[an error occurred while processing this directive] 六甲山経営株式会社
ロゴ (2) 六甲山経営株式会社
小林一三氏は、提案する六甲山の開発を具体化するため、六甲山経営株式会社を設立しました。
祖父は、その取締役として、現場を任されたのです。

小林一三氏は、六甲山の開発のアイデアを具体化するため、小規模な会社を興します。
それが、六甲山経営株式会社です。

この会社は、六甲山ホテルと、山上の住宅地の経営、阪急六甲から山上までのタクシー業 を主体としていますが、その他にも、小林一三氏の考えを反映して、六甲山を能くするための、さまざまな開発事業を手がけたようです。
祖父は、その取締役に抜擢され、ホテルの支配人の仕事を含め、現場を取り仕切ることになったのです。

以下で (1) 等は文献番号を表し、クリックするとリストを参照できます。


まず最初に、六甲山経営株式会社設立までの動きを「小林一三日記」(1) からピックアップしてみましょう。

昭和29年

3/6 晴
...
長尾欽哉君来訪、六甲山経営分譲を阪急不動産に一任する件にて話す。
この計画は理想的ではあるけれど時恰もデフレ政策に伴ふ金融逼迫の折柄ゆへウマクゆくか、ゆかぬか中々心配であるが、売出値をウント安くすればよいと思ふが、長尾君は高く売り度い考へのようだから私は此点に就いて悲観してゐる。

7/30 少雨
...
佐藤会長登山来訪、六甲山計画の大綱案に就て語る。

8/3 晴
...
佐藤会長外阪急の技師連登山、六甲山経営に就て実地に踏査す。

8/31 時々少雨
...
四時から日疋君の案内にて香取開拓団長、三好武男氏、日疋君の友人宮本永二氏来訪。
六甲山経営を負担せしめんとする岸田氏に我々の計画を指示案内、夕飯を共にして八時下山。

9/4 少雨
...
午後三時から和田社長、佐藤会長等阪急の幹部と共に六甲山経営の将来を打合す。
三ヶ年計画によつて表六甲ドライブウエーの出来る迄はセメテ阪急経営地丈なと一変せしめたいと思ふ。

昭和30年

7/25 晴
和田、佐藤、米三、三氏来訪。
OS新劇場新築の件、六甲山経営方針の件にて話す。
大体意見はまとまつたと思ふ、昼飯後三人は下山す。

8/2 晴
南君と宝塚ホテル并に六甲山ホテルの新会社設立その経営に就て語る。
...
午後二時阪急交通なぞ新守氏一行五人来訪。
広間にて六甲山経営の雑談会、...

8/8 晴
六甲山経営株式会社創立発起人諸君を集めてその将来に就て談す、夕飯後皆々下山。
...

8/17 晴
六甲山経営株式会社の新重役達をあつめて来年度までの六甲経営の方針を語る
...

修復
(修復中のホテル)
昭和29年11月撮影
手前は
自ら頭にタオルを巻いて
修理に携わる祖父

以上のように「六甲山は泣いてゐる」以来、約 3年を経て、会社設立の運びとなりました。
日記にはありませんが、小林一三氏のことですから、この間、他にも綿密に調査・検討されたのだと思います。
もちろん、六甲山ホテル避暑の際には、祖父もお手伝いしたことでしょう。


設立された会社について「京阪神急行電鉄五十年史」(13) には以下のようにあります。

■ 六甲山経営株式会社 (昭和32年当時)

本 店 大阪市北区角田町41 阪急電鉄内
営 業 所 神戸市灘区篠原字六甲山1034(六甲山ホテル)
神戸市灘区宮山町3-44(六甲山タクシー)
資 本 金 15,000,000円
設 立 昭和 30年 9月 9日
役 員
取締役社長内山信愛
専務取締役岸田敏馬
取 締 役清水 雅 ・ 加納謙吉 ・ 木村滉三 ・ 宮野 守 ・ 遊上義一 ・ 高岡 勇
監 査 役廣瀬顯三 ・ 永田正全
事業目的 六甲山の開発
ホテル、食堂、売店の経営
娯楽施設の経営
自動車運送業
土地建物の売買、賃貸借
前各号に関連する一切の業務
沿革の概要
昭和 30年 9月 9日 株式会社宝塚ホテル所有の六甲山上ホテル他建物、諸施設を譲り受け 資本金 1,000万円をもって株式会社六甲山ホテルとして設立。
昭和 30年 11月 21日 阪急電鉄所有の六甲山上土地を譲り受け、当社と同時に設立された六甲山経営株式会社(資本金 500万円)を合併し、同時に社名を六甲山経営株式会社と変更、資本金 1,500万円となる。
昭和 31年 6月 1日 阪急六甲駅前においてタクシー営業を開始(乗用車 4台)。
営業の概要 当社は六甲山上にてホテル及び住宅経営を主体として行っており、又兼業としては阪急六甲駅前にてタクシー業を行っている。
ホテル 31年夏は当社設立最初の夏季営業であったが、一般経済界の活況と、六甲山の瀬戸内海国立公園への編入表六甲ドライブウエィの開通等に加え、ホテル内外の改修整備による国際観光ホテルとしての一応の完備によって、宿泊人数は年間約 5,000人を数え非常な活況を呈した。
更にホテル内外の整備を一段と高級化し、名実共に日本第一級の「山のホテル」にすべく努力中である。
住 宅 31年はじめて山上の交通至便なホテルの近くに 13戸、続いて 32年には 3戸の建売住宅を建設した処、非常に好評を得て全部の分譲を完了した。
又将来に備えて、現在に至るまで山上に 98,000坪の用地を買収している。
タクシー 阪急六甲駅前にて、乗用車 4台をもって開業したが、六甲山への利用客と、阪急六甲駅附近の需要客に好評を得、乗車人数は年間約 11万人に達している。
更に六甲山上に 2台、現営業所に 2台、計 4台の増車を申請中である。

ふたたび「日記」(1) より。

昭和31年

6/20 晴
敦子同道六甲山にゆく。
ケーブルから自動車、六甲山ホテルにて昼飯。
設備の充実を見る。
新築売家を一巡して三時帰途につく。

タクシー
(タクシーもしくは社用車)
昭和30年8月撮影
マーク
今も阪急タクシーには
同じマークが付いています


なお...

六甲山ホテルは、阪急ホテルチェーンの一つとして独立しました。

六甲山タクシーは、昭和 53年 阪急タクシーに組み入れられました (15)

現在、六甲山経営株式会社は、住宅経営のみとなっています。

現在の六甲山ホテル
(現在の六甲山ホテル)


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