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ロゴ アイスロードへのいざない
六甲山でも最も古い道「アイスロード」の地理と歴史を紹介しましょう。
みなさんもアイスロードを歩いてみませんか。

アイスロードは昔から利用されているだけあって、急坂ではあるものの、整備された歩きやすい道です。
家族連れの、ちょっとがんばるハイキングにぴったりでしょう。

もし、坂を登る自信がなければ、交通機関を利用し山上に上がってから、逆コースで下るのも良いでしょう。


1. ハイキングガイド
アイスロード
阪神御影-バス-JR六甲道-バス-阪急六甲-バス-六甲ケーブル下-徒歩-六甲山ホテル前
約10分約5分約15分約1時間20分


■ 案内図
フリーハンドで描いているので、縮尺等はかなり不正確です。

案内図

ここは予告編ですから
写真をクリックしても拡大図をご覧になれません

拡大図は自分の目で確かめに行きましょう。

阪急六甲JR六甲道阪神御影より神戸市バス16系統六甲ケーブル下ゆきに乗車@
市バス
阪急六甲からは15分程度で六甲ケーブル下(土橋)駅Aに着きます。
駐車場の右の車道を行きます。
六甲ケーブル下1六甲ケーブル下2
そこからは登山道の入り口まで、表六甲ドライブウエイの旧道(車道)Bを歩くことになります。 結構交通量が多いのでご注意ください。
旧道
途中弁天滝Cを見、新六甲大橋Dをくぐれば信号のある交差点に出ます。
交差点には国立公園のモニュメントEがあります。
さらに少し登ればアイスロードの入り口です。
弁天滝新六甲大橋国立公園
入り口Fには道標・看板があるのですぐにお分かりいただけるでしょう。
さあ、ここからがいよいよアイスロードです。
入り口
山道に入ってすぐのところに六甲登山ロープウエイの登山口駅の跡があります。
横の階段を登って分岐がありますが、左へ、ドライブウエイ沿いに進みます。
少し行くとドライブウエイをくぐる形で、トンネルGが設けられています。
トンネル
トンネルを抜ければ、後は山道、谷の流れと何度か交叉しますが、概ね、谷の少し上を巻くように、登り詰めることになります。
前半は、古道らしさHが残っています。
また、表六甲ドライブウエイIの料金所付近が一望できます。
~(゜゜)
古道ドライブウエイ
途中、看板が3箇所(出入り口にもある)、ベンチが1箇所あります。
ベンチJは中腹の日当たりの良い場所にあり、お茶でも飲んでちょっと一服に打ってつけの場所です (-o-)
昼前に出たとすれば、ちょうど良いお弁当スポットになります。
ベンチ
後半は 急です (・・;;)
のんびり行きましょう。
ふりかえると登ってきた前ヶ辻谷K越しに、神戸の海を垣間見ることができますが、ほどなく進行方向に六甲山上の施設が見えてきます。
前ヶ辻谷
急坂を登るにつれ、六甲山上の建物がどんどん近くなりL、別荘の横を過ぎれば、あっけなく山上ですM (^^)V
全但ハウス六甲山ホテルの前になり、また交通量の多い車道に出ます。
山上施設山上
そこからは、記念碑台ゴルフ場カンツリーハウス方面などご自由に山上を散策してください。
お帰りは、来た道を下るか、山上からのバス、ケーブルがご利用になれます。

このページを見て現地を訪れ、万一そこで事故が発生しても、私は一切責任を負いません
くれぐれも安全には留意してください。


2. アイスロードの歴史
歴史を説明する前に、ちょっとクイズを。
とは言え、これは私のオリジナルではありません (^^;)
アイスロードの入り口の看板に書いてあるものです。

Q アイスロード
明治時代の人々にとって、アイスロードはどんな道だったのか考えてみよう。

ヒントも書いてありまして...

