、この10年間に見られた、説明義務をはじめとする証券会社に高度の注意義務を課す法理の定着・深化や、投資家勝訴判決の続出といった、証券業界にとって不都合な事態を今後は未然に防ぐことができ、証券業界をはじめとする経済界の要請に沿うのであろう。しかしそれでは、日本経済にとって急務であるはずの、一般投資家の信頼を回復し、証券市場を活性化させることは、ますますもって不可能となる。証券市場の信頼を回復し、活性化するためには、投資家保護を厚くすることこそが必要である。かような観点から見れば、仲裁合意によって、現在のところ投資家にとって唯一無二の被害救済手段である裁判の道を閉ざし、証券会社側に都合のいい仲裁手続しかとりえないものとすることは、投資家保護の要請に逆行すること著しく、論外であると言わざるを得ないのである。

   平成14年7月3日
                                全国証券問題研究会
                                代表幹事   弁護士  櫛 田 寛 一
                                幹事長     弁護士 田 端   聡
                                事務局長   弁護士  中 嶋   弘
                                事務局次長  弁護士  今 井 孝 直