ケースB ドゥ・ファンド (マンハッタン, NYC)     

  次に紹介するのは、再びNYの団体でアメリカ国内外のマスコミから注目を浴びているドゥ・ファンドというホームレスのための非営利団体である。現在アメリカの低所得者の半数以上が女性である事から、男性を中心とした就労トレーニングの数は少ない。日本のホームレスの殆どが男性であると言う事から、この団体の就労トレーニング活動を報告する事にきめた。 

【団体の歴史】

 ドゥ・ファンドは、1985年、ジョージ・マクドナルド氏とその妻ハリエットさんによってホームレスの自立を支援する非営利団体として生まれた。マクドナルド氏は、この団体をはじめる前はNJの大手スポーツ用品会社Spring Lake社で広告担当の重役をしていた。当時、本業のビジネスマンとして働く傍ら、ホームレス問題に関心を寄せていたマクドナルド氏は、ホームレス問題をスローガンとして民主党から議会と市議会へ計4回出馬したことがあるという。1985年、ついにマクドナルド氏はビジネスマンと言う肩書きをすて、其れまでの住まいからマンハッタンの高級住宅街であるアッパーイーストサイドの小さなマンションに引っ越し、この報告書で紹介したNYで最も古いと言われるホームレスの非営利団体Coalition for the Homeless:CFTHのボランティアとして働き始める。彼のCFTHでの仕事は、サンドイッチをNYの地下鉄の駅(グランドセントラルステーション)でホームレスに渡すことだった。

 CFTHのボランティア活動を通してマクドナルド氏は、「ホームレスに衣食住を無料で与えるだけではこの問題の抜本的解決にはならない」と考えはじめる。そして妻のハリエットさんと共に、仕事をつくりその仕事をホームレス達に与える事で彼等を支援する非営利団体を自費で設立することを決める。団体の名称である「ドゥ」は、路上でなくなった一人のホームレスの名前から来ており、この団体はそうして路上で身よりもなく亡くなっていったホームレスたちに追悼の思いを込めて創立された。

 「衣食住ではなく、仕事で人を助ける」をモットーに、ドゥ・ファンドはこれまで900人以上のホームレスの人々を路上から救済してきた。ドゥ・ファンドの「Ready, Willing and Ableプログラム(以下RWAと省略)」はホームレスの人々を雇い、就労トレーニングとしてマンハッタン市内を清掃するというユニークな活動で、せっせと真面目に街を掃除するホームレス達の姿は「怠け者」、「きたない」、「社会のごみ」、などというホームレスに対する偏見をなくすうえで大きな役割を果たしている。

 1999年、ドゥ・ファンドはNY市内の活動成功を弾みにワシントンDCへと活動範囲を広げるが、DCの地元支持を得られず、ドゥ・ファンドDC支部は昨年2000年に閉鎖される事になる。「最も実用・現実的なホームレス支援団体」という高い評価を受ける反面、そのプログラムの内容から「ホームレスの労働力を搾取しているだけの白人の人種差別的偽善活動」などという非難も受け、紆余曲折の活動を続けているドゥ・ファンドだが、NY市内での活動範囲は着実に拡大しているユニークな団体である。

【ドゥ・ファンドの団体宣言】

 ドゥ・ファンドは、NYを拠点としてホームレス状態にあった人々の自立を支援する為活動する非営利団体である。ホームレス状態にあった人々がきちんと社会復帰し、自立するために必要な就労能力と社会適応能力の養成および就労経験を積むことを支援するのがドゥ・ファンドの目標である。

 ドゥ・ファンドは衣食住を無料で提供する事だけで、ホームレス問題は解決できないと考える。ドゥファンドは「Work Works: 仕事で支援する」ということをモットーに、ホームレス問題の解決を手がけている。我々は、給与が支払われる仕事には人間にやる気を与えるパワーがあると強く信じている。ドゥ・ファンドのReady, Willing & Able(RWA)プログラムは、ホームレスの人々が自尊感情と自立するために必要なバイタリティを再構築できるスコープの広い環境とプログラムを提供している。

 我々が提供するプログラムは現実的で実用的で、長期的な効果を生む事を目指している。卒業生のうち62パーセントが定職を持ち、フォローアップ期間中3年間安定した住居に住んでいる事実から分かるように、我々のモットー通り「仕事で人が働けるよう支援する」事は可能だということをドゥ・ファンドは証明している。

 原文

The Doe Fund is a New York based non-profit organization whose mission is to help formerly homeless men and women achieve lives of independence and self-sufficiency.  The Doe Fund’s primary goal is to provide these individuals with the job skills training, social support services and the paid employment experience necessary to secure and maintain private sector employment and self-supporting housing.

              Inspired by the notion that helping the homeless is more than just giving them a handout, The Doe Fund philosophy is based on the premise that “Work Works”.  We bleieve in the power of a paid job.  The Doe Fund’s Ready, Willing& Able program provides a holistic, structured environment in which homeless men and women can restore their self-esteem and regain power over their lives by becoming self-sufficient and productive members of society.

              Clearly demonstrating the long-term positive effects of Ready, Willing& Able and our philosophy that work does indeed work, 62% of those who enter the program graduate to permanent jobs and remain housed for follow-up periods of up to 3 years.  (ドゥ・ファンド提供資料より引用・翻訳)


インタビューから・・・・

(エリザベス・リオン・エティエルさん、アルトン・ジョンソンさん、その他のスタッフとの会談を元に)

 【自立へのハードル】

―ドゥ・ファンドが指摘する元ホームレスが就職する上で困難な点

  ドゥ・ファンドのRWAプログラムの参加者の多くは、市内に住むマイノリティの貧困層たちである。彼らは麻薬、特に値段の安い「クラック」という麻薬(コカインの一種)の依存症が最も多い人口層でもある。プログラムディレクターのジョンソンさんの話では、これらの就労トレーニングを行っている人々の多くが麻薬中毒のため仕事や家族、家を失い、ホームレスになっているため、彼らが就職するにあたって最も大きなハードルは「依存症を乗り越える」という事であるようだ。実際、その問題点を指摘するジョンソンさん自身も麻薬中毒で全てを失いかけた経験の持ち主で、彼がドゥ・ファンドを通じてどのように自立したかは後で紹介する。その他の点は精神病、慢性的な低価格の住宅不足など他の団体が指摘しているものと共通している。