ヒント
■ 明治時代の冬は、最近よりも寒い日が多かった。
■ 六甲山上には30あまりの池があり、そのほとんどは人間が掘ったものである。
■ 冷蔵庫ができるまで、氷は貴重品であり高価であった。
■ その当時この付近で、大八車をひく力持ちたちが多く活躍した。
■ この道は、日の昇らないうちから、よく利用された。
■ アイスロードから浜辺までの道は、よくデコボコができ、たびたび修理された。
■ 大正時代になると、人工的に氷ができるようになった。

何となく分かりましたか?


正解をお教えしましょう。

A
明治時代の人々にとって、アイスロードは山上の池に張った氷を切り出し、運ぶための道でした。
当時はまだ冷蔵庫で氷を作ることができませんでしたから、運ばれた氷は、夏、神戸の町で高値で売れたのです。

採氷の歴史的な推移は、祖父の六甲山頂明細図に説明があります。

文献からは「六甲山系」(1)採氷の様子についての説明がありましたので以下に引用します。

冬、池に張りつめた氷を厚さ五寸(15センチ)の三尺(91センチ)角に大きなのこぎりで切りとり、池のそばの氷室にオガクズをしきつめ、ムシロで風除けをして二枚ずつ重ねておく。
そうするとその二枚がくっついて厚さ一尺(30センチ)の氷になる。
それを春から夏にかけて大八車で運び下ろすわけだが、なるべく氷がとけるのを防ぐため夜十二時頃から車ををかついで登りはじめ、まだ日の昇らぬうちに氷をつんで坂を下る。
車のうしろに材木をくくりつけ、すべりどめをしてひき下ろしたという。
この道すじは土橋から六甲山ホテル前へ出るけわしい前ヶ辻道で、氷を運んだから"アイス・ロード"と呼ばれるようになった道だ。

運び下ろされた氷は一たん新在家付近に集められ小舟で神戸へ運ばれた。
浅井氷店の倉庫はいまのトア・ロード「パウリスタ」付近にあったらしい。

この氷は病人用には一貫匁(3.75キロ)四銭くらいで売られたが、それよりも暑い日中、ハッピ姿で天ビン棒をかつぎ、前にコップ、うしろに石炭箱に氷をつんで"カンゴーリ、カンゴーリ(寒氷の意味)"と売り歩く氷屋さんに人気が集まった。
注文があるとカンナで氷を削りコップにつめて売る。
一杯一銭くらいだったというから相当高価なものだった。

アイスロードそのものの記事ではありませんが「六甲山の地理」(2)によると、
自然のままの池と異なる所は、池の半分ほどを深く掘って結氷しやすくしている。
ということで、池にも工夫がなされていたようです。


さて、アイスロードは、氷を運ぶ目的に使われる以前の時代(つまり江戸時代)にはどのような道であったのでしょう。
このことについて「六甲」(3)には次のようにあります。
古来、六甲山中に如何なる交通路があったかは、興味ある問題であるが、それを確実に告げてくれる記録は、遺憾乍ら存在しない。
(略)
少くとも、徳川時代には、山越えの交通は盛んであり、その頃の地誌や地図は山越の道のことを書いている。
その道には代表的なものが二つあった。
(略)
先ず、第一に挙ぐべきは、現今の魚屋道である。
(略)
次に、唐櫃道、即ち、阪急の六甲駅から前の辻の、六甲郵便局の前へ出て、唐櫃村へ下り、有馬街道と合する道である。
これは摂陽群談には見えないが、前に述べた寛延元年発行の摂津名所大図会に唐櫃道と云う名で、書かれている。
唐櫃村の人々は、柴を頭に戴いて、毎日この峠を越して、御影の町へ物資の交換に出かけたものであった。
このことから、アイスロードは六甲越えの道としては魚屋道と並び最古のものであると言えます。
六甲山頂明細図にも唐櫃道の説明があります。


3. 参考文献
番号 著 者 名 書 名 発行年 出 版 社 蔵書図書館
(1) 毎日新聞神戸支局編 六甲山系 1963 中外書房 神戸中央
(2) 田中 眞吾 編著 六甲山の地理−その自然と暮らし− 1988 神戸新聞出版センター 西宮
(3) 竹中 靖一 六甲 1933 朋文堂 西宮

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