尾崎信一郎(鳥取県立博物館副館長)
 an interview

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−まずは、尾崎さんの学生時代のお話からお聞きしたいの ですが、当時どのような芸術作品に注目されておりましたか。また、それらの作品が後のご活動にどのような影響を与えられたとお考えでしょうか。ご自身の経験をふまえてお話しをお聞かせ下さい。

私は大学で美術史学を専攻するにあたって、現代美術を研究することを最初から決めていたのですが、具体的な対象ははっきりしていませんでした。そんな中、先生から「具体美術協会が最近注目を浴びつつある。具体に関する資料や作品も関西にあるにも関わらず、誰もまだ研究していない。研究をするには非常にホットなテーマで面白いものになるのではないか」とのアドバイスを頂戴しました。具体に関して詳しいことは知りませんでしたが、具体がパフォーマンスとハプニングの先駆と呼ばれることは知っていました。当時パフォーマンスに興味があったため、これをきっかけに具体の研究に取りかかりました。現在では具体に関する資料が充実していますが、当時は殆ど資料が無く、情報誌『ぴあ』などをみて具体の元会員の個展を調べ、出向いて話を聞くことから始めました。作品も美術館にはさほど入っていなかったのです。作家への聞き取りを中心に具体についての卒業論文を書き上げました。それと前後し て非常に大きな出会いがありました。具体の良い作品を身近に見る機会を与えられたのです。先生から西宮にいる山村さんというコレクターの方が、トリノから大量に具体の作品を買い戻して整理のためのアルバイトを探しているというお話を伺いました。先生からの紹介状を持って、その方の元へと向かいました。その日はとても天気のよい秋の日で、まさに作品が届いたところに到着し、芝生の庭で開梱のお手伝いをしました。それらの作品は後に兵庫県の具体コレクションの中核となっています。というのも、具体が一番活動的であった時期に批評家のミシェル・タピエが買いつけたコレクションだったからです。自分としては、学生時代に日本の抽象絵画をそれなりに見ていたつもりでしたが、卒業論文を書く直前に、今まで見たこともなかった強い作品に出会い、非常に衝撃を受けました。
作品が戻ってきた時期と、卒業論文を書く時期が偶然にも合致したことで、研究テーマが定まり、これならしっかりした論文が書けると確信しました。

−タイミングが良かったのですね。尾崎さんは大学院に在学してらっしゃる間も、そのお仕事を続けられたのでしょうか。

大学院の修士課程在学中も1、2年程山村さんの元で作品の整理を行い、作家へのインタビューを続けました。アルバイトといいつつも実際は研究に近い内容の仕事でした。
85年に、国立国際美術館で山村さんのコレクションの1日だけの展示会があり、それに向けてのコレクションの充実、写真整理、聞き取りなどの準備に追われました。同時進行で自分の研究も進めていきました。残念ながら、山村さんは86年に若くしてお亡くなりになったのですが、当時山村さんと行った具体の元会員へのインタビューは芦屋市立美術博物館から発行された『具体ドキュメント』という分厚い一冊の本に収録しました。山村さんとの仕事を形にすることが出来たのは大変よかったです。当時、知識しかなかったところに、実際に作品に触れる機会に恵まれたことは本当に幸運だったと感じています。美術史を研究す るには作品を、直接眼で見て論じる必要があるからです。
中でも、白髪一雄さん、嶋本昭三さんなどの作品は強いものがありました。

強いとおっしゃいましたが、そのことについて詳しく教えていただけますでしょうか。

私が言う強いとは何かを訴える、つまりメッセージ性のある作品という意味ではなく、形式としての強度、存在感、作品がそこにあるという意味の強さです。

私は、絵画は強さで決まると思っています。良い絵画を構成する要素としてはまず大きいこと、そして強いことです。彼らの作品は圧倒的に強かったのです。具体の作品に出会う前まで、抽象絵画も含めこれほど強い絵画を見たことがありませんでした。ちなみに私の場合、大きさとは、物理的に作品が大きいことを指します。もちろん、作品が小さくて も強いものはありますが、具体のよい作品は大きいものが多いのです。

