21世紀の提言


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今すぐ出来る 超巨大プロジェクトの提案


なぜやらない森林改造

 戦後の大量植林で国土の7割を占める日本の森林も杉や檜な
どの針葉樹林で一杯になってきた。将来の建築材料になると読んでの計画であ
ったが、皮肉なことに、建物の主流はここ100年大きく変わり、ビルやマン
ションになってしまい、鉄とコンクリートが主で、予想した木材があまり使わ
れなくなってきてしまった。結果は森林経営の悪化、それによる杉林の放置、
生み出した大量の花粉による、医療費の大幅増と言うものであった。 心優し
い日本人はこれは一種の天災と諦めているようだが、明らかにこれは、人間の
なせる技、人災である。

 杉や檜は風媒植物といい、風によって花粉を運び、繁殖する。したがって、
ほとんどの花粉がめしべに向かわず、よそに飛んでいってしまうため、その損
失を補うべく、必要をはるかに超える大量の花粉を作り出す。こんな種類の植
物で日本を覆ってしまったのだから、結果は現状の通り、杉林の生み出す利益
よりはるかに大きな医療費が毎年無駄に使われ、1500万人もの人が、その症状
に苦しめられている。 もし患者が自分たちの権利に目覚め、集団訴訟でも起
こされたら、とてつもない規模の賠償請求が生じるであろうことも、想像に硬
くない。これはタバコの害と大きく異なり、吸った自分が悪いなどとはとても
言ないのである。

 植物の進化の歴史をたどると、この後に昆虫が生まれ、この昆虫によって、
より効率的に花粉をめしべまで運ぼうとする方法が生まれた。蜜や花というも
のを植物は発明したのである。昆虫を引きつけるために花、褒美として蜜を植
物は昆虫に提供する。このあと植物は、より大型の生き物、鳥や獣も利用し始
める。これは花粉だけでなく、花粉の受精の結果として出来た種も、遠くに運
んでもらい、より効率よく繁殖しようとしたのである。このための発明が果実
と言うものである。鳥や獣は実を運ぶと同時に、その中にある種も運んでいる
のである。

 風媒植物は一切の動物がいなくても生存できる。一方きれいな花や実をつけ
る植物は動物との共存を狙い、それらがいなければ死に絶えてしまう。このよ
うな事情を考えれば、我々動物一族はどちらと仲良くし、その繁栄を応援して
いくべきか、よく解ると思う。

 戦後アメリカ軍の手で、農地解放がなされたが、このとき森林については、
見過ごされてしまった。この結果今でも日本の森林は一握りの巨大地主と国に
よって保有されている。そしてこのどちらも経営難に陥っている。森林はもっ
と多くの人に開放され、その大勢の手によって、即刻改良されるべきである。
このために必要な、法律や税制の改革は直ちに実行してもらいたい。これは現
在の森林保有者にとっても、有利なものとして働く。

 現在ある杉林の少なくとも2/3は、果実生産木に切りかえるべきであろう。こ
のための準備をすぐに始めてもらいたい。苗を育て、木を切り、木を植えるとい
う作業は高齢者や子供でも出来る。これらの労働は健康にも良く、楽しみも与え
てくれる。少子化により年金制度が破綻し、十分な年金が払えないなら、年金の
減額の変わりに、希望者には1000坪(3300平方m)程度の山林を分けて下さい。
これは年金をもらえる年になるはるか以前,45才あたりから出来る様にしてもら
いたい。少なくとも20年程度の年金を納めた人は、将来の年金の減額と引き換え
に自由に使える山を与えてもらいたい。このため、大規模地主からは国が買い上
げ、国有林も大幅に国は手放すべきである。これは一生涯の貸しつけという形を
とると更に良い。借りると言う方式なら何度でも次の人に回せるからである。た
だ子供がまた借りたい場合だけは,同じ場所を優先して、貸すようにしないと、木
は成長が遅いので、うまくいきにくい。別荘など家を建てる人も、いるのでなおさ
らである。これらの山林は途中で返還した場合、当然年金は満額支給されることに
なる。
どの程度の減額と引き換えに山を分けるかは、自由な市場価格に任せれば良い。市
場に出せる山の区画が多く、借りる人が少なければ、結果は安くなるし、逆の場合
は高くなる。。市場に出せる山の区画が多く、借りる人が少なければ、結果は安く
なるし、逆の場合は高くなる。山林などの市場価格から見れば、借りる値段は、年
金の1割程度で十分のような気がする。もしこれだけもらえれば、今の山林所有者で
も、貸し出しを始めたいと思うであろう。減額がこの程度であったなら、借りたい人
はかなり多く出てくると思う。また年金が少し減っても、田舎生活は都会と比べて、
段違いにお金がかからないので、制度の破綻により、基礎年金そのものが減らされる
ようなことがあっても、十分やっていけるということにも注目してもらいたい。
借りる場所も途中で飽きたら変更できるようにするとよい。日本列島南から北まで、
いろんなところに住んでみたいという人も、出てくるかもしれないからである。

