曼荼羅研究

 弘法大師空海は、日本に初めて胎蔵・金剛界の両部曼荼羅を請来されました。以後、日本では、この曼荼羅を根本曼荼羅として、歴史の中で転写本が代々建立され、今に至っています。この根本曼荼羅は中国の唐の時代に、弘法大師の師である恵果和尚の創案によるものと考えられています。この曼荼羅には中国の風土に育まれた儒教、道教の世界観が組み込まれています。即ちインドで生まれた仏教思想に、中国固有の思想をもって解釈した部分があります。

 近代において曼荼羅研究とは、インド思想に基づく本来の曼荼羅の姿を追求する所に重きを置いています。従って、インド・チベットの曼荼羅研究が中心になっています。中国思想の混入した曼荼羅は、あまり研究の対象となっていないのが現状です。私共の研究は、あえて曼荼羅に混入した中国思想とはどのようなものかを研究する所にあります。日本で転写されてきた曼荼羅は、ただ表面的な図像を機械的に写し取ったものであり、誤写や我田引水的なものが多いようです。残念ながら弘法大師が請来された曼荼羅は現存していませんが、大師の指導の下で建立された赤紫綾地金銀泥の両部曼荼羅が京都・神護寺に現存しています。天皇様から下賜された紫の絹に金銀泥で描かれたもので、彩色はありません。朽損甚だしいですが、歴史の中で非常に大切にされてきました。それ故に、同じ大きさの忠実な転写本が数点現存しています。江戸末期、大願律師を中心とする画僧集団はこれらの転写本を研究して、御室仁和寺においてすべての尊像を原寸大に版木に彫りおこし、大師請来の正しい図様を伝承することに心血を注ぎました。これは大願一門の悲願が正しい図像の版本曼荼羅の作成だけではなく、やはり最終的な目的は大師請来の彩色曼荼羅を復元することにあったと私どもは考えています。

 京都市立芸術大学に残された大願一門の仏画粉本に出会って以来、私共は大師請来の彩色曼荼羅の復元を心願に持ち、種々の研究を重ねてきました。幸いにも平成3年(1991)に東京西新井大師總持寺貫主・濱野堅照猊下に出会い、私どもの思いをご理解いただき、「大師請来正系現図曼荼羅の制作」の発願という大事業に取り組んでいただきました。当初、8年計画の予定でしたが、実際には15年かかってしまいました。残念ながら両部の完成を見ずに濱野猊下は他界されましたが、その後も總持寺様の厚い援助を受けて完成に至りました。そして、平成20年(2008)に大曼荼羅供法要が厳修され、その後、故頼富本宏師を大阿闍梨に迎えて、曼荼羅講伝が開筵されました。その後、濱野猊下の遺志によって、15年間の研究成果を中村凉應・幸真共著『正系現図曼荼羅の研究』(日本放送出版協会、2010年)として出版していただきました。本書は制作を通して得られた新知見を思いつくままに書き留めたため、考察が不十分な課題も残されています。今後更に研究を進めながら、長く日本で礼拝し続けられてきた曼荼羅の心を広く伝えていきたいと思います。

中村凉應


〔論文・報告書〕
(単著)「サスポール廃寺の壁画について」(『第1回ラダック調査団報告書』種智院大学密教学会インドチベット研究会、1979年)
(単著)「ラダック地方の四天王について」『第2回ラダック調査団報告書』種智院大学密教学会インドチベット研究会、1980年)
(単著)「江戸末期仏画の資料紹介」(『密教学研究』13、1981年)
(単著)「東インドの奉献塔について」(『密教学研究』14、1982年)
(単著)「奉献ストゥーパの類型と本尊」(佐和隆研編『密教美術の原像』法蔵館、1982年)
(単著)「インドの密教遺跡」(『密教の流伝』講座密教文化1、人文書院、1984年)
(単著)「経典と色―赤色考―」(『善通寺教学振興会紀要』創刊号、1994年)
(単著)「善通寺所蔵新安祥寺流曼荼羅について」(『善通寺教学振興会紀要』6、2000年)
(単著)「新安流版本曼荼羅について」(『善通寺教学振興会紀要』7、2001年)
(単著)「浄厳の新安祥寺流曼荼羅について」(『密教学』38、2002年)
(単著)「浄厳の新安祥寺流曼荼羅について(2)」(『密教学』40、2004年)
(単著)「紫綾地金銀泥曼荼羅の意味」(『マンダラの諸相と文化(上)』頼富本宏博士還暦記念論文集、法蔵館、2005年)
(単著)「江戸時代の正系現図曼荼羅」(『密教学』41、2005年)
(単著)「画家「李真」と弘法大師御請来両部曼荼羅―中国唐代における作画機構―」(『善通寺教学振興会紀要』18、2013年

(共著)「敷曼荼羅について」(『密教学』22、1986年)
(共著)「モンゴル仏教調査の可能性1―平成8年度・密教資料研究所派遣 第1回海外密教調査研究・文化班報告」(『密教学』33、1997年
(共著)「モンゴル仏教調査の可能性2―平成9年度・密教資料研究所派遣 第2回海外密教調査研究・文化班報告」(『密教学』34、1998年)
(共著)「モンゴル仏教関係文献目録(一)」(『善通寺教学振興会紀要』7、1997年)
(共著)「京都の絵仏師・中村幸真氏を訪ねて」(『大法輪』76-9、2009年9月)