−なるほど。強い作品との出会い、つまり尾崎さんにとって具体の作品との出会いは、後の尾崎さんの研究に大きな影響を及ぼしたのでしょうね。

そうですね。修士論文では、具体を中心においた上で、同じ時代の絵画を比較検討しようと考えました。比較対象として、アメリカの抽象表現主義とヨーロッパのアンフォルメルに目をつけて、『1950年代の表現主義的絵画におけるアクションの問題』というタイトルの修士論文を書きました。絵画をアクションという観点から捉えてみようと思い立ったのです。修士論文はかなりの綿密さが要求されますので、関連する資料を徹底的に読み込むことから始めました。抽象表現主義の中心的人物であったジャクソン・ポロックに関する批評を読み込み、彼の作品を検証する中でフォーマリズムの言説に興味を持つようになりました。
マイケル・フリードなどの批評を読み、彼らの言葉をとおして絵を見る訓練をしていったように思います。作品を形式として見ていく、そして作品を形式に沿って論じる姿勢はこの頃に生まれました。当時読んだ論文の中に、ニューヨーク近代美術館の館長であったウィリアム・ルービンのものがあり、ポロックの絵を、モネやキュビズムの総合として捉えていました。そこで、絵画を歴史的かつ形式的に捉えることを学んだように思います。このようにして、自分の批評のスタイルが確立していきました。修士論文の内容としては、始めに歴史的な概説を述べた上で、アクション・ペインティングに分類される代表的な2人の作家、ジャクソン・ポロックとジョルジュ・マチューを比較しました。アクション・ペインティングはアクションと絵画、時間と空間との間に断絶があります。そのいずれにも焦点をあてて論じるためにはどのような方法を用いたらよいか。
ひとつのアナロジーとして映画が考えられるのではないかと思っていたところ、ちょうどジル・ドゥルーズの『シネマIイメージ−運動』が刊行されました。修士論文を書くうえでこの本からは大きなヒントを与えられましたね。

−作品を形式的に捉える、様々な角度から捉えるなど、修士論文をお書きになる中で批評に対する様々な姿勢を獲得されたのですね。それでは、次の質問に移ります。その後博士課程へと進み、美術館の学芸員として現在もご活躍されてらっしゃいますが、展覧会の企画を立てられる際のコンセプト等、特に気を使われている点はありますでしょうか?

私はいくつもの展覧会を企画してきましたが、その中でも特に3つの展覧会を挙げたいと思います。年代順に、97年に国立国際美術館で企画した『重力−戦後美術の座標軸』、98年ロサンゼルスの現代美術館における『アウト・オブ ・アクションズ1949−1979』、04年に京都国立近代美術館で企画した『痕跡−戦後美術における身体と思考』です。これまで私はフォーマリストとしての立場で論文を書いていたので、これら3つの展覧会を企画するにあたっては逆にそれとは異なった文脈に属する作品によって展覧会を構成しようと考えました。このような展覧会を実現することは非常に難しかったですね。というのはフォーマリズムの言説に属さない作品というのは、突き詰めると形を持たない作品ということになります。形ではなく、概念・行為・環境などを主題とした作品は明らかにフォーマリズムに対する批判として制作されています。いうまでもなくこのような主題はいずれも展覧会という形式 にはなじみません。しかしこのような困難を克服すること が学芸員という仕事の醍醐味です。話が少しずれるかもしれませんが、展覧会の企画で、学芸員として一番チャレンジしがいがあるのはテーマ展だと思います。例えば個人の回顧展ならば、あらかじめ作家が決まっており、作品は年代順に並べると決まってきますよね。これに対してテーマ展では、作家を誰にするか、作品をどれにするか、どのように作品を並べるかを学芸員が考えねばなりません。テーマ展で最も重要なのは何をテーマにするかです。テーマの選択に展覧会の成否が懸かっていると言っても過言ではありません。たいていは失敗してしまい、学芸員の自己満足 の空しい展覧会に終わってしまいます。逆にテーマがうまく設定されると、展覧会の成功は半分約束されたようなものです。

