真福寺仏画導場

設立趣旨

 

 真福寺仏画導場は、江戸時代の律僧である大願(たいがん)律師の遺志を引き継ぐべく設立された、仏画を専門とする仏画導場です。 大願律師は当時乱れていた仏画(仏教図像)を復興すべく、郷里の会津若松より上洛し、六角堂能満院に居を構えて活動した僧侶です。

 江戸中期ごろから仏教の衰退と共に、真言宗ではその教えの根幹の一つでもある仏画の形骸化が進み、本来の意味を失いつつありました。そんな状況を憂えた大願律師は、弟子の大成(だいじょう)をともなって上洛しました。上洛後は六角堂能満院を拠点にして、数名の画僧集団を形成し、勢力的に各寺院に所蔵されている仏画を転写していきました。大願律師の最終目的は、弘法大師が請来された正しい曼荼羅を建立することにありました。そこで、先ず正しい図様を確認するため、弘法大師在世中に建立された高雄山神護寺の赤紫綾地金銀泥曼荼羅の転写本等を校合して、原寸の下絵を制作しました。そして、この図様を後世に伝承すべく、版木に彫り起こして頒布することを願っていましたが、元治元年(1864)の幕末争乱の火災により、多くの資料を焼失し、大願自らも失明して、同年、失意のうちに他界しました。

 師の遺志を継いだ弟子の大成律師は、幸いにも外護者の援助を得て、明治元年(1868)御室仁和寺において「御室版高雄曼荼羅」を完成させました。その後、大成律師は故郷の新潟に帰り、律僧として静かに余生を送りました。このとき大成律師は、火災を免れた三千枚近くの粉本を大切に郷里に持ち帰っていました。大成律師没後、一門の最末弟の宗立(そうりゅう)は、その粉本を譲り受け、自ら奉職している京都絵画専門学校(後の京都市立芸術大学)に寄託しました。その後、これらの粉本は誰にも顧みられることなく京都市立芸術大学の図書館の最奥にひっそりと眠っていました。中村幸真は芸大在学中にこの粉本に出会うきっかけをいただき、以来、可能な限り転写を行いました。当初は単に日本画の線描を習得するためと、様々な図像に出会える楽しさとで毎日書写していました。この粉本類の本来の意味と価値を知ったのは、種智院大学に奉職してからでした。種智院大学では様々な出会いの中で、彩色の曼荼羅を制作をすることは、この大願一門の悲願を継承することではないかと考えるようになりました。

 昭和61年(1986)中村凉應は新寺建立を発願し、真言宗善通寺派真福寺の設立と同時に、真福寺仏画導場も設立しました。真福寺の山号には、大願律師の号である「無言」をいただき、無言山真福寺と命名しました。大願律師の御影は粉本の中に所蔵されていた宗立筆の白描の下絵をもとに、幸真が彩色を施し、真福寺の祖師として奉祀しています。


主管 中村凉應
  真言宗善通寺派・中僧正、真福寺住職、(有)しんぷくじ・真福寺仏画導場代表

 〔略 歴〕
    1980年、種智院大学卒業。1981~88年、種智院大学助手を経て、現在、真言宗善通寺派真福寺住職。
    1986年、真言宗善通寺派真福寺建立。同年、真福寺仏画導場設立。

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主幹 中村幸真
   真言宗善通寺派・権少僧正、種智院大学教授、日本画家

 〔略 歴〕
    1976年、京都市立芸術大学美術専攻科日本画科修了。同年より同大学専攻科助手に着任。
    その後、種智院大学講師、同大学教授(1993~2010年)を経て、現在、同大学特任教授。
    1986年、中村凉應と共に真福寺仏画導場を設立。

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 〔主要画歴〕
     ・ 三井寺円満院襖絵模写  (昭和51年、滋賀・円満院)
    ・ 両部曼荼羅       (昭和51~59年、滋賀・石山寺)
    ・ 金剛界ステンドグラス  (昭和52年、京都・六波羅蜜寺)
    ・ 准胝観音像       (昭和53年、奈良・西明寺)
    ・ 孔雀明王像       (昭和54年、京都・東寺)
    ・ 両部敷曼荼羅      (昭和54年、京都・仁和寺)
    ・ 両部敷曼荼羅      (昭和55年、岐阜・法泉寺)
    ・ 不動尊像・両部種子曼荼羅(昭和56年、奈良・成福院)
    ・ 阿弥陀堂壁画      (昭和57~58年、兵庫・中山寺)
    ・ 両部種子曼荼羅     (昭和59年、岐阜・法泉寺)
    ・ 本堂天井画       (昭和59年、和歌山・普門院)
    ・ 両部種子曼荼羅     (昭和60年、奈良・玉蔵院)
    ・ 両部種子曼荼羅     (昭和61年、兵庫・両界院)
    ・ 十二天屏風       (昭和61年、愛知・大善院)
    ・ 両部敷曼荼羅      (昭和63年、愛知・遍照院)
    ・ 仏涅槃図        (昭和63年、愛媛・光明寺)
    ・ 宝塔内部荘厳・散華   (平成元~2年、奈良・円成寺)
    ・ 伝法院流両部敷曼荼羅  (平成2年、東京・西新井大師總持寺)
    ・ 五秘密曼拏羅      (平成2年、千葉・観音寺)
    ・ 両部種子曼荼羅・不動尊像・弘法大師像(平成3年、京都・仁和寺)
    ・ 涅槃図         (平成3年、岡山・弘泉寺)
    ・ 七福神・楊貴妃観音像  (平成4年、京都・泉涌寺)
    ・ 正系現図両部曼荼羅   (平成4~19年、東京・西新井大師總持寺)
    ・ 二十八部衆       (平成5年、広島・明星院)
    ・ 襖絵          (平成6年、広島・浄土寺)
    ・ 戒壇巡り壁画      (平成9年、香川・善通寺)
    ・ 本堂天井画       (平成10年、香川・曼荼羅寺)
    ・ 阿弥陀三尊来迎図    (平成11年、静岡・玄忠寺)
    ・ 光明真言曼荼羅     (平成12年、香川・常楽寺)
    ・ 三重塔内部壁画     (平成9~12年、奈良・岡寺)
    ・ 千手観音像       (平成13年、岡山・安住院)
    ・ 当麻曼陀羅       (平成4~14年、静岡・玄忠寺)
    ・ 多宝塔内部壁画     (平成15~17年、東京・安養院)
    ・ 天井絵二面       (平成20年、奈良・当麻寺中之坊)
    ・ 釈迦十六善神像     (平成21~22年、東京・西福寺)
    ・ 写仏下絵(不動尊像)  (平成22年、京都・大覚寺)
    ・ 観音三十三変化身像   (平成22~23年、奈良・長谷寺)
    ・ 鑑真和上版本下絵    (平成23年、奈良・唐招提寺)