 NY市内の住宅事情の悪さは世界的にも有名である。それに加え、麻薬の浸透、特にスラム化したイーストハーレム地域では、日中でも麻薬が平然と取引されており、誰でも金さえ出せば簡単に麻薬が買えるという状況である。イーストハーレムは黒人やヒスパニック系が多く住んでいるところでもある。ドゥ・ファンドのプログラムの参加者のうち、殆どが黒人あるいはヒスパニック系の麻薬中毒者である事は、このハーレムの麻薬事情とホームレス問題が深く関わっていること示唆している。

 しかし、住宅事情と麻薬の普及だけが多くの失業者とホームレスを生んだわけではないことはここで特記しておかなければならない。DCセントラルキッチンのところで少し触れたが、アメリカの産業構造の変化は現在のホームレス問題に深く関係している。1950年代までアメリカの産業は重工業が中心で、アメリカの都市部には重工業の工場が広がり、市内には工場労働者として働く移民やマイノリティが数多く住んでいた。1960年代に入りアメリカ産業は重工業からサービス業、コンピューター開発などが中心となっていき、市内にあった工場はどんどん安くて広い土地のある郊外へと移っていった。しかし、工場で働く低賃金労働者は、市内に取り残されていった。

 低賃金労働者達が働いていた工場の移動ともに郊外に移らなかった理由はいくつかある。まず、彼らの勤め先である工場がある郊外まで通勤するには時間とお金がかかるということ。日本のようにアメリカは公共交通機関が発達していないため、郊外まで通勤するには車が必要不可欠となる。しかし、低収入の彼らは車を買ってメインテナンスするだけの経済的余裕がなかった。実際車のローン、ガソリン代、修理代のほうが彼らの月給を上回ることが多く、郊外の工場までの車での通勤は不可能に等しかった。さらに郊外に住む上流および中産階級の住民は低所得者が近所に増える事を毛嫌いするため、公営住宅建設は低所得者の仕事が豊富にある郊外に立てられる事は殆どなく、同じ理由で郊外の住宅の賃貸料や家の値段は高く設定された。これらの労働者の多くがマイノリティであり、郊外に住む人々の多くが白人であるという人種問題も、仕事が消えていく市内に低所得者であるマイノリティを閉じ込めてしまった原因の一つである。

 結果、多くのマイノリティ下層階級が都市部に残され、慢性の失業状態が生まれていった。1980年代からの市内の麻薬の普及は、その慢性の失業状態に拍車をかけていき低所得地域のスラム化を進めた。工場で男らしく肉体労働をする父親が失業し、麻薬や酒におぼれて、家庭を崩壊させていくのを見て育った多くの子供達が親と同じ道をたどる−という悪循環が全米の都市部で慢性的に生産され、再生産しつづけられている。この根深い原因が現在のアメリカのホームレス問題解決を難しくしていると言える。(参考資料:P. Bourgois. “In Search of Respect”J.W.Wilson. “The Truly Disadvantaged” & “When Work Disappears”)。

 また、最近の社会学者の研究では、都市部のマイノリティ低所得者層の男性の多くは、サービス業よりも肉体労働を好む傾向があると報告されている。これは彼らの前世代が肉体労働をして家庭を支えていたという古き良き時代だった過去への憧憬と、サービス業は「女々しい」が、肉体労働は「男らしい」というジェンダー的価値観を彼らが持っているためだと言われている。安定して給料の良い肉体労働の就職口の数は、市内ではとても限られているため、いかなる理由であれ彼らの持つ就職に対する好みは、彼らが市内で就職口を見つけていくうえで大きなハードルになっていることは確かである。


【ドゥ・ファンドのプログラム】

 [T] 就労トレーニングプログラム:Ready, Willing & Ableプログラム(RWAプログラム)

 [活動内容と目的の主旨]

 RWAプログラムとは、ドゥ・ファンドのシェルター内での清掃管理作業と就労作業を通して行われる就労トレーニングのことで、このプログラムはホームレスの人々に仕事を与え、彼らに自主的に努力させることによって自立能力を高める手助けをしている。「衣食住を与えるだけで他人の自立は支援できない。自立の支援は、ホームレス達が自分で働き給与を得て自活する事の大切さを知るチャンスを与える事だ。」という創立者のマクドナルド氏の信条から、このプログラムは彼らに麻薬やアルコールを自分の意志で断ち切り、自分で自分の生活を築き上げる能力を養う支援をしている。

 RWAはホームレスのなかでも、最も自立が困難だと言われているアルコールや麻薬の依存症を持っているが、肉体的には健康な独身男性を対象とした支援プログラムである。RWAはこれらの人々に人生をやり直すよう激励し、過ちを正すチャンスを待ち望んでいる人々にチャンスを与え、自立した社会の一員になるために必要なトレーニングを提供することを目標にしている。

【参加資格】

  RWAの参加資格は基本的には、@)麻薬やアルコールの依存症を絶ち切り、そのライフスタイルを継続する意志がある、A)精神・身体的に健康である、B)仕事をする意志がある、ということだけで性別、年齢、人種、宗教などは関係ないことになっている。しかし、就労トレーニングの内容が肉体的にハードなため、女性や高齢者は向いていない。現在、ドゥ・ファンドでは女性のホームレスのニーズに合った就労トレーニングも開発中である。ディレクターのジョンソンさんの話では、トレーニング参加者が60歳以上の高齢者の場合は、室内の作業にふりあて、なるべく屋外の肉体労働はさせないようにしているらしい。これは高齢者を屋外の作業に当てると「老人をこき使っているという」マイナスのイメージを作りかねない懸念のためだという。

 プログラムの内容上、性別や年齢の若干の制限はあるが、とにかく自分で薬物を絶ちきると約束ができ、精神・身体的に健康であり、プログラムの内容である肉体労働をこなせるのであれば誰でも参加できることになっている。薬物やアルコールの専門のリハビリを受けたりする必要も、紹介状をもってくる必要も一切ない。ただし、他の団体の就労トレーニング参加規約と大きく異なる点は、ドゥ・ファンドのRWAプログラムに参加したと同時に公的医療補助であるメディケア以外の福祉手当の受給を一切合切やめなくてはならないことになっている。公的手当てを受けず、どのように参加者が生活しているかについは給与手当てのところで詳しく述べることにする。