 実は農地においても、似たような提案が出来る。現在休耕地になっているようなと
ころは、全部政府が買い上げ、この場合だったら300坪(約1000平方m)程度づつ
分けて貸してもらいたい。こんなことをすると日本の農業はどうなるのかと思う人が
いるかもしれない。

 私の考えでは、農業は世界にたちうち出来る大規模農業と、趣味で行なう自足自給
型の家庭菜園農業に二分化するべきと思う。大規模農業のためには、企業の参入をゆ
るし、大規模農業用地に指定した場所は、最終的には政府が希望者に、貸しつけると
いう形が良いと思う。この貸し賃は入札価格で変動するが、農地以外には使えないの
で、おのずとその価格は他の用地より安くなる。現在の小規模農地は、いつでも政府
が適当な値段で買い上げるという方針で徐々に増やしていったらよい。そしてそれは
すぐに貸し出しに回す。

 この小規模貸付の、山林と農地はそこに人も住めるように、家を建てても構わない
ということにするので、実際はどんなことに使っても構わない。個人が300坪の土地を
自由に使用できると言うことは、食料事情が悪化すれば、そこを畑にするということに
なる。この家庭菜園農業は、実は大規模農業より効率がいい。その場でつくり、その場
で消費し、肥料は生ゴミ、労賃はタダ、その上健康にも良いというのだから、どんな商
業的農業でもかなう訳がない。希望するすべての人に10アール(約300坪)敷地の住宅
を提供することは、農地法の改正と山林の有効利用で、十分出来るのである。大きな敷
地があれば,大きな家を造り、またエクステリアに凝る人も出てくるから、日本の内需も
各段に増大する。この辺もおそらく今の日本の経済状況を、大きく変えることになると思う。

 同じ日本に生まれながら、普通に働いても一生60坪程度の土地しか持てない人、また最
後まで全く自分の土地というものを持てない人がいる。一方、回りには休耕した農地や荒
れた雑木林や、少し離れたところには、膨大な量の山や森林が存在する。そしてそれらを
現在所有している、国や個人はそれらの管理も十分に出来ず、放置するような形になり、
経済的評価もゼロに近くなり、困っている。このような状況を直すことこそ、政治と言う
ものではないだろうか。日本人なら誰でも(年金を20年納めた人でもよい)、例えば45歳
になったら、死ぬまで自由に使える一定量の土地を国は支給すべきである。そしてこれが
平等と言うものである。土地は個人が消費してなくなるものではない。何の不都合があろ
う。山の乱開発で洪水が起こる、山火事が起こる等の問題は、別規制で対処する。
もともとの発端のアイデアは木種交換であり、広葉樹は保水性も針葉樹より優れている。

何故農地や山林の所有にこのような社会主義的所有法を取り入れるのか、その最大の理由
は、土地と言うものが農地や山林として使う場合と、個人の生活の場所として使う場合で、
その価値があまりにも違いすぎるからである。町やその周辺に住む人にとって、自由に使える
10アール(約300坪)の土地は非常に価値があると言って良い。しかしこれが農地や山林にした
場合、その生み出す利益ではとても小さすぎて、生活できない。そこで農業や林業を成り立たせ
るために、どうしても規制や法律が必要にならざるを得ない。そしてこの方法として最も適切と
考えたのが、その政府所有とそこからの貸し出しと言うものにたどりついたのである。

