●Value added−フロクノミリョク

 

 

■展覧会趣旨[Purpose of Exhibition] 

子ども時代、駄菓子のおまけや雑誌の付録など、誰でも強い好奇心や所有欲をかき立てられた経験があると思います。近年はファッション誌等にも付録が付くようになり、ブランドメーカーとのタイアップも影響して、付録つき雑誌の需要が増してきました。アート業界でも、付録というわけではないのですが、作品本体とは別の効力(社会的権威や市場評価等)も、物性を伴わない付加価値として販売促進の後押しとなっています。では、画廊が作家に対し、物性を伴う付加価値(付録)の制作を依頼したとすれば如何でしょう。勿論、どのようなかたちであっても作品以外に付録をつくるなど、作家にとって意味をなさないものかもしれません。ですが、意味をなさないとされているものが、ある状況において価値を擁してしまうという矛盾を含め、作品とは異なる特殊な景物への期待感は否定出来ません。このたびは「アート作品に付録がついたとすれば…」という設定のもと、各作家に制作を依頼し出品して頂きます。また特別展示としまして、ゲストルームにて戦後の漫画誌や子供雑誌に見られる実際の付録を併せて出展致します。当時の漫画や雑誌には様々な付録がついており、各出版社が競い合った結果“付録合戦”が生じるほど、力の入った逸品も存在します。付録とは、アート作品はもちろん、雑誌にとっても主客転倒な存在ですが、このたびは作家自らが付録の内容を考えることで、本来ありえないもの、作品と共に制作された特異な産物としての魅力に迫ります。 

(Oギャラリーeyes)

 

●冨倉崇嗣 Takashi Tomikura

浮き木(写真・右)

45.5×53.0cm カンヴァスにアクリル、透明水彩 2014

付録:メトロノーム(映像) 

DVD7min.39sec.) 2014

 

●大崎信之 Nobuyuki Ohsaki

深海の神秘 vol.1

h17.0×d10.0×w5.0cm 桂、アクリルガッシュ 2014

※付録:−海−

h25.0×d35.0×w25.0cm 杉、アクリルガッシュ 2014

 

●松本良太 Ryota Matsumoto

パン屋襲撃事件

54.0×79.0 cm ケント紙、色鉛筆 2014

※付録:クッピー土着菌

18.0×14.4 cm ケント紙、色鉛筆、善玉土着菌、腐葉土等 2014

 

■児玉靖枝 Yasue Kodama

ambient lightgoldfish

22.0×30.5 cm 紙に水彩 2002

※付録:水を掬す

h3.0×d14.5×w17.5cm 陶 2014

 

■金村 仁 Hitoshi Kanamura

Stacked Portrait(写真・下)

21.2×15.0×5.2cm 本、インクジェットプリント 2014

付録:KO-MAWARI(映像)

CG、デジタルフォトフレーム 2014

 

■日下部一司 Kazushi Kusakabe

重力風景

50.0×50.0cm 紙にインクジェット印刷・シルクスクリーン 2014

※付録:重力風景

35.0×40.0×8.0cm インクジェットプリント・人造ウレキサイト・地球儀 2014

 

■田中朝子 Asako Tanaka

ドッペルゲンガー(写真・左)

9.0×14.5×3.0 cm 写真に雁皮紙、パネル 2014

※付録:ニアミス

9.0×14.5×0.1 cm 葉書(レンチキュラー) 2014

 

■木内貴志 Takashi Kiuchi

禁じられた遊び(R18

60.0cm×60.0cm パネルにキャンバス布、油彩 2014

※付録:18KIN

14.0×14.0×10.0cm プラスチック製品に金箔 2013

 

■出品作家―略歴[Artist Biography]