〔共著書〕
『密教の世界―不動明王と荘厳―』(種智院大学、1980年)
『梵字大鑑』(名著普及会、1983年)
『総覧不動明王』(法蔵館、1984年)
『西新井大師大曼荼羅』(日本放送出版協会、2008年)
『正系現図曼荼羅の研究』(日本放送出版協会、2010年)

〔その他・仏画関係著書〕



中村幸真


〔論文・報告書〕
(単著)「画家からみた曼荼羅仏具論」(『密教学』24、1988年)
(単著)「巧みな曼荼羅の装飾紋様」(頼富本宏編『曼荼羅の鑑賞基礎知識』至文堂、1991年)
(単著)「弘法大師請来正系曼荼羅の研究」(『第1回室泉寺日原教学振興研究助成』研究概要報告書、1993年)
(単著)「曼荼羅の絵画的表現」(『密教学研究』25、1993年)
(単著)「仏画における結界の種々相」(『密教学研究』27、1995年)
(単著)「モンゴルの仏教文化」(『種智院大学密教資料研究所紀要』創刊号、1998年)
(単著)「経典と色―青色考―」(『密教と諸文化の交流』山崎泰広教授古希記念論文集、永田文昌堂、1998年)
(単著)「結界考」(『密教学研究』31、1999年)
(単著)「現図曼荼羅考」(『密教学研究』35、2003年
(単著)「中国思想からみた当麻曼陀羅」(『密教学』39、2003年)
(単著)「中国思想からみた正系現図曼荼羅―曼荼羅にみる色の古代史―」(『空海の思想と文化(上)』小野塚幾澄博士古稀記念論文集、
     ノンブル社、2004年)
(単著)「曼荼羅に描かれる「気」の表現」(『平安仏教学会年報』3、2004年)
(単著)「曼荼羅制作ノート(1)―曼荼羅と五色―」(『種智院大学密教資料研究所紀要』6・7、2005年)
(単著)「中国古代思想からみた正系現図曼荼羅―曼荼羅に描かれる植物―」(『マンダラの諸相と文化(上)』頼富本宏博士還暦記念論文集、
     法蔵館、2005年)
(単著)「曼荼羅制作ノート(2)―曼荼羅と暈繝彩色―」(『平安仏教学会年報』4、2006年)
(単著)「中国古代思想からみた正系現図曼荼羅―弘法大師と天長地久―」(『密教学研究』39、2007年)
(単著)「中国思想からみた正系現図曼荼羅―甲本と一切遍知印―」(『真言密教と日本文化』加藤精一博士古稀記念論文集、ノンブル社、
     2007年)
(単著)「弘法大師の護国思想と伏見稲荷大社」(『朱』51、2008年)
(単著)「浄厳和尚と五色界道」(『平安仏教学会年報』6、2008年)
(単著)「静慈圓先生と仏画」(『密教学会会報』46・47、2009年)
(単著)「弘法大師と聖樹橘」(『善通寺教学振興会紀要』15、2010年)
(単著)「曼荼羅と相承―五色界道の解釈をめぐって―」(『密教学研究』43、2011年)
(単著)「弘法大師と金輪聖王―真如様御影の御椅子の問題をめぐって―」(『善通寺教学振興会紀要』19、2014年)
(単著)「浄厳和尚と慈雲尊者の曼荼羅観」(『密教学研究』47、2015年)
(単著)「弘法大師御影考―秘鍵大師―」(『善通寺教学振興会紀要』20、2015年)
(単著)「弘法大師と八幡神―「互いの御影」の背景―」(『善通寺教学振興会紀要』21、2016年)

(共著)「敷曼荼羅について」(『密教学』22、1986年、pp.81-94)
(共著)「モンゴル仏教調査の可能性1―平成8年度・密教資料研究所派遣 第1回海外密教調査研究・文化班報告」(『密教学』33、1997年)
(共著)「京都の絵仏師・中村幸真氏を訪ねて」(『大法輪』76-9、2009年9月)

〔共著書〕
『正系現図曼荼羅の研究』(日本放送出版協会、2010年)

〔その他・仏画関係著書〕



中村夏葉  博士(文学)


〔論文〕
(単著)「(研究ノート)神護寺高雄曼荼羅金剛界における四摂菩薩の配置について」(『美学美術史研究論集』25、2011年)
(単著)「現図曼荼羅に関する一考察―虚空蔵院の構成原理について―」(『密教図像』34、2015年)
(単著)「現図金剛界成身会の四大神に関する一考察」(『東海佛教』61、2016年)
(単著)「現図金剛界成身会の四大神に関する一考察(二)―密教諸経軌における器界観との関連を中心に―」(『善通寺教学振興会紀要』
     21、2016年)
(単著)「現図胎蔵曼荼羅の空間構成における門の機能」(『平安仏教学会年報』9、2016年)
(単著)「現図曼荼羅に関する一考察―四印会大日如来の四仏宝冠をめぐって―」(『美術史』182、2017年)