 参加者の構成は殆どがアフリカン・アメリカンで、年齢は22歳から60歳までの幅があり、参加者の平均年齢は40代前後である。学歴は参加者の40%が高校中退・中卒、38%が高卒あるいは其れに匹敵する資格を持ってい。22%の参加者が大学に入学した経験があるが、そのうちの2%だけが大学卒業資格を持っている。就労トレーニング活動の内容が肉体労働である為、参加者の殆どが男性である。全員が麻薬を用いた経験があり、それが原因でホームレスになった人達である。ホームレスであった期間は其々異なるが(最低1ヶ月〜最高20)、平均はおよそ8ヶ月ぐらいである。過去の調査によると参加者の3分の21年から其れ以下の間ホームレス状態にあったと報告されており、現在も殆ど変わらないと思われる。ホームレスの期間に関わらず、半分以上の参加者が12ヶ月以上失業・不就労状態にあり、参加者の失業・不就労状態の平均期間は18ヶ月(1年半)である(ドゥ・ファンド提供資料より引用)。

  薬物・アルコール依存症専門のリハビリテーションの特別施設をドゥ・ファンドは運営していないので、このプログラムに参加しても心療医療的なリハビリ[1]は受けられない。しかし、ディレクターのジョンソンさんいわく、心療医療用のリハビリだけが依存症の克服方法ではないし、依存症があってもここに来てすぐ働き出して依存症を克服し自立していった人は沢山いるため、特にドゥ・ファンドでは心療医療リハビリテーションが絶対に必要だとは考えていない。

 参加者の大半は、ドゥ・ファンドの運営するシェルターと市が運営するシェルターから来ている。ドゥ・ファンドのシェルターも市から認定されているシェルターだが、その中での運営の仕方はドゥ・ファンドに任されているため、参加者は行政の手続きなどなしに、直ぐ就労トレーニングに参加できるようになっている。他の団体から紹介されて来ると言うパターンもあるし、卒業生から紹介されてくるパターンもあり様々である。                            

 【給与手当と貯金】

 ドゥ・ファンドの就労プログラムに参加すると医療援助以外すべての公的福祉手当の受給を止めなくてはならない事は既に述べた。しかし、このプログラムに参加すると同時に参加者は月々60ドル(6−7,000)の給与が払われることになっている。他の就労トレーニングと違い、ドゥ・ファンドの就労トレーニングは福祉受給期間中に受ける就労トレーニングと見なされない。いきなり本当の賃金労働がトレーニングとしてはじまるのである。就労トレーニング参加者に給与を支払うプログラムは他にもあるが、福祉手当受給を禁止させるプログラムは他にあまり例がない。福祉の受給をやめさせるのは、働く事で自立していくと言う方法をドゥ・ファンドは強調しているためである。また必要以上のお金を与える事でお酒や麻薬を買わせないようにするためでもある。手当を受けず月々60ドルだけの給与でどうやって参加者は生活するのかと言うと、参加者はすべてドゥ・ファンドが運営するシェルターあるいは市内のシェルターや支援住宅で寝泊りしているため家賃をまず払う必要がない上に、シェルターでは無料の食事や衣服も提供されるため、参加者は福祉手当てが無くてもやっていけるようになっているのだ。

 プログラムは3つの期間に分かれており、第1期間が終了するとRWAの参加者は次ぎのステップである「ワークアサインメント」というプログラムが始まる。この2期目のプログラム期間中は、1時間につき5ドル50セント(最低賃金より若干上回る)という時給で給与が支払われるようになる。給料は週ごとに支払われるが、その給料のうち50ドルは家賃、15ドルは食事代としてドゥ・ファンドに払わなくてはいけない。さらに給料のうち30ドルは貯金しなくてはならず、その貯金は訓練生が卒業するまでドゥ・ファンドによって保管され、卒業後の自立への資金として卒業後渡されることになっている。プログラムを卒業するには最低1000ドルの貯金をしなくてはいけないことになっている。このシステムは働いて稼いだお金を計画的に使うという能力を伸ばすために行われている。

【カリキュラムと規則】

@規則

 とにかく、麻薬に手を出さない事、これはドゥ・ファンドのプログラムに参加し、それをつづけるにあたっての鉄則である。その他は、ケースワーカーの指導に従う、指導された活動はきちんとこなす、シェルター内で問題(喧嘩など)を起こさない、チームワークを乱す事をしないこと、遅刻しないなど、ごく一般的な規則である。たいていの場合きちんと守られるが、違反者は時折出てくる。規則の違反者は警告を受け、再度違反をするとプログラム継続が出来なくなる。麻薬の使用に関しては、見つかると即プログラムを去らなくてはならない。

Aカリキュラム

 プログラムは平均12ヶ月から18ヶ月(1年から1年半)続き、3つの期間に分かれている。第1期間は30日間で、まずオリエンテーションからプログラムがはじまる。オリエンテーションではまずプログラムを参加・継続するために従わなくてはならないルールが、ケースワーカーマネージャーのクレッグさんから説明される。クレッグさんはこのプログラムの卒業生である。このオリエンテーションの後は、参加者はドゥ・ファンドのトレードマークでもあるブルーのユニフォームを着て清掃活動のフィールドワークにすぐ参加していく。

 屋内の清掃活動は、シェルター内の掃除管理、屋外の清掃活動はマンハッタン市内各地ならびにブルックリン、クイーンズの一角で行われる。清掃活動の内容はとにかく街中とシェルター内を綺麗に掃除すると言う事である。ごみを拾って、道を掃く、雪の日は歩行者が歩きやすくするために道路の雪かきをするなどが主な作業の内容である。この作業は班ごとに行われ、一つの班につき5人の作業訓練生と一人のケースワーカーがふりあてられる。ケースワーカーたちは訓練生に作業の指示を与え、また彼らの作業中の態度をチェックし、やる気があるかどうかなどを判断をする。怠惰な態度はいっさい許されない。参加者は毎日4時間、この清掃活動に参加しその他の時間は「ライフ・スキル」すなわち生活基礎能力のクラスに出席しなければならない。この授業はソーシャルワーカー、カウンセラーによって、ホームレス状態で生活していたときに身につけた自己中心的な志向や生活態度の改善のグループカウンセリングや社会で自立していくために必要な常識、価値観、マナーなどが指導される。