 再び山林の話に戻る。木が育つには年月がかかります。大量の苗の供給が出来るよう、今すぐ
に取り組むべきです。もも栗3年、柿8年、ゆずで20年、結果が得られるまでには時間がかか
ります。植えるべきものはその地で育つと思われるものすべて。みかん、りんご、なし、プラム
、キーウイ、くるみ、さくらんぼ,ビワ,イチジク,銀なんの木(いちょう)、ぶどう、ブルーベリ
ー、かりん、お茶の木、その他外国産の果実の木も試してみるべきでしょう。食用果実は実らなく
ても、ハナミズキやこぶし、さつき、フジ、バラなど美しい花をさかせるものは、特別扱いで植え
ていきましょう。切り倒し、そのまま放置する木には,必ずきのこの菌を植え付けましょう。

 木種交換の際には、下草にも配慮し、この部分にも、多くの動物が食べられる、まめ、芋など、
食料野菜を雑草と交換していくべきです。そしてこの場合もきれいな花は混ぜていくべきでしょう。
普段ではほとんど見つからない、薬用植物も混ぜておけば、申しぶんない。

 今叫ばれる地方の活性化で、これほど強力な政策は他に考えられません。もしこの政策が大々的に
取り入れられ、実行されるならば、日本の山は、20年後には、一種のパラダイスのように変化します
。実のなる木は、例外なく花も咲きます。春には山全体が、花の山になり、夏、秋には、全く取りきれ
ない果実の実であふれ、広葉樹ばかりなので、紅葉も見事なものになるでしょう。果実取り放題の山は
観光的な面でも、多くの人を呼び集めることになります。

 国土の7割を占める、山林にこのように実のなる木がたくさんあることは、いざと言うときに、食料
の自給にも役立ちます。食料自給率40%を割る日本にとっては、かけがえのない政策でもあるはずです。
普段は放置し、ろくな実がならない木であっても、木さえあれば、1年の手入れで、商品価値のある実を
成らせることが可能です。しかしこれは、木そのものがなくては、どうにもなりません。わずか一年の間
でも国防費に5兆円かけ新型の武器を買った場合と、木種交換の植林に同じく5兆円かけた場合とで、20年
後を比較してみましょう。前者は無理にでも戦争して武器を消費しないかぎり、古くなり使い物にならず
、分解にもコストがかかる単なる粗大ゴミ、一方後者は木が大きく育ち,膨大な量の潜在的食料生産基地、
人が食料の取り合いでけんかする必要もない、パラダイスのような平和な日本が築けるのです。どちらの
道をとるべきか、議論の余地はないと思います。

 普段過剰に生産され、地面に落ちた果実は、野放し家畜等に食べさせることが出来ます。実はこれが森
林改造の大きな第二の目的なのです。 山で食料果実が大量生産されると、昆虫やそれを狙った野鳥、野
生動物なども、大繁殖します。これも木種交換と同様に、にわとりや豚や牛に切り替えていこうという、
大きな計画がこの後に続くわけです。しかしこれは日本においては、一年を通じて食料が自然供給される
熱帯とちがい、難しい面もあるので、ここでの説明は省略します。

 今の日本において、あまりお金もかからずに実行出来、それがついでに、年金制度の破綻も助け、高齢
者医療も少なくさせ、花粉症による無駄ずかいも少なくし、しかも多くの人に、仕事と生き甲斐を与え、
将来の世代にも、大きなお土産が残せるという政策では、この森林改造が最右翼にくると言えます。どう
思いますか小泉さん。

