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●高岡美岐 Miki Takaoka |
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18.1/3.16:14 80.4×100.0cm カンヴァスに油彩 2018 |
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18.2/10.16:15 31.9×41.0cm カンヴァスに油彩 2018 |
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17.11/22.18:10 130.3×162.0cm カンヴァスに油彩 2018 |
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17.11/29.14:13 130.3×194.0cm カンヴァスに油彩 2018 |
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17.11/14.15:08 112.2×145.0cm カンヴァスに油彩 2018 |
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18.3/8.15:43 41.0×53.0cm カンヴァスに油彩 2018 |
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17.12/8.15:10 31.9×41.0cm カンヴァスに油彩 2018 |
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17.10/16.12:15 14.0×17.9cm カンヴァスに油彩 2018 |
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17.10/16.14:55 14.0×17.9cm カンヴァスに油彩 2018 |
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18.3/8.12:00 15.8×22.8cm カンヴァスに油彩 2018 |
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■高岡美岐 コメント [Artist Statement] |
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無性に、自分の個人的な心情を雨に託した油彩画が描きたくなった。 自分の気持ちをぶつける先として、過去のドローイングから、雨の日に描いた風景を選んだ。 紙をじっくりと眺めてみた。 描く者と降る雨が激しい口論をしているように見えた。 あの時私は何を描こうとし、それを雨がどのように遮り、そして私はどのようにそれに抗ったのか。 キャンバスに絵の具を塗り込めながら、両者の言い分をじっくりと聞き取り、 一言一句文字に起こして文章にしているようだと思えた。 自分の事よりも、紙の向こうの世界の事をずっと考えていた。 この制作をきっかけに、「描く者」、「降る雨」、この二者の関係性の様々な形態をもっと探求すべく、雨が降るたびに、画材とスケッチブックを持って外へ出た。 |
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■略歴 [Artist Biography] |
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1979 京都府生まれ 2001 京都芸術短期大学専攻科美術専攻 修了 2010 第25回ホルベインスカラシップ奨学生 ・個展 2002 ギャラリー射手座(京都) 2004 アートスペース虹(京都)※以降`06、`08、`10、`11、`14開催 2007 Oギャラリーeyes(大阪)※以降`09、`12、`14、`16開催 ・グループ展 2002 第50回西脇市展(西脇市市民会館・兵庫) 2003 第12回全日本アートサロン絵画大賞展(大阪市立美術館・大阪) 2004 京展(京都市美術館・京都) 2005 京展(京都市美術館・京都) 2005 第69回自由美術展 (東京都美術館・東京、京都市美術館・京都、大阪市立美術館・大阪) 2005 シェル美術賞2005(代官山ヒルサイドフォーラム・東京) 2006 自由美術京都作家展(京都府立文化芸術会館・京都) 2006 第44回関西自由美術展(京都市美術館・京都) 2007 自由美術京都作家展(京都府立文化芸術会館・京都) 2009 ワンダーシード2009(トーキョーワンダーサイト渋谷・東京) 2009 京展(京都市美術館・京都) 2010 自由美術京都作家展(京都府立文化芸術会館・京都) 2010 P&E(アートコートギャラリー・大阪) 2011 京展(京都市美術館・京都) 2011 Ma chanson favorite Vol.4(E−ma・大阪) 2011 Chic Art Fair(Cit`e de la mode