 清掃作業の時間はシフト制で、朝6時から朝10時、朝10時から昼の2時、昼3時から夕方7時、夕方7時から夜11時など朝、昼、晩のシフトがある。どのシフトを選ぶかはケースワーカーと訓練生が相談して決められる。作業のシフトが朝の者は午後の時間を使って生活能力の授業を受け、夜のシフトの者は朝の授業に出なければならない。その他の時間は、シェルター内で仲間やケースワーカーと一緒に時間を過ごすというのが一般的な彼らの日課である。シェルター内では、朝から夜までケースワーカが常勤しており、いつでも訓練生の相談に乗ったり話し相手になれるようになっている。

 手当てのところで触れたが、プログラムの第1期間中、参加者は実習に対して週15ドルの給与が支払われる。しかし、食事代やシェルターに寝泊りする家賃は払わなくて良い。給料日は毎週水曜日で現金で支払われる。給料日の前に抜き打ちで麻薬・アルコール検査が行われる。薬物やアルコールの使用をしている事が分かれば、警告あるいは麻薬使用の場合はプログラムから即除名される。

 30日間の第1期間が終わると、プログラムの内容は若干変わる。フィールドワークである街中の清掃活動はそのまま続けられるが、プログラムの第2期中訓練生は各自一定の仕事を割り当てられ、社会に復活し働いていける就労技術を徐々に伸ばす作業活動トレーニングが始まる。就労トレーニングの内容は様々で、どの技術トレーニングを学ぶかはケースワーカーと参加者が相談をして決めらる。

 参加者に関心があればコンピューターのレッスンもこの期間から受け始める事が出来る。コンピューターのクラスは毎日あるわけではないが、コンピュータールームは朝9時からから午後10時まで開いており、自由に出入りできるようになっている。ケースワーカーの一人であるクレッグさんもこのドゥ・ファンドでコンピューターの使い方を学んだ一人である。その他、高校卒業資格のための勉強にもこの時期に取り組む事ができる。クレッグさんもここで勉強して高校卒業資格(GED)を取得した。

 DCセントラルキッチンのように調理就労トレーニングもあり、それはシェルター内のキッチンで行われる。ドゥ・ファンドのジョージ・マクドナルド氏とDCセントラルキッチンのロバート・エガー氏はお互い意見を交わした事があるらしく、恐らくこのアイデアはDCセントラルキッチンから来ていると思われる。このプログラムでは訓練生の調理就労トレーニングと同時にドゥ・ファンドが運営するシェルターの人々のために900食の食事も作っている。しかし、このプログラムの規模はDCセントラルキッチンに比べ小さく、食料の救済活動などは一切しておらず、参加者も他の就労トレーニングにくらべ少ないが、レストランや食品関係の仕事につきたいと考える人の為に用意された就労トレーニングであることは確かである。このように様々な就労トレーニングが用意されているが、殆どの参加者が選ぶ就労トレーニングは肉体労働、つまりビル整備、メインテナンス、ビルの建設現場での仕事などである。

 第2期は第1期同様に、ライフスキル(生活能力)の授業や薬物依存症を乗り越えるためのクラスやミーティング、そしてどうしたらホームレス状態に再び戻らずに自立を継続させていけるかということを教える授業が続けられ、参加者は第2期も第1期同様出席していかなければならない。第2期間は第1期間で養成され試された生活能力とやる気をさらに伸ばすために、実際の社会での生活と近い生活をするシミュレーション(自分の給料から家賃と食事代を負担する)が始まる。給与手当てのところで既に言及したが、プログラム参加者は第2期がはじまると時給5ドル50セントあるいはそれ以上(作業の内容による)を受け取り、そのうち毎週50ドルをシェルターの宿泊代として収め、15ドルは食事代、そして30ドルは卒業後の生活のために貯金として差し引かれる。つまり、家賃を月200ドル、食事代月60ドル支払い、さらに貯金を月120ドルしなければならないのである。この貯金制度によって訓練生は卒業までに大体1000ドル(0〜12万円)を貯める事が出来、貯金は卒業後の生活のために使うようプログラムを卒業してから少しづつケースワーカーによって卒業生に渡されていく。

 プログラム第2期間中もケースワーカーとスパーバイザーは参加者の活動内容を観察し、2週間ごと彼らがきちんと就労トレーニングやライフスキルトレーニングを受けているかどうかチェックする。そして各生徒ごとに報告書を作成し、彼らが次ぎのステップへの準備が出来ているかどうかが評価される。第2期から第3期の就職活動プログラム開始までの期間は個人の活動内容とやる気や努力によって差があるが、大体10ヶ月程度が一般的にかかる期間だという。また18ヶ月以上プログラムに参加する事はできないため、18ヶ月たっても第3期である就職活動に参加する準備が出来無い者はプログラムをやめなくてはならない。

 第3期は、訓練生が社会に出て安定し、自立した生活を送ることができるような仕事を見つける準備がはじめられる。参加者はこの期間中、6週間にわたるコンピューターの授業と職業準備トレーニングの授業を必修しなくてはならない。其れまでは個人の意思によってコンピューターの授業は受ける事が出来たが、この期間は全員が6週間コンピューターの基本的な使い方を学ばなければならない事になっている。この期間、訓練生は安定・自立した生活を築く事が出来るフルタイムの仕事や住宅の探し方も学ばなくてはならない。また、雇用者側に印象の良い履歴書の書き方、面接時に聞かれる質問に誠実に前向きに対応する練習、どうすれば仕事を続けていけるか、仕事場での対人関係、仕事に対する姿勢、困難な状況に立たされたときの対処の仕方、そして仕事や生活からくるストレスの対応の仕方などもこの期間にケースワーカーや職業カウンセラーから指導される。

 この就職活動プログラムは、ドゥ・ファンドの就職開発チームによって指導され、このチームは現在様々な大手の企業と提携を組み、卒業生の安定した就職先の拡大に力を入れている。就職開発チームのメンバーは、訓練生一人一人に適した仕事を見つけ、面接を取りつける手助けをおこない、できるかぎり訓練生が手当てのついた安定した給料の職場で働けるよう就職指導している。また訓練生がきちんと就職活動を続けているかどうかも、このプログラムのスタッフ(カウンセラー)によってチェックされる。現在RWAプログラムの卒業生の卒業後1年目の平均収入は時給8ドル50セントから9ドルで、プログラム卒業生の主な就職先は、建設業、ビル整備・メインテナンス、ホテルや高級マンションのガードマンやドアマン、レストラン、ダイレクトメール製作業などである。

