■永草次郎(帝塚山学院大学教授)
 an interview

photoO Gallery eyes

−永草さんは、帝塚山学院大学の学内で学生さんとともに“アート・カフェ”を立ち上げておられるとインターネットで拝見しました。“アート・カフェ”とは一体どのようなプロジェクトなのでしょうか?また、そのプロジェクトに関わることによって学生の方々にどのようなことを学んで欲しいとお考えですか?

“アート・カフェ”を立ち上げたきっかけについてまずお話ししましょう。本来、ゼミでは美術史・現代美術の論文指導をしてきましたが、学生達が少し手を動かしたり体を動かしたりすることが得意になってきたので、理論と制作現場とが結びつく形として何か無いかと考えていました。

そこで、若い人たちが集まって悩みや不平不満や言いにくい意見を交わし合う空間を思いつきました。歴史的に、カフェがその役割を果たし、実際に印象派が誕生した経緯がありましたので、その空間を実現する形態としてカフェを作ることにしたのです。人が集ってアート、インテリア、アート・マネジメントの勉強が全てできる場にしようと考えました。また、当時受け持っていたゼミ生は少人数で、手が動く子たちだったことが決め手となり、実現に至りました。“アート・カフェ”は、基本的にゼミ室を変形していく形を取りました。大学のカフェテリアと営業時間が被らないようにする、勉強や将来のことで悩んでいる子達が集える場にする、授業でわからなかったところの補習授業が行える場にするなどの工夫を施し、「勉強カフェ」と名付けました。営業時間は、週一回で、水曜の16:30から18:00でした。学生と私で資金を出し合い、その資金内で運営していくよう決めました。学生達は、コーヒー豆の選定から広報に至るまで細かな仕事を行い、ゼミ発表ではカフェの歴史や文化を取り上げていましたね。先生を招待すると、得意分野のレクチャーが聞けたりする機会にも恵まれました。ただお茶を飲む場以外の役割を十分果た していたように感じます。

−実に“アート・カフェ”はコミュニケーションの場として活用されていたのですね。実際にどれくらいの期間、営業をされていたのですか?

そうですね“アート・カフェ”はゼミ学習の一貫であり、実際のカフェ作りと平行してゼミ発表も行っていましたので実質二年間営業していました。一年目のゼミ発表では、“カフェ”という共通のテーマについて全員で勉強しましたが、二年目では各自のテーマに移り、卒業論文は個々の研究に移行する形を取っていました。また、“アート・カフェ”での取り組みとしては、実際に大阪の堀江でアート・カフェを経営していらっしゃる古谷さんや作家のマムチョをお招きしてワークショップを開いたりしましたね。現在は、“アート・カフェ”は営業していません。というの も、これは、ある学年で行った実験なので、次のゼミでは実現しなかったのです。学年毎に見合ったゼミ内容を考えますからね。話は少しずれるかもしれませんが、当時、こうした美術の教養とアートが生まれる集いの場を模索しているときに、ちょうど泉北アートプロジェクトの話を持ちかけられました。大阪府の関係者とNPO法人DANCEBOXが、泉北の方で何かできないかと提案したのです。泉北アートプロジェクトでは、“アート・カフェ”を運営した彼女たちも会議に参加し、ギャラリーの展示を実際に手伝ったり、事業報告書の編集を行ったりしていました。 

アートの作り手と社会とを結びつける人材を育成する方向に大学も向かっていましたので、彼女たちにとっても、マネジメントやプロデュースを経験する良い機会に巡り会えたように感じました。そこでの話し合いは、政府から補助金が出されることになり、実際に実現する運びとなりました。会場を普通の広場だけではなく、電車の中やホームにまで広げ、また、泉北の中のひとつの町である内田町の河原で飼育されている二匹の羊にも目を向けられないかと考えました。

−河原で羊が飼育されているとは、ユニークですね。お見せいただいた「泉北アートプロジェクト−ヒツジにつながる郊外電車−アートとコミュニティの出会い平成16年度全国都市再生モデル調査事業」事業報告書の表紙にも羊の写真が使用されており、とても印象的です。

