●Absolute basis 沓澤貴子と西村みはるの場合

 

 

展覧会趣旨[Purpose of Exhibition 

シリーズ5回目の開催となる本展は、これまで絵画という形式、媒体としての特性に対し、作家は如何なる意義と可能性を見出し、現代において絵画で表現することのアクチュアルな問題を抱えているのかをテーマに開催してきました。いま絵画で表現する事の設問は、絵を描く側も観る側も、絵画を介して関わる私たちにとって素通り出来ない問題が潜んでいるように思います。このたびは1970年代 (団塊ジュニアと言われた70年代前半) 生まれの作家により、成人期にバブル崩壊以降の状況を目の当たりにした世代が、絵画という媒体を通してどのように社会と向き合い、表現の営為をなし得てきたのか、同世代によるふたりの作品とインタビューに寄せられたコメントを通して、絵画で表現する事の現在の在り方や状況について探ります。

 

                                  Oギャラリーeyes

 

沓澤貴子 Takako Kutsuzawa

気色−両岸

116.7×90.9cm カンヴァスに油彩、アルキド樹脂絵具 2014

気色−如月

116.7×90.9cm カンヴァスに油彩、アルキド樹脂絵具 2014

mutable sky

194.0×162.0cm カンヴァスに油彩、アルキド樹脂絵具 2013

気色−雨水

53.0×45.5cm カンヴァスに油彩、アルキド樹脂絵具 2014

still1401

27.2×22.4cm 麻布に油彩、アルキド樹脂絵具 2014

still 1402

27.2×22.4cm 麻布に油彩、アルキド樹脂絵具 2014

 

 ■沓澤貴子 略歴 [Artist Biography]

1971年、静岡県生まれ。1996年、武蔵野美術大学造形学部油絵学科を卒業。1998年、同大学大学院 美術専攻油絵コース修了。2001年、ガレリアラセン(東京)にて初個展を開催。以降Oギャラリー UPS(東京)、Gallery Fine Art Laboratory(東京)、かわさきIBM市民文化ギャラリー(神奈川)、Oギャラリー(東京)、ギャラリー砂翁(東京)、ギャラリー宇(千葉)等で個展を開催。1998年、立川国際美術展(立川ルミネ・マグノリアホール・東京)。1999年、沓澤貴子・山口牧子展(ギャラリーαM・東京)。2001年、小林康夫によるセゾン現代美術館コレクション展:筆触のポリティクス <絵画らしさ>とはなにか?(セゾン現代美術館・長野)、志向する平面/それぞれの視座vol.2(ガレリアラセン・東京)、光/かげ Tools of Life(セゾンアートプログラム・ギャラリー・東京)。2002年、GALERIA RASEN session vol.2(ガレリアラセン・東京)。2003年、5th contemporary young painters exhibition from JapanZainul Gallery・ダッカ/バングラデシュ)。2006年、FRESH 2006(伊勢現代美術館・三重)、絵画深度(ギャラリー汲美・東京)。2011年、FACE THE FAR EAST vol.1(人形町VISIONS・東京)。2012年、数奇和の洋画展(数奇和・東京、滋賀)。2014年、はじめに四角ありき(櫻木画廊・東京)に出品。

 

西村みはる Miharu Nishimura

繋いだ手からきっと見つかる

72.9×72.9cm カンヴァスに油彩 2014

頬に感じる春の日差し

41.0×32.0cm カンヴァスに油彩 2014

綿ぼうしを掴む小さな手

100.0×72.8cm カンヴァスに油彩 2014

雨降り楽し、雨降り嬉し

80.4×80.4cm カンヴァスに油彩 2014

何気なく並べられた石の影

27.3×27.3cm カンヴァスに油彩 2014

少し遅れた桜が散る

27.3×27.3cm カンヴァスに油彩 2014

 

 ■西村みはる 略歴 [Artist Biography]