 およそ4割程度の者がプロうグラム参加から1年以内で仕事を見つけていっている。毎年、プログラム参加者の全員のうち約60%以上が(卒業までにかかる時間は個人差がある)就職してプログラムを無事に卒業していっている。就職先の内訳をみると、ドゥ・ファンド以外のところへ就職をする卒業生は45%、ドゥ・ファンドへ就職していく卒業生の割合はおよそ17%程度で、この数字を見ると卒業生の殆どがドゥ・ファンド以外のところへ就職しているが、ドゥ・ファンド自身も彼らの大きな就職先であることが分かる。過去の調査結果によると就職をした卒業生のうち約8割が卒業してから少なくとも3ヶ月間は就労状態を保っている。つまり当初参加した内の約半分以上は仕事を見つけ、少なくとも3ヶ月以上は就労状態を続けている。しかし、言いかえればプログラムに参加したうちのおよそ半分しか自立を継続できていないとも解釈でき、いかに依存症を絶ちきって自立し、そしてそれを継続するのが難しいかがうかがえる。

 しかし、過去の調査結果を見てみると、ドゥ・ファンドに参加した人々のうち60%以上のひとが参加してから1年半〜3年半までの間に最終的にプログラムを終え自立しその状態を続けている。これは、初めの参加で上手く行かなかった人がもう一度プログラムに戻ってきてから卒業できた事を示唆している。またRWAに参加してから3年半後の追跡調査で就職状態にないと答えた元参加者/卒業生のうち、7%がRWAプログラムに再度参加中、10%が依存症の専門の治療を施設で受けており、20%は参加して3年半たった後の行方が分からないとなっている。これらのデータを見た限りで言えることは、ドゥ・ファンドのRWAプログラムは一夜でホームレスを一掃したとはいえないものの少なくともこの活動を通しドゥ・ファンドは徐々にホームレス人々を路上よりもましな環境へと導いていっているといって良いのではないだろうか。(ドゥ・ファンド提供資料参照)


  【プログラム卒業とRWAアフターケアプログラム】

−ドゥ・ファンドは第2の故郷

 

 ドゥ・ファンドのプログラムを卒業するには訓練生は以下の規定を満たさなければいけない。

 @) 麻薬・アルコールを絶ちきっていること

 A)時給8ドル50セント以上および手当てのついた就職先が内定していること

 B)公的支援住宅ではなく一般住宅への入居が決まっている事

 他のプログラムでは、就職先が決まっており、依存症の克服ができれば卒業とみなされているが、ドゥ・ファンドではきちんと一般の住宅に移り住んで生活を保てるようになってはじめて卒業と見なされる。これらの条件が満たされればいよいよ卒業式である。卒業式は毎年3月の下旬、ドゥ・ファンドの事務所の近くにある教会で行われる。私も招待を受けたがあいにくその日私は大学で講義をしなくてはならなかったため出席できなかった。しかし今年は日本からTBSがこの卒業式の取材に来る予定になっていた。

 

 卒業後は、RWAアフターケアサービスプログラムが五年間ケース−ワーカによって行われる。初めの半年間はアフターケアプログラムのケースワーカーが卒業生の家と仕事場に月2回訪ね、彼らが問題なく仕事を続けられているか、薬物・アルコールを絶ちつづけられているか、家賃をきちんと払っているかどうかなどがチェックされる。この期間中、ケースワーカーは卒業生の雇用者とも連絡をとり、卒業生がきちんと働いているかどうかチェックをする。もし問題がある場合は卒業生または場合によっては雇用者とケースワーカーは話をし、問題が解決のため仲介役をつとめることになっている。

 プログラム参加期間中に貯めた1000ドルはこのアフターケアプログラムを通して月々200ドルづつ5ヶ月間かけて卒業生に返されていく。しかし、この貯金を受け取るには卒業生は麻薬や酒を絶ちつづけ、自立を継続していなくてはならず、またケースワーカーとの定期的な面会をきちんとしていなくてはならない。さらに、卒業生は月に一回の他の卒業生達と一緒にドゥ・ファンドで行われるピア・カウンセリングに参加しなくてはならないことにもなっている。ピアカウンセリングではドゥ・ファンドから卒業した人達が互いに問題を持ちより、どうやってそれを乗り越えていくべきかが話し合われる。このカウンセリングは卒業生が自立してから問題に直面したとき、孤独に悩むのではなく、他の卒業生と話し合い、お互いを励ます機会として大変役に立っているという。

 ケースワーカーのボニ−・ホルツマンさんの話によると、卒業生の多くが就職後直面する共通の問題は、仕事仲間にお酒を飲みに誘われたときの対応の仕方である。雇用者は彼らが薬物・アルコール依存症で元ホームレスであった事を知っているが、他の従業員には告げられていないことが多い。このような問題に対しドゥ・ファンドのケースワーカーは、お酒を飲みに誘われ断りつづけて仕事仲間との関係をギクシャクさせたり、依存症である事を隠すために無理に誘いにのり酒の誘惑に負けてしまうより、自分が依存症のリハビリを受けている事を正々堂々と相手に告げ、クラブやバーに飲みには行けないが一緒にご飯を食べるのなら付き合えるなど、正直に誠実に接する事をピアカウンセリングの際に勧めていると言う。また、カウンセラーは雇用者側にも理解を求め、社内でパーティをする場合はなるべくノンアルコールでもOKな昼食会にしたりするよう頼んだりするようにしている。

 

 ホームレス、依存症を持つ人々の自立の道のりは厳しくて長い。このプログラムに参加してからの期間は「自立」までの道のりというより、「自立」と言う長い道のりが続いていくドアの前までの距離でしかない。彼らの多くがホームレス、依存症、犯罪という人生のわき道に逸れ、その過程で友人、家族を失っていった。ドゥ・ファンドに入って、支援してくれるネットワークを見つけ、そして経済的に自立していけたとしても、復帰した社会に必ずしも彼らの居場所があるとは限らない。彼らの本当の試練はその時点からはじまるのだ。ドゥ・ファンドでは、こうして5年にわたる長期のアフターケアをする事によって、せっかく自立できた彼らが再び社会の孤独の陰に飲み込まれないよう、ここで築いたネットワークを将来も保っていけるように様々なサービスを提供している。ドゥ・ファンドは、この団体が彼らの第2の故郷となるように努めており、実際にそうなっていっている。