−テーマを決定することは、テーマ展の根幹を成すのですね。97年の『重力−戦後美術の座標軸』では、テーマをどのようにお決めになったのでしょうか。

このテーマを考えるにあたって、かなりの時間を費やしましたね。いつも展覧会のテーマのことばかりを考えていたら、ある時「重力」という単語が頭に浮かびました。「重力」とは現実として存在する力です。モダニズムの絵画や彫刻においては「重力」を無きものして扱ってきました。モダニズムの絵画はいわば抽象的に存在しており、現実の空間とつながることはありません。これに対して「重力」を考えること、は否応なく現実の場と関わりを持つことです。作品を説明するひとつのキーワードとしてテーマが決まると色んな作品へと思考がどんどん広がっていきます。

私は、ロバート・モリスのフェルトの作品やエヴァ・ヘスのロープ・ピースが昔からすごく好きで、是非展示したいと考えていました。当時日本にはコレクションがなかったので、何とかして海外から借りてきて展示したいと思ったわけです。やはり展覧会のキュレーションは企画した学芸員が並べたい作品を並べるのが基本だと思っています。恣意的でも構わないので、好きな作家の作品を並べることが大事だとも考えています。国立の美術館に移って、県立の施設では出来ない展覧会をしたいと考えました。それは海外と直接交渉して作家やコレクターから作品を借りる展覧会をすることです。この展覧会の準備は得難い体験で私にとって大きな勉強になりました。

−それでは、98年の『アウトオブアクション1949−1979』はどのような展覧会だったのでしょうか。

ロサンゼルスの現代美術館が企画した大展覧会でした。アクションに関係する作品を世界中から集め、一堂に展示しようとの試みでした。95年、兵庫県立近代美術館に勤務していたときに、直接私宛に企画への参加を招請する手紙が来たのです。展覧会のうち、日本のパートを担当して欲しい、専門家による世界的なコミッティーを作るので会議に参加して欲しいとの旨が書かれてありました。コミッティーは5人くらいで構成され、会議では各々が作品のスライドを持ってきて上映し、フリートークしながらテーマや作品を徐々にしぼっていきました。この過程も私にとっては実に貴重な体験でした。3年前から展覧会を企画・準備する姿勢、展示のノウハウなど、世界一流の美術館から多くのことを学びました。この展覧会に関わったことで、人脈が広がったことも非常に良かったです。この人脈は「痕跡」の際に大いに活用することができました。

−最後に04年の『痕跡−戦後美術における身体と思考』についてお聞かせ下さい。

この展覧会に関しても、テーマを長い時間かけて構想を練りました。「痕跡」というテーマを選んだ理由は幾つか挙げられるのですが、まずは先ほどお話しした『アウトオブアクション1949−1979』の影響が大きいです。この展覧会で特に40、50年代の作品を取り扱った第一セクションでは、アクションとその結果としてできた作品が同時に展示されていて非常に感銘を受けました。作品が行為の結果としての形を与えられて残されているという関連性が明確に浮かび上がってくるものでした。このことを受けて、行為ではなく行為の結果に焦点を当てられないかと 考え、「痕跡」というテーマを考えついたのです。『痕跡−戦後美術における身体と思考』展は、『アウトオブアクション1949−1979』展を別の観点から見たものとも言えるでしょう。次に、私が記号論を研究していたことも大きく起因しています。記号にはふたつの種類があります。何かに似ていることを原理とした似姿としての記号、これをアイコンといいます。これに対してタイヤの跡と自動車は似ていませんが、タイヤの跡も自動車の記号です。なぜならタイヤの跡は自動車が通って出来たものであるからです。これをインデックスといいます。このように何かに似ている形と何かの結果としての形、つまり類似性による記号と因果性による記号、記号のあり方がふたつに大別されるわけです。『痕跡−戦後美術における身体と思考』は後者に焦点をあてた展覧会です。展覧会の規模としても『重力−戦後美術の座標軸』の二倍程ありました。会場を幾つかのセクションに分け、展示方法にも趣向を凝らしました。ここでは、どの作品を選択するかが重要でした。選択するということは、選択しないものを排除することを同時に意味します。また作品の配置も重要です。例えば、一見何の関係性も認められないような作品を横に並べること によって両者の関係を明らかにする。例えばモリスとフォンタナは平面と立体に見えますが、いずれも表面を切り裂いた造形です。関係があるから並べるというのではありません。並べることによって関係をつくりだすのです。もっとも展示の配置は難しく実際にその場に並べてみないとわからないことも多いのですが。