1974年、大阪生まれ。1997年、大阪芸術大学芸術学部美術学科を卒業。2000年にOギャラリーeyes(大阪)にて初個展を開催。※以降、同ギャラリーにて継続的に開催。2003年、アートスペース虹(京都)にて個展を開催。1997年に沼津御用邸記念公園(静岡)で開催されたJapan Art Festival`97では、竹を使用したインスタレーションを制作(以後2000年出品)。1999年、Oギャラリーeyes開廊記念展「絵画劇場」に出品。2000年「誘発の相貌」展(Oギャラリー・東京)、2001年「波走の紡ぎ」(Oギャラリーeyes・大阪)。2002年「ボーダー・見えるものと見えないもの」(マサシ・ヤマギャラリー・東京)。2005年、「SOURA05」(Oギャラリーeyes・大阪)。2007年、「In Motion」(Oギャラリー・東京)。2009年、第6 U35500人アーティスト小作品販売EXHIBITION(横浜赤レンガ倉庫・横浜)、第1 YOKOHAMA ART DOMAIN展(横浜赤レンガ倉庫・横浜)。2011年、SOURASAISAI展(Oギャラリーeyes・大阪)。2012年、ドラッグ&ドロップ(Oギャラリーeyes・大阪)では、写真作品を発表。2013年、Kyoto Current 2013(京都市美術館別館・京都)に出品。

 

■出品作家インタビュー[Artist interview] 聞き手:Oギャラリーeyes

画廊:大学時代に、当時の現代アートの影響を受けたおふたりですが、その頃のアートシーンの状況や、どのような作品(絵画作品)に注目していたかを教えて下さい。

 

沓澤:大学時代(90年代中頃)は、それまで「平面」と呼ばれていたものが「絵画」と言われるようになり、それが定着してきた頃かなと思います。まだバブルの余韻があって巨大なアートフェアが開催されはじめていました。当時注目していたのは、辰野登恵子さん、赤塚祐二さん、中村一美さん。抽象表現主義を踏まえた上でマティスやセザンヌの読み直しの仕事をされていて、私の目にはとてもアクティブに映っていました。また、今現在の自分と19世紀ヨーロッパの制作の現場が地続きなんだ、と感じてとても刺激的でした。

 

西村:大学2回生の時に阪神淡路大震災が起き、皆何か心に想いを寄せながら生活をしていました。そういった中、パブリックアートだったり小学校やホテルといった地域一体になった展覧会を観る機会が徐々に増え始めたように思います。

学生の頃はどちらかと言えば、立体やインスタレーションをよく観ていた気がします。特にもの派が好きでした。その頃国立国際美術館で「重力―戦後美術の座標軸」という展覧会が開催されていたのですが、絵画であれ、立体であれ重力との微妙なバランスを楽しんでいるようで、出展作品全てに衝撃を受けました。絵画作品では抽象画を中心に、児玉靖枝さん、館勝生さんなど空間にすっと引き込まれる作品が好きで注目していました。

 

画廊:現在の抽象的空間を描いた作品は、学生当時からのものでしょうか。また、作家活動(制作と発表)をしようと思ったきっかけを教えて下さい。

 

沓澤:学生時代の裸婦ドローイングから現在の作品につながっていったのですが、もうだいぶ前からものや写真を見て作品を描くことはしていないです。その頃から自分の中に、制作中ふと眼に映った、描き終えて用済みのパレットの絵具の輝きにハッとさせられたり、偶然できた絵具の染みが美しく見えたりだとかの、それまでどこにも当てはまってこなかった、取るに足らないような感じかた、絵具に対する愛着がどんどん意識されはじめてきて、それを全部キャンバスに投影できるんだ、ぶつかって良い場所なんだ、と思い込んでつくっていました。絵具の表情や色彩の混ざり具合に寄り添って形態が生まれてくるといった今のスタイルは基本的に学生時代から変わってないです。作家活動のきっかけは具体的には卒業後に大学の企画展示等に呼んで頂いた事ですが、他には大学の担当教官に「魔女じゃなくても絵は描ける」と言われたことが印象的です。周りに美大生や作家の知り合いが全く居ない環境から美術大学に進んだので、自分のような普通の人間も堂々と絵画を続けていっていいんだ、と、自分が勝手に設定していたワクが取れた感じがありました。そこから自分のペースで制作や発表をしてしまおうという開き直りも生まれはじめたように思います。

 