[V] コミュニティー改善プロジェクト

 コミュニティー改善プロジェクトはRWAの清掃活動の正式名称で、この活動は先に報告した就労トレーニングの目的のほかに、ホームレスへの偏見を無くしていく目的をもって行われている。ドゥ・ファンドの訓練生が着るユニフォームは明るいブルーの作業服で、ユニフォームの背中にはドゥ・ファンドのロゴであるReady, Willing & Ableがはいっている。袖にはアメリカの国旗とRWAのロゴが入っていて、とにかく目立ってかっこいいデザインになっており、街を行く人々の目にとまるようになっている。これは創立者のマクドナルド氏の提案で、「ホームレスだって社会貢献している社会の一員なんだ」と言う事を一般市民にアピールするために作られた。一流企業の広告課の元重役らしい発想だが、実際このユニフォームのお陰でこの活動は地域の温かい関心をよんでいる。

 元ホームレスによる地域の清掃プログラムである、このコミュニティー改善プロジェクトは、アッパーイーストサイド(マンハッタンの超高級住宅地)ではじめられた。活動開始直後、地域の人々の間で「町を綺麗にしてくれるブルーのユニフォームを着た人々は一体誰?、何処からきているのだ?」と話題になり、彼らは自立を目指して訓練中のホームレスだということがわかってからは地元の新聞に取り上げられるようになり、お陰でアッパーイーストサイドに住む資産家からドゥ・ファンドへの寄付も増えたという。

 アッパーイーストでの成功と経験をもとに、現在ではウエストサイド、ブルックリン、クィーンズと活動範囲を伸ばしている。作業の内容は先に述べたが、通りと公園の清掃から、花壇の整理など街の景観を美しくすることで、ごみだらけになりがちなマンハッタンの住民からからとてもありがたがられている。


[X] 改装・修理プロジェクト

 このプログラムは、ドゥ・ファンドとニューヨーク市が提携して行っているもので、市が所有する老朽化したアパートの改装や修理をドゥ・ファンドの訓練生によって行うというプログラムである。このプログラムのプロジェクトはドゥ・ファンドの活動資金の収入源になっているだけでなく、RWAプログラムの訓練生が建設現場で働く技術を身につける就労トレーニングの機会にもなっている。


[Y]ニュージャージーRWA&コンピューター教室センター

 ニュージャージー州ジャージーシティに、1998年ドゥ・ファンド・ニュージャージー支部がつくられた。この支部は元YMCA会館を改造して作られたもので、NYでの経験をもとに現在28人の元ホームレスだった人々への自立支援活動が行われている。ここでもコミュニティー改善活動(清掃活動)が行われており、ドゥ・ファンドのプログラムの卒業生4名がケースワーカーとして働いている。

 ニュージャージー支部では、行政の都市開発・建設課からの資金援助によって、コンピューター教室センターが開設した。このセンターができたことによって、コンピューターに関心のある訓練生に、より充実した内容のコンピューター技術を教授する事が出来るようになったという。


[Z]NYバックオフィス

 これは大手企業のダイレクトメールの処理を行うプログラムで、このプログラムを通じ訓練生は就職するときに役に立つ基礎的なコンピューター技能およびデータ処理技術を学ぶ事ができるようになっている。プログラムオフィスはブロンクスにあり、このプログラムに参加している企業はトヨタ、シティバンク、キャノン、フィルギア&ソンズ、NY私立美術館、ハーバー&ソンズ、ならびに地域の大学や非営利団体である。NYバックオフィスは、トヨタとキャノンと契約を結び、これら企業の重役の為にインターネットサーベイを行っており、バックオフィスの従業員は、インターネットのウェブサイトを探し、ニュースやデータを集めレポートにし、毎日これらの企業の重役達に送っている。こうして就労トレーニングもできるうえに、活動資金の確保もでき一石二鳥のプログラムであると言える。


 [[]支援住宅

 ドゥ・ファンドは3種類の住宅を持っている。一つはシェルターで、RWAのプログラムの参加者が寝泊りをしているところ、もう一つはベタープレイスというエイズ患者達のための永久型支援住宅、そして最後は卒業生及び低所得者達が短期間利用できるピータージェイシャープ通勤寮である。

@ベタープレイス 

 ベタープレイスは、ドゥ・ファンドが運営する支援住宅の一つで、これは次に紹介するピーター・ジェイ・シャープ通勤寮と違い、自立する事が出来ないエイズ患者の人々の為の住宅である。ベタープレイスは、エイズに感染した事によって(あるいはエイズに感染していることが分かった事によって)仕事を失い自立しつづけられなくなり、ホームレス状態に逆戻り寸前となってドゥ・ファンドに再び戻ってきた多くの卒業生達の為に、ドゥ・ファンドによって1996年アッパーイーストサイドに建設された。事情によって自立できない人の為に、バスの停留所や地下鉄の通路、そして街の路上より「もっといい場所」(ベタープレイス)が無くてはならないと言う考えからこの住宅は生まれた。

 この住宅は長期住居用に作られており、永久的に住みつづける事が出来る。この住宅の中には24時間常に住居者のためのサービスが用意されており、彼らの精神的自立を応援する一方で、彼らが安全に心身ともに平穏に暮らしていけるよう様々な支援サービスがなされている。ここでは、栄養価が高い食事が提供され、スタッフによって住居者が孤立してしまわないよう心と体のケアがなされている。現在入居者は28名で、アッパーイーストサイドでは唯一のエイズ患者のための支援住宅として存在している。入居条件は、エイズ感染者である事、そして歩行が出来、精神・肉体的にある程度安定していること、さらに麻薬依存症でないあるいはその治療を受けていなければならない。入居者は公的福祉援助を受けてもよいことになっている。

Aピーター・ジェイ・シャープ住宅(PJS住宅)

 ピーター・ジェイ・シャープ住宅は、NY市の住宅保存・建設課とリッチマングループという団体によって組織されている低税金住宅支援の援助によって作られた通勤寮である。PJS住宅は1999年に開設され、RWAの卒業生たちが卒業から生活が安定する初めの1年から2年までの間通勤寮として利用できるようにと、生まれた住宅であるが、入居者はRWAの卒業生に限らず低所得であれば入居できる事になっている。