【大崎信之】1955年、京都府生まれ。1983年、京都市立芸術大学大学院彫刻修了。1982年、ギャラリー白(大阪)にて初個展を開催。以降、ギャラリーすずき(京都)、ギャラリーRU(京都)、オン・ギャラリー(大阪)、ギャラリー16(京都)、Oギャラリーeyes(大阪)にて個展を開催。1984年、今村源、大崎信之、奥田輝芳による3人展(ギャラリー白・大阪)を開催。同年、第4回現代美術今立紙展(福井県今立町)。1985年、第10回京都美術展(京都府立文化芸術会館・京都)、第10 Good Art展(京都市美術館・京都)。1986年、ライト・オン '86(オン・ギャラリー・大阪)。1987年、LANDSCAPE(ギャラリー白・大阪)、1989年、YES ART 8(ギャラリー白・大阪)。1995年、小品展−彫刻−青木野枝、伊藤誠、大崎信之、祐成政徳(ギャラリー白・大阪)。2004年、Figure(ギャラリー白・大阪)。2010年、Kind of the ironyOギャラリーeyes・大阪)2012年、KICKSOギャラリーeyes・大阪)等に出品。

 

【金村 仁】1969年、京都府生まれ。1992年、大阪芸術大学芸術学部美術学科卒業。1992年、ギャラリー白(大阪)にて初個展を開催。以降、ギャラリーココ(京都)、ヴォイスギャラリー(京都)、Oギャラリーeyes(大阪)にて個展を開催。1992年、ART-JUNKTION(京都四条河原町阪急・京都)90年代のアートシーン 現代社会の縮図(なんばCITYシティーホール・大阪)。1994年、アート・ナウ94(兵庫県立近代美術館・兵庫)。1996年、VOCA96(上野の森美術館・東京)、シガアニュアル96Handmade objects(滋賀県立近代美術館・滋賀)1997年、にてひなるもの(エスパス21・愛媛)。2001年、 京都府美術工芸新鋭選抜展(京都文化博物館・京都)、art in transit (ザ・パレスサイドホテル・京都) 。2002年、Modest Youngs (ギャラリーヤマグチ・大阪)、Art in CASO CASO・大阪)、Stay with art〜窓辺の緑〜(ホテルTポイント・大阪)。2003年、Art in CASOCASO・大阪)。2004年、Jun KoshinoHitoshi Kanamura (ギャラリーヤマグチ・大阪)2007年、淡路島アートフェスティバル(日の出亭・兵庫)等に出品。

 

【木内貴志】1973年、京都市生まれ。1997年、成安造形大学造形美術科造形表現群洋画クラス卒業。1998年、同大学研究生修了。1997年、VOICEギャラリー(京都)にて初個展を開催。以降、マキイマサルファインアーツ(東京)、夢創館(神戸)、GALLERY wks.(大阪)等で個展を開催。1996年、神戸アートアニュアル96(神戸アートビレッジセンター・神戸)2005年、展覧会の穴(GALLERY wks.・大阪)。2005年、gallerism 2005(大阪府立現代美術センター・大阪 ※以降2006年にも出品)。2007年、美術のボケ(CASO・大阪)。2007年、美術のボケ ピンバージョン(GALLERY wks.・大阪)。2009年、After School 放課後の展覧会(元・立誠小学校・京都)。2010年、Art Court Frontier 2010ART COURT Gallery・大阪)。2010年、軽い人たち(GALLERY wks.ARTSPACE ZERO-ONE・大阪)。2011年、愛の秘密工作室(HEP HALL・大阪)。2011年、激凸展(unseal contemporary・東京)。2012年、美術のくすり(KUNST ARZT・京都)。2013年、胎内巡りと画賊たち(京都美術工芸大学付属京都工芸美術館・京都)。2013年、ラジドク!(KUNST ARZT・京都)等に出品。

 

【日下部一司】1953年、岐阜県生まれ。1976年、大阪芸術大学芸術学部美術学科版画専攻卒業。1975年、ギャラリー射手座(京都)にて個展を開催。以降、信濃橋画廊(大阪)、シティギャラリー(神戸)、ギャラリーココ(京都)、ウエストベスギャラリー・コヅカ(名古屋)、サイギャラリー(大阪)、The Third Gallery Aya(大阪)、Oギャラリーeyes(大阪)、伊丹市立工芸センター(兵庫)、京都造形芸術大学芸術館(京都)、ギャラリーヤマグチクンストバウ(大阪)等で個展を開催。その他、京都市美術館(京都)、東京都美術館(東京)、ブラッドフォード美術館(イギリス)、リュブリャナ市立美術館(スロベニア)、岐阜県美術館(岐阜)、ウオーカーヒルアートセンター(ソウル)、姫路市立美術館(兵庫)、兵庫県立美術館(神戸)、ドイツ文化センター(デュッセルドルフ)といった国内外の美術館で開催されたグループ展等、多数出品。