et du Design・パリ) 2012 植草美里×高岡美岐−contrast(ギャラリーメゾンダール・大阪) 2013 en continu(ギャラリーメゾンダール・大阪) 2013 恋々風景2〜陽のあたる場所(Oギャラリーeyes・大阪) 2013 Que sera sera 5(Espace Japon・パリ) 2017 Between
the scene and the form 2017(Oギャラリー・東京) 2017 非在の庭 最終章(アートスペース虹・京都) 2018 KOMORE BI(ギャラリーメゾンダール・大阪) ・参考文献 松井みどり:「シェル美術賞2005」カタログ(審査員概評) 酒井千穂:「美術手帖」2006年3月号(レビュー) 酒井千穂:「artscape」2010年4月15日号(レビュー) 酒井千穂:「artscape」2011年12月15日号(レビュー) 小吹隆文:「京都新聞」2011年11月26日朝刊(レビュー) 小吹隆文:「artscape」2012年06月01日号(レビュー) 酒井千穂:「artscape」2014年12月15日号(レビュー) |
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■展覧会テキスト[Text] |
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「回想の風景画」 平田剛志(美術批評) 高岡美岐の風景画は、住宅街や公園、ロータリー、海辺など誰もが見慣れた日常の風景だ。スピード感のある筆致、揺れるようなストロークで描かれる風景は、写実的というよりは風景の空気感を捉えて清々しい。風景には、車やバイク、海水浴客などが描かれることはあっても、人はほとんど描かれない。そのせいか、記憶や白昼夢のような浮遊感や静けさに満ちている。 高岡が描いた風景を具体的に挙げると、アトリエの近くにある公園(2008年個展)、学生時代に遊びに行った海(2012年個展)、祖母が息を引き取った老人ホームや病院の周辺風景(2014年個展)、大雪が降った通勤路(2014年個展)など、自身の身近にある風景だ。つまり、高岡の絵画は、自身の感情や近況、天気の影響によって、いつもの風景が異なって見える経験を、観察を通じて記憶/記録する絵画である。 高岡の絵画制作における記録性は、絵画のタイトルが《17.11/22 18:10》(2018)などのように具体的な日時として表れている。この日付は何を意味するのだろうか。 その答えは、制作プロセスにある。高岡はモチーフとなる場所を歩きながら携帯電話のカメラで撮影した後、写真を水彩ドローイングで描き、その中から抜粋した場面を油彩画に描く。つまり、絵画のタイトルは、写真の撮影日時なのだ。 驚くのはスケッチブックに描かれた枚数だ。2010〜11年の《海岸》は1000枚以上、悲しみや不安を抱く風景を描く《私的感傷風景》は70枚、仕事場にバイクで向かう途中に通るロータリーと街路樹の四季を描いた《桂坂の通り》は11年〜15年に631枚、雨の日に外でスケッチした《雨》は2017〜18年に100枚を描いている。膨大な水彩画の連続はコマ撮りアニメーションのように、シークエンスを形成している。インターネットで簡単に写真が入手できる時代、高岡は自身の身体を風景に置き、その視点や移動、経験や感覚を絵画へと昇華するのだ。 高岡の時間の変化を捉えた連作形式、スケッチブックから油彩へと展開する制作手法は、19世紀の印象派が始まりだ。中でもクロード・モネ(1840〜1926)は連作を数多く制作した。光の効果を異なる時間で描く《積みわら》(1888-89, 1890-91)と《ポプラ並木》(1891)、《ルーアン大聖堂》(1892〜94)は30点以上の連作を手がけている。晩年の1899年からはジヴェルニーの自宅の《睡蓮》を太鼓橋と睡蓮、枝垂れ柳を描いた第1期、池の水面が大きく描かれた第2期合わせて200点以上を描いた。 高岡と印象派が異なるのは、モネらが戸外で光を描くために生み出した原色を小さなタッチで並置する筆触分割の手法が見られないことだ。なぜなら、高岡の連作絵画を可能にしたのは、印象派のチューブ入り絵の具ではなく、携帯カメラというテクノロジーだったからだ。高岡の絵画とは、写真画像が捉えた瞬間の光景を描く絵画なのだ。 だが、2019年の個展では、変化が見られた。モチーフはこれまで同様、日常に見られるマンションや公園の樹木、道路などの日常風景だ。以前と異なるのは、絵具が滲み、一部にはモチーフが見分けられないほど抽象度が増したことだ。これは、前述したように、雨のなか戸外制作した水彩ドローイングをもとに描かれたためだ。 言うまでもなく雨や雨粒を描いた絵画は多数ある。高岡が異なるのは、作家自身が雨降るなか雨の風景をドローイングし、雨に濡れたスケッチブックの変容を油絵に描いたことにある。つまり、本作は作家が絵を描く過程で生じた出来事と天気の偶然性が反映された絵画なのだ。 高岡はなぜ膨大な写真や雨の戸外制作を通じて風景を描くのだろうか。それは、風景の「印象」ではなく、それを見る自身の「心象」を重ね合わせて描くためではないか。ゆえに、高岡の絵画は、写真の客観性と絵画の主観性を混合し、記録と記憶を回想する私情的風景画なのだ。 |
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