 

−お話しして頂いた3つの展覧会は、テーマに密接な繋がりがありますね。テーマの決定はもちろんのことですが、展覧会の企画にあたって作品を選択すること、配置することが重要な意味を持つことを深く知ることが出来ました。他に何かお気遣いされた点がございましたらお聞かせ下さい。

展覧会自体は会期が終了すると同時に無くなってしまいます。その後に残るものとして、しっかりしたカタログを作ることも私のポリシーです。例えば『痕跡−戦後美術における身体と思考』のカタログには、世界一流の批評家の論文を載せることを考え、この展覧会を構想するうえで決定的な示唆を受けたリチャード・シフとジョルジュ・ディディ=ユベルマンに直接会って原稿を依頼しました。全て書き下ろしの論文であり、資料的価値の高いカタログが出来たと思っています。少し話は変わりますが、私は、学芸員は常に3つの展覧会の構想を頭に置いておかねばならない と考えています。一つ目は今からでもすぐに企画を実行に移せる展覧会、二つ目は1〜2年かけて準備する展覧会、三つ目は最低5年ぐらいかけて準備する展覧会です。学芸員は展覧会のコンセプトを準備することが仕事でもありますからね。テーマ展では自分の専門領域からテーマを引き出すことが多いと思いますが、専門領域以外の作家の展覧会を企画する体験も色々と勉強になります。

−企画する立場からの貴重なご意見をありがとうございます。それでは、最後の質問に移ります。尾崎さんは、絵を見る眼を養うためには何が重要だとお考えでしょうか。お聞かせ下さい。

たくさん見ることが一番重要です。漫然と見るのではいけません。直感に頼る点もあるので難しいのですが、その作品が良いか悪いかを見ようとしないと、絵の質を判断することは出来ませんし、本質的な理解が得られないように思います。そうすることによって、同じように見える作品であっても良い作品、悪い作品がはっきりしてきます。一般的に良いといわれている作品群の中にも悪い作品はあります。また、絵の良し悪しを知る上で海外に行って作品を鑑賞するのはとても重要です。現代美術に関しては、良い作品が海外に多くありますので、そこで多くの作品に出会う と得るものは大きいでしょう。私が初めて海外に行った時キーファーとモリスの作品に圧倒的な印象を受けて帰ってきたのを今でも鮮明に覚えています。じっくり考えながら見ることも重要です。こんなエピソードがあります。マドリッドでキーファーの絵を見たとき、強いなと感じると同時に何か違和感も覚えました。気になって絵の前でずっと考えていると、モダニズムの絵画とキーファーでは強さの質に違いがあることに思い当たりました。例えば、ポロックの作品は一瞬にして全てを表す瞬時性をもちあわせています。ひと目見たときと1時間見た時との強さが変わらな い、瞬時に強さが伝わってくるのです。これに対してキーファーの強さはむしろ、時間をかけてみれば見る程強くなっていくのです。それは絵の中に物語(ナラティブ)があるからだと感じました。絵が時間をかけてこちらに語りかける、絵を鑑賞することが時間的な経験になるのです。細部を見れば見る程強さが充満するものでした。キーファーの作品をじっくり見ていて、私はあらためてモダニズム絵画の本質が理解できた気がします。

−最後に、何かございましたらお聞かせ下さい。

そうですね。研究者、批評家はイメージをどのように言葉に還元するかを常に考えねば成りません。言葉にしにくいものがイメージとして存在するのですから難しい作業になりますが、それを常に求められるものだと考えています。

(聞き手:Oギャラリーeyes

 

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