羊は、このアートプロジェクトに参加したアーティストの作品のコンセプトとなり、重要な役割を果たしました。なぜ羊が飼育されているかといいますと、土手に生えている草を食べてくれるからなのです。住民の方が草刈りをしなくてすむのですね。羊を通して内田町では、新興住宅地に住む人々が、旧来の町内会の人々と交流できていることに着目し、アートが羊と同じように、それぞれを結びつける存在になれば、と考えました。こうした幸福な内田町とは別に、一般に新興住宅地が大なり小なり抱える問題ではありますが、そこに移住してきた人々と、昔から住んでいる人々との間には大きな溝ができてしまうのです。泉北ニュータウンは、通勤する為だけの町、つまりベッドタウンと化し、町のアイデンティティはどこにあるのか、ということが問題になっていました。内田町のヒツジのような役割をアーティスト達の表現が担って移動すれば、泉北全体で旧いコミュニティと新しいコミュニティが交流できるようになるのではと考えました。最終的に、電車と羊のいる川辺を移動する形のプロジェクトに落ち着きました。調査をしていたら、井上信太さんという羊飼いプロジェクトをされているアーティストが、偶然にもこの地域の出身とわか り、不思議な因縁を感じました。ヒツジがいろいろなアーティストを呼び寄せたのですね。泉北アートプロジェクトは、ダンス・詩・美術の三部門に分かれており、私は美術部門のディレクションを行うとともに、全体のグランドデザインについて多くの提案をさせていただきました。各部門が小学生向けのワークショップを開くなど、工夫を凝らした企画が成されました。美術部門では、アーティストの選定にこだわりました。基本的には泉北地域出身のアーティストを探していたのですが、色んな境界を揺さぶるようなアーティスト・地元の人と関わりが持てるようなアーテ ィストにも協力して貰うようにしたのですよ。実際に、どのアーティストがどんな作品を作ったのかは事業報告書をご参照下さい。

−(事業報告書を実際に拝見しながら)泉北地域に羊が飼われているという特性に目を付け、その地域に見合ったコンセプトや、地域を活かすプロジェクトを考えられたのですね。中でも、荒蒔綾子さんの作品、『COLORFUL SHEEP』ではボランティアの方々と共に羊をかたどった花壇製作をされていますが、作品説明には「顔や手足の陶板は作品の近くにある市民アトリエの窯で焼かれた」とあります。完成した陶板を持ってくるのではなく、その地域にある施設などを利用しているところに興味を覚えました。“移植”ではなく、一からその地域で作りあげていく姿勢が感じられました。

そうですね、この『COLORFUL SHEEP』では町内会長が「この木を使って下さい」ととても良い木を提供して下さったり、地域の方々の協力なしには成り立たなかったように感じます。協力といいますと、石川亮さんの『全体駅設置計画』も印象的でしたね。駅の使われていない広告部分など至る所に石川さんの作品をはめこみ、「ぜんたい」駅を作りあげました。駅のプラットホームにあるベンチを美術館に持っていき展示も行いました。これはものすごく画期的なことなのですね。鉄道会社が一番に考えるのは“安全”ですから、“安全”を損なうようなことは許してはくれません。アマチュアであるボランティアがネジ回しを持って「ぜんたい」駅看板を設置するのですから、乗客の方に迷惑がかからないように関係者の指導のもと十分注意しながら行いました。今回は寛容なご理解をいただいて実現できましたが、もう一回出来るかというと難しいですね。また木藤純子さんの『鳥を隠す』という作品も許可を取るのが大変でしたよ。栂美木多駅のホームから“GardenCity”という看板が見えるのですが、その文字の両側に一匹ずつ鳥が描かれています。その内の一匹を捕獲し、美術館の展示室に閉じこめるという設定で作品が作られました。足場を 組んで鳥をはがすわけにもいかず、最終的にはビルの屋上からの作業によって鳥が見えなくなる工夫をしました。

−なるほど。泉北地域のビルに描かれた鳥が消える、とは実に面白いコンセプトですね。例えば、毎日通勤しているとき何も感じていなかったのに、ふと看板を見て「あれ」と思う人もいらっしゃるでしょう。もちろん、気付かずに過ごされる方もいらっしゃるでしょう。

そうですね。私は、皆に見て貰うように告知することを勧めたのですが、アーティストの意向で、宣伝も殆ど行いませんでした。また、許可を得るときも経営者の方の立場からすると、今までの利害を伴った話し合いとはちがって、「看板の鳥を消したいのですが、よろしいですか?」という一生に一度あるかないかという話し合いになります。これはやっぱりアートにしかできない分野であり、損得で勘定できないものです。ビジネスや様々なしがらみの中で生きている人間がいきなり詩の世界に連れてこられたかのようですね。お話ししてきたように、地域の方のご理解とご協力は不可欠な物でしたから、プロジェクト開始前にも特殊なイベントがあるという講座を地域の方々に向けて行いました。現代アートの歴史のレクチャーや、ボランティアがなぜ必要なのか、マネジメントとはどういう事かなど、ボランティア向けのミーティングを実施しました。また、町内会向けの説明会も開き、地域住民の方々の賛同を得るよう努めました。多くの人々のお手伝いを頂いて泉北アートプロジェクトは進められたのです。一方で、企画する際に、心に留めておかねばならないこともありました。今回の美術プログラムで特別に出品していただいた、福岡道雄さんの考えです。彼は、以前彫刻を通して町作りをする取り組みをされていた方でした。その経験から、アートと町とを結びつけるプロジェクトに必ずしも賛同できないとおっしゃいます。町づくりのモニュメントを作ればいいという目的によって、ご自分の作品が荒れた、という感情をお持ちで、アートと町が結びつくには様々な問題点があると警鐘を鳴らしていらっしゃいます。これは今回プロジェクトを進める我々にとって、持続的な形を目指そうという教えになりました。