 

【児玉靖枝】1961年、兵庫県生まれ。1986年、京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。1986年、アートスペース虹にて、初個展を開催。以降、トアロード画廊(神戸)、石屋町ギャラリー(京都)、ギャラリー21+葉(東京)、東京画廊(東京)、セゾンアートプログラム・ギャラリー(東京)、Oギャラリーeyes(大阪)、MEM(東京)等で個展を開催。その他、京都市美術館(京都)、上野の森美術館(東京)、広島市立現代美術館(広島)。セゾン美術館(東京)、東京ステーションギャラリー(東京)、兵庫県立美術館(神戸)。滋賀県立近代美術館(滋賀)、神奈川県立近代美術館(神奈川)、東京国立近代美術館(東京)、損保ジャパン東郷青児美術館(東京)で開催されたグループ展等、多数出品。

 

【田中朝子】1972年、大阪府生まれ。2003年、京都市立芸術大学大学院後期課程修了。2002年、Oギャラリーeyes(大阪)にて初個展を開催。以降、ノマル・プロジェクトスペースキューブ&ロフト(大阪)、BASE GALLERY(東京)、ギャラリーX(東京)、ギャラリーノマル(大阪)にて個展を開催。主なグループ展に、1998年、映像考/…(神戸アートビレッジセンター・神戸)。2005年、Independent-イメージと形式-2005(愛知県美術館ギャラリー・愛知)。2007年、版という距離(京都芸術センター・京都)。2007年、アルピニスト 野口健からのメッセージ展(ギャラリーエークワット・東京)。2009 「余韻/響き」Hyun Gallery(ソウル)。2009年、「drowning room」神戸アートビレッジセンター・神戸)。2011年、plus(ギャラリー恵風・京都)。2012年、kinemaOギャラリーeyes・大阪)等に出品。

 

【冨倉崇嗣】1979年、三重県生まれ。2002年、成安造形大学造形学部造形美術科洋画クラスを卒業。2003年、Oギャラリーeyes(大阪)にて初個展を開催(以降、同ギャラリーにて毎年個展を開催)。2003年、OギャラリーUPS(東京)、2007年、project N(東京オペラシティアートギャラリー・東京)。主なグループ展に、2001年、絵画の流れ展(三重県立美術館・三重)。2002年、神戸アートアニュアル2002(神戸アートビレッジセンター・神戸)。2003年、ARTISTS BY ARTISTS(六本木ヒルズ 森タワー・東京)。2005年、群馬青年ビエンナーレ(群馬県立近代美術館・群馬)。2007年、Absolute basis 冨倉崇嗣とフジイ フランソワの場合(Oギャラリ−eyes・大阪)。2007年、HORS LIGNEGallery SATORU・東京)。2009年、「drowning room」(神戸アートビレッジセンター・神戸)。2010年、Defending ZoneOギャラリーeyes・大阪)。2010年、SEIAN FRONTIER(成安造形大学 ギャラリーアートサイト・滋賀)2013年、VOL.1 U35 CREATORS JAPAN EXHIBITION(みなとみらいギャラリーABC・横浜)等に出品。

 

【松本良太】1986年、奈良県生まれ。2007年、大阪芸術大学付属美術専門学校美術・工芸学科プリントメイキング専攻を卒業。2009年、京都精華大学芸術学部メディア造形学科版画専攻卒業。2010年、Oギャラリーeyes(大阪)にて初個展を開催※以降、同ギャラリーにて毎年開催。主なグループ展として、2005年、企画イベントφ-phi(カフェバーオドリコ・大阪)。2006年、グループ展 HYBRID(ギャラリー光陽堂・大阪)。2009年、The extracted element U(Oギャラリーeyes・大阪)。2010年、Kind of the ironyOギャラリーeyes・大阪)。2012年、KICKSOギャラリーeyes・大阪)、万国モナリザ大博覧会(鞆の津ミュージアム・広島)に出品。