西村:学生時代は主にインスタレーションをしていたのですが、4回生の中頃にオイルスティックで平面に限らず立体物など手にする物全てに象形文字のようなものを羅列させて描き始めたのが今のスタイルが生まれるきっかけです。そこから平面の中でも空間や周りの空気、時間を繋ぎ止めることを意識しながら制作するようになりました。

作家活動をしようと思ったというより、作品を創り続けるのが私にとって生きていると感じられることだったので、制作活動を辞めるという思いがありませんでした。そんな中で大学の先輩方のグループ展に呼んで頂いた時に、「一人でも多くの人に作品を通して何かを感じ取ってもらえれば」という思いが込み上げ、今に至っています。

 

画廊:作家活動をはじめた20代の頃、マーケットでのアートの需要が冷え込んでいた時期かと思いますが、経済的面で作家を継続して行く上での不安はありませんでしたか?また、そのような状況の中で、作品を通じてどのように社会と繋がろうとお考えでしたか。

 

沓澤:自分の性分や制作ペースからすると、長く続けていくことが大事なんだろう、そして続けた先にきっと良いものができるだろう、という根拠のない考えを持っていました。もちろん経済的にも厳しくて、展示のたびごとにこれが最後の発表だ、ぐらいの気持ちで制作していたのですが、何とか時間とお金のやりくりができて今に至っています。作品と社会の関係についてですが、自分が描いていく作品が社会の中で「こういう眼(視点)が存在している」というある一つの強度を持てたらと願っています。そしてそれに反応してくださる方々にとって何らかの契機になれたら、と。そもそも私の中では、制作と発表は全く同じ位置にはないものです。きれいごとかもしれませんが…。今後状況によっては発表のペースを落とすことがあるかとも思いますが、生きている限り制作は続くんだろうなあ、と思っています。

 

西村:バブル期の後で大変な時代だねと言われたりしていたのですが、自分たちにとってはそれが当たり前だったし、バイトをしながら時間のやりくりの中で制作をするのも作品の一部と思い全く不安というのはありませんでした。作品を通じて社会と繋がろうという大きなものではなく、作品を創り続けていればその先に繋がるものがあると思っていました。それは今でも思っています。

 

画廊:現在のアートシーンの中で眼にする絵画作品について、描かれる内容やテーマ等も踏まえてどのように捉えていますか。特に同世代や若手の作品も含め、感じている事を教えて下さい。

 

沓澤:シーンについて一概には言えないですが…。いつの時代も普遍的に良いものは良いでしょう。昔に比べて、それぞれが自分の資質に合った作品を作りやすくなってきたような気はします。絵の中で必死にやりくりしてなんとか独り立ちしようとしているような画面、描き手の決断のドキドキや、絵具の葛藤が伝わってくるような絵、そんな画面に出会いたくて人の絵を観ますし、自分もまたそんな絵をつくれたらと願っています。

 

西村:何だかファッションに似ているなぁと感じるというか…。自分に合った服を選んだり、昔のモノもアレンジを加えたり、自分のスタイルを確立させたりと、作品に対してもそういった人達が多いなぁという気がします。どの年代もその時代を象徴しているので、同じ時代を生きている事を幸せに感じ、観る作品全てから刺激を受けています。

 

画廊:最後になりますが、おふたりにとって絵画で表現することや、その可能性についてどのように感じているのか教えて下さい。

 

沓澤:私にとって絵とは、自分丸ごと体当たりできる場所であり、眼と手と絵具を使って精神の痕跡を残すべき場所であり、また二次元と三次元を行き来するキャンバスの上で起こる不思議な出来事を体験する場所でもあります。その不思議さにいつまでも惹かれ続けたいです。

 

西村:今までは、季節の変わり目や情景を肌で感じて心象的に描いてきたのですが、3年前に出品した企画展をきっかけに写真を撮るようになり、描く時にその撮影した画面がフラッシュ映像のようにぱっぱっと現れて、すっと視野が開けた感じで作品に取り組めるようになりました。自然が無限にあるように可能性も無限に広がっていると信じています。そういった違う手段や方向からも絵画と向き合い、突き詰めて行きたいと思っています。

 

画廊:ご回答頂き、ありがとうございました。

 

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