−持続的な、とおっしゃいましたが、それについて詳しく教えていただけますか。

一時のイベントではなくて、それが起爆剤となって世代を超えたコミュニケーションの場がそこに生まれることを目指したのです。また、アーティストたち自身がそのイベントの中心となることも重要だと思います。例えば大阪府、堺市、和泉市などといった既存の組織ですと、簡単に結びつくようで実は難しいのです。各自治体には細かな取り決めがありますから、非常に大がかりなコミュニケーションになります。しかしアーティストやNPOなどの団体は、基本的に個人としての繋がりですから、とても結びつきやすいのです。また、現代アートは利害関係やシステムの中 に属しませんから、様々な枠を超えやすいのではないかと考えました。伝統的なアートももちろん重要ですが、様々な立場の人々が関わりやすい、未知なる可能性に溢れているものも必要かもしれません。そういう意味で現代アートが役に立っていると思います。モニュメントとしてではなく、現代アートの柔軟な思考が、制度・利害・世代の間にある緊張やこりをときほぐす薬、しかも漢方のように自然な効果の持続をもたらすものと理解されたら幸いなものでしょう。

−なるほど。これまで泉北アート・プロジェクトを中心に貴重なお話をお聞かせいただきましたが、永草さんはアートと社会における関わりから、どのような影響または展望を見出せるとお考えですか。

各地域では多岐にわたる子供向けのイベントやスポーツイベントが行われています。例えば、美術館、博物館が趣向を凝らしてイベントを行っていますね。鉄道会社もスタンプラリーを設置したり、電車見学会を行ったりと大人も子供も楽しめるものが多いです。このように、イベントが充実している都市でアート・プロジェクトを行うことは、ある意味地元の人にとってはいらないことかもしれません。しかし、現代アートという人々が最も理解しないものを質を落とさずにやってみることに、何か意義があるのではないかと考えました。盆踊りをしたり、屋台を出したりと、 既存のイベントに近いものをやればもっとわかりやすいのですが、それでは意味がありません。現代アートを持ち込むことで、何が起こるかという実験なのです。これまでのイベントと違う点は、それまで話さなかったコミュニティが話すきっかけになるということです。電車見学会を開いたならば、そのターゲットの人たちが動くことがわかりますし、それなりの成功も収めるでしょう。しかし、現代アートは無いターゲットを探さなければなりません。それでターゲットが見あたらないから全然ダメか、というとそうでもないのです。まず、第一波として少数ではありますが 現代アートを好きな人が刺激され、動いてくれます。次に表現者の熱気や情熱に惹かれて協力しようと考える人たちが動いてくれます。これまでの価値と違う枠組みが現代アートだからこそ出来る可能性があるように感じます。また質を落とさずに実行することの方がその可能性が強まるのです。もちろん失敗に終わるかもしれませんが、最初から質を下げる方向に変換していくのではなくて、コミュニケーションによってお互いが近づいて両者が変質する形が望ましいですね。良いアーティストであれば、コミュニケーションによって質が上がる場合もあります。

−アーティストによって、コミュニケーションの質が全く違ったものになるのですね。アーティストの選定にこだわられたとのお話をお伺いしましたが、その事を通して企画の重要性も浮かび上がってきますね。永草様が、企画を立てられる際に、重要視されている点や方針等ございましたら、お聞かせ下さい。

現代アートの企画で重要なのは文脈ですね。地域の土地がら、その場でしかないもの、これらをどう掘り起こしていくかを考えるべきです。例えば、有名作家の有名作品を持ってくるというだけの企画もあるわけです。しかしそこに置かれるべき物を掘り起こしていくことが大事なのです。今回のプロジェクトでは、現代アートというわからないものに、人が関わることによってその場でしかない作品に変質していくことを目指しました。この場所でなきゃいけない、というアイデンティティを見出すのは難しいことですが、現代アーティストだけではなく色んな分野のアーティ ストがその試みをしていかねばならないように感じます。
また、アート・プロジェクトは、地元の人たちがもう一回やりたいと声を上げない限り、こちらから動くようなものではないかもしれません。プロジェクトを頻繁にするのが良いのか、たまにやるのが良いのか、それとも風化していくのが良いのかは全て地元の人たちの意向に沿うべきであり、風化していくことも彼らの価値判断だと思うのです。もちろん、いろんな形で継承されていくのが望みなのですが、そう簡単にはいきませんね。