 

特別展示「戦後の少年誌の付録」 協力:徳尾書店

■テキスト[Text]

「戦後少年誌の付録の流れ」      

 

雑誌の付録は、販売促進のための特典・おまけとしてつけられた。婦人雑誌の料理や裁縫の手引書・家計簿、文芸雑誌の小説・史実類・辞典、児童誌の絵本・童話など。年始の号には、華やかな色刷の双六をつける雑誌も多かった。組立て付録では、中村星果・設計による少年倶楽部の「エンパイヤビルデング」「軍艦三笠」など一連のものは非常に精巧な作りをしており、今なお高い評価を受けている。ここでは主に戦後の少年雑誌の付録についてふれていく。 

第二次世界大戦の影響による出版の統廃合(昭和16年)により活動を制限された各雑誌は、終戦を迎えて徐々に復刊・新創刊される。当初は物資の不足から、仙花紙と呼ばれる粗悪な紙を使った小冊子状の薄いものが大半だった。本の厚みが増し、紙面も賑やかになってくるのは昭和25年頃からで、付録をつける雑誌も増えてきた。この頃は綴込み式のカードや栞など、ささやかな物が多い。

その後、顕微鏡や印刷機、カメラなど凝ったものが付録として登場してくるが、当時、雑誌の輸送を国鉄に頼っていたことから、雑誌の付属物としては相応しくないと様々な材質規制をかけられ、金属部品が使えなくなってしまう。(この辺りの事情については串間努・著の「少年」のふろく、に詳しい)

そうした事情から昭和30年代に入った頃より、紙を素材にしたもの、冊子形態のものが主流になってくる。ここで中心となったのは、漫画や絵物語といった絵による作品群だった。戦前に小説・読物の添え物的存在だった漫画は、風刺・日常のスケッチといった淡白な内容のものから、手塚治虫に代表されるストーリー漫画の台頭によって作品が長編化し、一回辺りの頁数もどんどん拡大していった。昭和20年代後半から30年代にかけて、少年雑誌のサイズが次々とA5版からB5版に移行していくのも、漫画や絵物語が誌面の中心となり、絵の緻密度が上がってきたことでより大きい版型が必要とされるようになってきたからだと考えられる。

はじめは読切物や、連載物の特別エピソードを付録にしていたが、誌面の拡大に伴い、まず本誌で作品のサワリを数頁載せて、あとは付録に続かせるといったスタイルが主流となった。有名な「鉄人28号」(横山光輝)(昭和31年〜)が連載当初、本誌には掲載されずに付録のみでストーリーが展開されていたのは、新しく登場してくる作品群が、これまでの雑誌の発表形態・規模では収まりきらなくなってきた事を示している。

連載作品の増加に伴って別冊も増えてくる。付録を殆どつけなかった「漫画少年」のような雑誌は、当然他社との競争に苦戦を強いられ、やがて休刊に追い込まれた。各社の競争は過熱し、本誌より厚いと言われた付録の数が雑誌の売れ行きを左右した。

この状況は、昭和34年を境に落ち着いてくる。この年に創刊された「少年サンデー」「少年マガジン」を皮切りに、「月刊」から「週刊」の時代に入ってくるからである。月に45回発行される週刊の速いペースに、別冊付録のスタイルは合わなかったのだろう。(なおサンデー・マガジンとも初期の号は別冊付録がついている)またテレビの普及による娯楽の多様化も、月刊誌を衰退させた要因と考えられる。雑誌の付録は、その後も小学館や学研の学習雑誌、また女性雑誌などでは別の盛り上がりを見せるが、少年雑誌における付録は徐々に衰退し、昭和40年代の半ばまでには主要な月刊誌は軒並み休刊していった。

 

蒐集品としての付録は、単行本に較べて現存数が多いため(当時、連載作品が単行本化することは稀だった)価格帯も比較的安価で、手軽にコレクションを形成することが出来、初心者でも手を出しやすいジャンルだったが、親しみを持つ世代が高齢化したこともあり、現在の蒐集家層には馴染みも薄れ以前ほどの賑わいはない。

高畠裕幸(徳尾書店)

 

Oギャラリーeyes HOME