 マンハッタンの住宅状況の悪さを考慮して建てられたこの住宅は、独身寮で全部屋すべてワンルームマンションとしてデザインされている。PJS住宅はインテリアデザイナーのハリー・シュナッパー氏によってデザインされた綺麗な住宅で、6階建てで中には大型スクリーンのテレビがあるリクリエーションルーム、ジム(ジムの運動器具はNYスポーツクラブから寄付されたものだが新品同様)、食堂、ランドリールーム、メールボックス、24時間のガードマン、そしてとても美しい中庭がなどが設置されている。

 家賃は入居者の収入によって違うが、大体平均350ドルから400ドルで、現在支払われている家賃の最低は200ドル強、最高は400ドル強と、マンハッタンの同レベルのワンルームマンションの平均が1,500ドルから2,000ドルである事を考えると、格安であることは間違いない。入居者の条件は、まず仕事を持っており、麻薬・アルコールの依存症がない(あるいはそのリハビリを受けている事)、収入が9,000ドル以上か23,000ドル未満でなくてはならない。この住宅は先に紹介したベタープレイス住宅とは違い、あくまでも通勤寮で永久住宅用では無いため、住居者は二年以上住みつづける事は原則として出来ない事になっている。しかし、身体障害などの特別な理由があって他の一般住宅への入居が難しい人は2年以上住みつづける事ができる場合もある。性別は入居条件の規定にはないが、現在殆どが男性で女性は7名と少ない。

 住宅内での規則は、麻薬を使わない事はもちろんのこと、他の住人の迷惑になる行為をしない事など、一般的な住宅のそれと殆ど変わりはない。2週間以内であれば、友達や家族が泊まりにきてもよいことになっている。

 寮にはケースワーカーが常勤しており、住人の相談相手となっている。今後は、高校卒業資格取得のための授業や住人同士の集いなどが定期的に行われることになっている。



[1] 専門的な心療医療的依存症のリハビリテーションは公的な施設で行われる事が多い。その内容はまず6ヶ月間グループカウンセリングによって依存症に陥った自分自身の中の弱さに直視しそれを自認する精神的トレーニングが行われる。その後は初めの6ヶ月間で崩れた自尊心を新しい健全な自尊心にくみた直すためのカウンセリングと就労プログラムなどへの参加していく、というのが一般的な心療医療的依存症リハビリテーションである。ドゥ・ファンドはこの初めの6ヶ月間を飛ばしていきなり就労トレーニングをはじめるてリハビリをおこなっている。


【サクセスストーリー】

 ドゥ・ファンドのウェブサイトに行くと卒業生たちのサクセスストーリを読む事が出来る。その全てをここで紹介するのは紙面と時間の都合でできないが、ドゥ・ファンドのディレクターであるアルトン・ジョンソンのサクセスストーリーをここで紹介しようと思う。

 アルトン・ジョンソンさん

 1996年、ドゥ・ファンドは大きなステップを踏んだ。イーストハーレムのNY市営のホームレスシェルターをドゥ・ファンドが引き取り運営する事になったのだ。このシェルターはヤンキースタジアムを対岸に望むハーレム川沿いにあり、ドゥ・ファンドが引き取ったときは、犯罪と麻薬の巣窟であった。ドゥ・ファンドはそのシェルターを改善し、生産的な就労トレーニングプログラムを支える拠点にすることを計画していた。そして、そのシェルターの改善プロジェクトのディレクターに、アルトン・ジョンソンを抜擢した。

 アルと言うニックネームで親しまれているアルトン・ジョンソンは、正確にはこのプログラムの卒業生ではない。しかし、このプログラムによって人生を立て直したという点では、このプログラムの訓練生にとっては立派な先輩である。

 アルは現在RWAプログラムの地域プログラムディレクターを務めている。中産階級の子供たちがマリファナで遊んでいるとき、彼はヘロインを使って遊んでいたと言う。マンハッタンのなかでも有名なエリート公立高校に通う一方で、彼はドラッグにおぼれていた。小学校4年生の頃からアルは、そのずば抜けて高い知能のため学校では「神童」と呼ばれ、彼の住む低所得者地域では非凡な存在だった。彼の子供の頃のあだ名は「教授(プロフェッサー)」。アルの父親は教育熱心な信心深いクリスチャンで、一時も「アメリカンドリーム」を疑う事のない働き者だった。アル自身も父親同様に信心深く勉学に励むブルックリンドジャーズが大好きな頭の良い少年だった。少なくとも麻薬の手が彼を襲うまでは。

 1960年代から1970年代前半は、都市部に住むマイノリティにとっては地獄のはじまりだった。産業の構造が変わり仕事がなくなり、街には麻薬がはびこる。アルも厳しい時代にのみこまれていったマイノリティの子供の一人だった。14歳から40歳まで、アルは正気と狂気をさ迷って生きていた。1968年、アルはNY市ではまだ目新しい依存症患者専用の心療医療セラピーに入り、ヘロイン中毒を絶つことに成功。この施設の中でも、彼は持ち前の頭脳で優秀な卒業生と認められ、セラピー施設の重要なスタッフメンバーとして採用された。其れから彼は結婚し大学を出て子供も授かった。しかし彼の結婚に徐々に陰がさしかかりはじめ、1990年についにアルは離婚をする事になる。離婚を機に彼は自分の娘と連絡が取れなくなる。せっかくつかんだ結婚の崩壊のショックと混乱から、当時全米に浸透していたコカインに手を出してしまう。1989年、彼はクラックと呼ばれるヘロインの一種で、安くて他の麻薬より致命的なドラッグに走り、仕事及び住まいまで失い、そして2番目の子供の父親になる機会さえも失い、せっかくつかんだ全ての幸せをその手からすべり落としてしまった。すべては麻薬中毒の為に。

 全てを失った彼は、その後絶望し地下鉄のF路線に住みつくホームレスとなった。毎朝彼は目を覚ますたび、線路に飛びこみ自殺をしようと考えたという。ホームレス時代を振りかえり、アルはこう述べる。「今の自分に行きつくために、自分は全ての苦しみを通ってきたのだと思う。」そう述べる今の彼の目には深い落ちつきがある。

 アルは、いつもはドゥ・ファンドのシェルターハーレム1にいるが、ハーレム1にいないときは、ゲイツアベニューかその他の施設を点検に行っている。アルはゲイツアベニューを通して、現在の位置にやってきた。といっても、彼はRWAの訓練生としてではない。