−その場でしかない作品を作りあげる試みを、続けていかなければならないとのことですね。それでは最後の質問に移ります。永草さんはメトロポリタン美術館で研究員をなさったり、大学でのカリキュラム(芸術文化海外現地講義の引率)を務めてらっしゃる様に、海外の美術館に足を運ぶ機会が多かったかと存じます。海外の美術館と日本の美術館とを比較して、日本の美術館をどのように捉えていらっしゃるかお教え下さい。

そうですね。少し前までは欧米に追いつけ追い越せで日本の美術館も発展を遂げてきましたが、今はヨーロッパとアメリカもまた空間の大きさが基本的に違います。60、70年代では、作品が巨大化し、現代美術と大きい油絵とがイコールで結ばれる時代があったために、ヨーロッパの空間が模範になったのですね。現在では日本人のスケール感とか、空間性の中でどのような作品を作るかという新しい流れが生まれてきていると思います。規模の大きさや堅固な物を真似していく時代ではないのです。日本人が自信を持って、弱さや狭さを表現と結びつける時代になっている のではないでしょうか。これまで短所と思われてきたところを日本の特質と見なして活かしていくのかなど、どのように外国に向けて日本を呈示していくのかが今後の焦点になると思いますね。一方でインターナショナルな世界を目指すことによって逆に外国から日本的と思われるという不思議なことも事実であり、日本的なものを打ち出すことのみが単純に良い効果をもたらすとも言えないのです。話は少しずれるかもしれませんが、海外の美術館で印象的だったものを二つお話ししましょう。一つ目は、カルロ・スカルパがヴェローナの古いお城を博物館にリノベーションし たカステルヴェッキオです。古い物と新しい物とが博物館に混在し、得も言われぬ調和を醸し出しています。また、目から鱗が落ちるようなシックな作り方をしており、とてもおすすめです。二つ目は、モダニズムを否定した建築家ロバート・ヴェンチューリが建築した、ロンドンナショナルギャラリーのセンズベリー・ウイングです。ちょっと装飾的な雰囲気のあるところですが、絵が見やすくて展示が素晴らしいですね。素材をうまく活かし、古いナショナルギャラリーと近代的なビルディングが共生しています。実に、作品や文脈をうまく生かしている様に思います。


−日本の美術館が、新たな局面を迎えているように感じました。まさに日本が持つ特質をどのように活かすかが今後の課題となりそうですね。それでは最後に、今のアートの現状について何か意見がございましたらお聞かせ下さい。


最近、現代アートの企画がぽつんと存在していることが多くて、なぜこの企画をするのかという説明が全然なされていないように感じます。強引な論理でも構わないので、なぜそれを選んだのかという説明をする責任があります。企画の必要性に関する議論を戦わせないと、どこでやっても同じになってしまう危険性を多分に含んでいるからです。今ここで私が企画するのはこういう意味でこんな問題を投げかけるのだというボールを投げて欲しいですね。自分の好きな芸術だけ集めてお友達を集める展覧会ではいけません。もっと強く企画を打ち出していかないと、現代アート 全体が必要ないのでは?お金があるからやっているだけなのでは?という見方をされる可能性があります。ですからどれだけつぶされても企画し続ける気力が必要なのです。私は現代アートが置かれている状況が甘やかされているようにも思いますね。もちろん、財政的には厳しいですが、「どうぞ。ご自由におやりください」という保護区あるいは居留地で甘やかされているという印象です。そこから放り出されたような不幸な方が素晴らしいと思うのです。と申しますのも、私が静岡県立美術館に勤務していたとき、現代アートの企画が自由に行われる大阪は幸せに見えまし た。静岡という保守的な西洋美術史の大系の中ですと、現代アートの企画の必要性を恒常的に打ち出していかないと企画自体が成立しなかったからです。私はそれを不幸な状態と思ったのですが、実際に大阪に来てみると、その時の議論で培われたことの重要性に気付いたのです。厳しいところで虐げられた状況にあるからこそ、排除されているからこそ、その中に表現があることを身をもって知ったのです。アートの魅力は一通りの価値が排除されて一部の人が行っていたものが世界を覆うという不思議なメカニズムにあると思います。必ずしも恵まれた状態が良い状態とは限 りません。今、現代アートはあえて良くない状態の方に回っていますから、そこに表現があると信じています。新たな時代はもっともっと変わってくるでしょう。次の美術はなにかという語りは出来ずに、美術は必要か否かという大きな問題が我々の目の前に現れてくるのではないでしょうか。美術の中で何が主流かという問題ではなく、その存在意義をただす大きな議論が携帯電話の中やデジカメの中、パソコンの中でプライベートに行われているように思いますね。美術に変わるような感動だけで一生を終えても良いのではないかという問いも存在するように感じます。それ らもふまえて、これからの現代アートの動向を見守っていきたいと考えています。

(聞き手:Oギャラリーeyes

 

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