[an error occurred while processing this directive] 摩耶山は今
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震災で運休したままになっている摩耶山のケーブルとロープウェイが、今どうなっているのか気になったので、見てきました。
平成10年4月現在のレポートです。
2001年3月17日に復旧しました。

平成7年1月17日の阪神大震災で、
摩耶山のケーブルとロープウェイは甚大な被害を受け、
平成10年4月現在運休したままです。

お隣のケーブル、ロープウエイを調べてきた私にとって、
他人事でない(?)ような気がしまして、
様子を見てきました。

摩耶山の名前の由来 について、
ちょっぴり蘊蓄も入れてみました。

案内図

フリーハンドで描いているので、縮尺等はかなり不正確です。

案内図

山上駅
(摩耶駅より山上駅を見る)

1. ケーブル
ケーブルの下駅には右のように掲示があり、入り口が閉鎖されています。

掲示の内容を以下に記します。
摩耶山に登ろうとする方は良くお読みください。
お詫び
お客さまへ

 阪神、淡路大震災により摩耶ケーブル線では山上駅、巻上場、軌道、トンネル等に甚大な被害をうけ、当分の間営業を休止せざるを得なくなりました。
 永年にわたってご愛顧ご利用をいただいております皆様方に大変ご迷惑をおかけいたしますことを誠に申し訳けなく深くお詫び申し上げます。
 なお、天上寺他摩耶山上の各施設へおこしの方は神戸市バスが 4/1〜7/20・9/1〜11/23は、休日のみ、7/21〜8/31は毎日、六甲ケーブル山上駅(26系統)及び阪急六甲(40系統)とまやロープウェイ山上駅との間に運行されておりますのでご利用ください。

六甲摩耶鉄道株式会社

お問合せ
運輸部六甲営業課
(078)861-5288

六甲摩耶鉄道株式会社

阪神電鉄(株) 六甲経営部

掲示

入り口
(封鎖された入り口)

下駅は入り口から中を垣間見ることができますので、駅内部を写してみました。
車両は損傷を受けていないようです。

摩耶駅も同様で、駅舎こそ封鎖されているものの、車両は無傷で停まっていました。

過去、摩耶ケーブルが長期運休に追い込まれたのが、この震災だけではないことは、ケーブルは残った でも少し触れていますが、今回は開設以来 2回目ということになるようです。

牧場号
(下駅に停まる牧場号)

天上寺号
(摩耶駅に停まる天上寺号)


2. ロープウェイ
ロープウェイは、摩耶・山上の両駅ともシャッターが下ろされ、駅舎には全く立ち入ることができませんし、おまけに、搬器(ゴンドラ)が取り外されていました。

摩耶ロープウェイの摩耶駅では、駅舎はそれほど痛んでいませんでしたが、建物の下に回ると、そして今は... で紹介している、六甲登山ロープウエイの下駅の廃虚が彷彿としてきます。
このまま、六甲のロープウエイと同じ運命を歩んで欲しくありません。
是非とも復旧して欲しいものです。

摩耶駅
(摩耶駅)
掲示
(掲示)
山上駅(1)
(シャッターが下りたままの山上駅)
山上駅(2)
(搬器が取り外されたままに)
右は平成4年夏の、ロープウェイがまだ健在だった頃の搬器の写真です。 平成4年
(平成4年の摩耶駅)

3. 今は廃虚の山だけど...
ロープウェイの摩耶駅では、売店が震災でつぶれたままになっています。

また、村岡氏のホームページ(Eureka!) で紹介されているように、摩耶観光ホテルの跡地もあり、摩耶はさながら廃虚の山になっています。

しかし、摩耶山は毎日登山のメッカです。
この山を訪れる人は、絶えること無く、毎日登山の記録を書いた看板には 9000回登った人(25年かかる !)の名前も出ていました。

登山道は全く荒れていませんのでご安心ください。
これから、季節も良くなり、歩いて登る人は増えることでしょう。

摩耶駅売店跡
(摩耶駅売店跡)

4. 蘊蓄編(摩耶山の名前の由来)
摩耶(まや)という山の名前の由来について、少し説明しておきましょう。

摩耶山には天上寺という大変由緒ある寺があります。
現在、山頂にありますが、昭和 51年に本堂が焼失するまでは、ケーブル摩耶駅の少し上にあり、現在も遺跡として保存されています。
元々、ケーブルはこの寺に参拝する人のために有ったようなものです。

さて、摩耶という名前も、この寺の縁起に多いに関連するところでありまして...

まず、摩耶とは、釈尊(仏陀)の母親マーヤ − 摩耶夫人(まやぶにん)のことです。
マーヤは、今のネパール領内にあったカピラヴァストゥという都城を治めていたシャーキヤ族(釈迦族)のシュッドーダナ王(浄飯王)の夫人です。
王子として、釈尊を出産するのですが、産後の肥立ちが悪く、7日後に亡くなってしまいました。

釈尊はその後、王の後妻となったマーヤの妹に育てられ、29才で出家、悟りを開いた後、42才のとき、生みの親マーヤに感謝をささげ、川の砂金 − 閻浮檀金(えんぶだんごん)で十一面観音像を作りました。

その仏像を携えた、法道仙人というインド人の布教師が、中国を渡り、はるばる日本へやってきます。
そして、数年の間、摂津、河内、和泉の国を遍歴した後、大化 2年(646年)に、摩耶山上にその十一面観音像をまつったのです。
これが、天上寺の始まり。

その後、弘法大師(空海)が唐へ留学中に、かつて梁武帝が女人の難産をあわれみまつったという摩耶夫人(マーヤ)像 を手に入れ、帰国してから、摩耶夫人にゆかりの深い天上寺に納め、寺を山の中腹に移した...

ということから、摩耶山の名前で呼ばれるようになったのです。

天上寺跡(1)

天上寺跡(2)
(天上寺跡)


参考文献
番号 著 者 名 書 名 発行年 出 版 社 蔵書図書館
(1) 竹中 靖一 六甲 1933 朋文堂 西宮
(2) 毎日新聞神戸支局編 六甲山系 1963 中外書房 神戸中央
(3) 玉起 彰三 六甲山博物誌 1997 神戸新聞総合出版センター 西宮
(4) 宮元 啓一 古代仏教の世界 1989 光文社

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