 ホームレスとして地下鉄の電車で暮らしているとき、ある朝彼は「線路になんて飛びこむもんか。」と考え直し、麻薬依存症のリハビリセンターに足を運んだ。其れ以来彼は薬を絶っている。リハビリから復帰した彼は、自分が1番良く知っている仕事につくことにきめた。その仕事とは「自分と同じような人々が自立できるように助ける」ことだった。その仕事探をしているとき、ドゥ・ファンドで仕事口があることを耳にする。

 初めてマクドナルド氏に会い、ドゥ・ファンドが行おうとしているプログラムの内容を聞いて耳を彼は疑った。「中毒患者を雇って金を支払い、彼らに中毒を絶ちきらせる?、そんな事が出来るのもんか!」と彼は思った。しかし結果はアルの予想を反したものだった。本当に、仕事を与える事で多くのホームレス達は麻薬を絶ちきっていったのだ。アルはゲイツアベニューのケースマネージャーとして働き、仕事を与えられることで中毒を乗り越えていった多くの人々をその目で見て、RWAプログラムの威力を信じるようになった。彼が経験したリハビリ(自分の弱さを直視させてから、仕事を与える)とは違うリハビリのあり方に出会い、彼は目からうろこが落ちたという。

 私がインタビューをしたとき、彼はドゥ・ファンドについてこう語った。

「ドゥ・ファンドは、中毒患者たちがやる気を出せば麻薬や酒を絶ってチャンと自立していけるんだって言うことを理解している。だから、ここでは他みたいに自尊心をめちゃくちゃに壊して、新しい自尊心を作り上げていくっていう、型にはまったリハビリはしてない。我々はトレーニングにやってくる人達を一人前の人間として初めから扱うようにしている。其れがこのドゥ・ファンドの成功の秘訣なんだ。日本のホームレス問題解決にたいして、うちが教えられるのは『薬中であろうが、アル中であろうが、ホームレスであろうが、なんであろうが、初めから一人前の人間として扱わなくてはいけない』ということ。結局、だれだって人間だったら弱いときがある。だからと言って弱っている人間を別物あつかいする必要なんて何処にもないんだ。」

 

 ハーレム1のシェルター内のあり方を根本的に変えるのには時間がかかった。其れまでのハーレム1シェルターは経済的にも薬物にも依存したかたちで成り立っていた。しかし、其れをアルその他のドゥ・ファンドの力で、人々の自立と尊厳を保つために働く現場へと変えていった。今日のシェルターは昔の面影は殆どなく、ここにいる全ての人が自立に向かってそしてその支援に向けて希望をもって働いている。

 現在ハーレム1シェルターでは198個のベットがあり、新しく改築された部屋にRWAの参加者が住み、そこから仕事に出かけている。館内はとても綺麗に清掃され、ホームレスシェルターとは思えない清潔さである。館内での喧嘩や窃盗は殆どないし、アットランダムに行われる薬物テストの結果も全員陰性であることもめずらしくない。

 この施設を築いたアルトン・ジョンソンは言うまでもなく高い評価と賛美を受けるに値する人物である。しかし、名声や賛美が彼の求めるものではないということは、彼をよく理解する仲間は知っている。50歳のアルが今心から望むものとは麻薬におかされていない正気、彼の二人の子供(21歳の娘と13歳の息子)、彼の1番愛する仕事、そして有能で幸せな仕事仲間と中毒をのりこえ自立に向けて頑張るRWAの訓練生たちである。その全てをもう一度依存症を克服し自立した事で彼は手に入れることができた。


【ドゥ・ファンド取材後の一言】

 この団体の活動をリポートしにいく前に他の団体の関係者から「ドゥ・ファンドの就労活動は就労活動じゃない。道端の掃除や建設作業をさせることで、一体何を学べると言うんだ」という批判の声をちらほら耳にした。確かに、ここの就労訓練活動の内容は他の就労活動に比べ原始的な肉体労働が多い。其れゆえに、卒業して就く仕事も決してずっと安定していて高収入で、先がある仕事ばかりだというわけでもない。しかし、いくつかの就労プログラムを見学しておもったのは、ホームレスになった人々が全て高レベルの就労トレーニングに就けるわけではないということ、つまり我々がつい忘れてしまいがちなシンプルな事実、ホームレスだって十人十色なのだということだった。

 アメリカの社会学者は、そのホームレス研究から、ホームレス・不就労者の男性の多くがかつて自分達の父親がやっていたような肉体労働について真面目にやっていきたいと思っている言う事実が報告されている。そんな彼らの思いとは裏腹に今日のアメリカ産業は、肉体労働を低賃金、不安定、少ない就職先にしてしまった。そんなかみ合わない二つの現実を前に、ドゥ・ファンドはそんな彼らが出来る仕事として、この就労トレーニングをはじめたことは、決して批判だけではなく一定の評価を与えるべきものだと思った。

 「アッパーイーストサイドを頼まれもしないのに、ホームレスに勝手に掃除させて人の目を引く。」という、一見労働力の搾取のようなこの発想も、「ホームレスは社会のごみ」という偏見を打ち砕くには役に立っていることは確かだし、なかなか日ごろ金では買えない名誉を欲しがっているお金持ちの心をくすぐって、ちゃっかり資金を手に入れるところは策略としては成功している。ただ、これが偏見と立ち向かうベストのやり方であるかと言えばそうではない気もするが、生き生きと自分の将来の夢をかたってくれた私が見学で出会った一人一人の訓練生たちの目をみると、果たして本当にこの団体が他の団体の言うような「人種差別の団体」と呼べる自信が私はない。

 しかし、あえてこのプログラムの弱点を指摘するなら、ここの卒業生が本当に長期的に自立を継続しつづけてけるのだろうか、ということである。アメリカ産業はこれからもっと実体のない製品の売買に頼った経済となっていくだろうし、グローバライゼーションと呼ばれる現象はアメリカ国内の工場をどんどん海外に移し、低所得者のマイノリティたちが手の届く仕事はどんどん国内から消えていく。そんな現状の中で今のドゥ・ファンドの就労活動はやや長期的なビジョンに欠けているような気がした。

 しかし、彼らのスタート地点を考えると長期的プランだけが彼を路上から救出する道ではないと言うこともれっきとした事実である。恐らく、この弱点を乗りきるにはDCセントラルキッチンのように卒業生がもう一度より高度な就労トレーニングを受けるプログラムをつくことが不可欠なのではないかと思った。