 森林改造だけならともかく、それを農地も含めて、国が買い取っていくなどという、そんな予算がない
というのは全くの間違い。国債は全部日銀にゼロ金利で買わせれば良い。中央銀行の独立性などという考
えも良く考えてみればおかしい。これは一つの国に二つの政府があることになる。お金に関することは、
外国から借りる場合を除き、国と家庭では全く異なる。今の状態では、日本銀行券は多少多めに印刷し、
国民にばら撒いた方がよいと思う。日本国が農地や山林を買うために使うお金は、土地という担保がある
のだから、赤字国債とは言えず、多少は健全と言われる建設国債よりも更に健全なものである。農地や山
林の値段でしか買わず、後でそれを宅地として10倍近い値段で売り出すことも、自由に出来るのが、国と
言うものだから、損するというようなこともない訳である。このために農地山林国債と言うべきものを多
量に発行し、その結果、日本の円が対外的に信用をなくし、円安になれば、それは内外の大きな賃金格差
をなくすので、よけい助かるというものである。

 人間としてほとんど変わらない中国内陸部の人たちと、日本人で、賃金に30倍近い開きがあるなどと
いうことを、放っておくのが、そもそもの間違いの原因になっている。こんな状況では、企業はほとんど
、日本にいなくなる。

 この話では、森林改造の話と、土地の分配の話が、一緒になっているが、これは本来別物である。森林
改造をうまく進めるために、途中から土地の分割支給の話を織り交ぜたわけである。森林改造だけでも徐
々に進めることは出来る。以前にテレビで放映していたが、似たようなことを、自分の山でやっていた人
がいた。その人はおじいさんの代から、山に花の木を少しずつ植えてきたそうである。その山は今、個人
の持ち物であるにもかかわらず、花見山公園(福島市 安部氏)として、市民に親しまれているそうである
。一方今でも伐採した後に、杉などの苗木を植えているのが、国有林を始めとして、ほとんどの所で行なっ
ている。これは絶対に止めていただきたい。杉などを伐採した跡地こそ、実や花の咲く広葉樹に植え替えて
いくべきである。もしこんなことをいつまでも続けるなら、私も含めた花粉症患者の団体がもう黙っていな
い。訴訟になったら、杉林から得られる利益などは、全部なくなってしまうと思う。国も国家予算規模の賠
償金を用意する必要が出てくる。なにしろ原告団候補は1500万人もいるはずだし、インターネットその人数
の原告団も作ることは難しいことではない。医者から杉花粉症であるとの診断書さえもらえば、十分と思う。
誰でも簡単に原告団に参加できる方式を作ることは造作もないことである。 

 話は元に戻って、参考までに、山に住みたい人のためのアイデア。今アメリカではツリーハウスというの
がブームになりつつある。(H15.6.21 BS2 地球に好奇心 ツリーハウス この放送録画を手に入れて、見
ることをお勧めする) 4トン程度の重量は専用のボルト1本を打ち込んだだけで、ほとんど木を傷めることな
く、保持出来るそうであり。これならば山を宅地に造成するなどということなしに、山間部に住居が出来る。
木の上の住居であるが、住み心地から言っても、面白さから言っても、極めて優れた住居である。この森林改
造論で造るような山間部の住宅は、この方法以外禁止にしてもいいくらいである。斜面であっても出来る住宅
であり、クーラーなどは全く不要で、21世紀の住宅はこうあるべきというものを、そのまま実現している。都
会の中で、お互いにクーラー廃熱を外に吐き出し、環境をますます暑くして、挙句の果てに、電力が足らない
などといっている社会など、とても優れた文明社会とは言えない。ツリーハウスは手造りでつくることも出来
るであろう。形はいびつでも別に構わない。いくつもの木を使えば、部屋はどんどん増やすことが出来る。将
来の家は柱が欲しい位置にだけ、子供のために大木になる広葉樹を植林しておくと良い。木は成長しても、二
つの木の中心間の距離は変わらないのだから、土台となるプラットホームに変化は起こらない。広葉樹は夏涼
しくて、冬暖かい。ツリーハウスではないが、温室と洞窟の2室をもつ家も魅力的である。省エネの決定版にな
るかもしれない。日本列島7割は山。ここをうまく利用しないという手はない。

 これらの土地は都会に住む人には、老後の別荘地、住宅地として人気がでることであろう。ペットなども自
由に飼えるから、さびしくもない。放し飼いできない都会のペットもかわいそうなものである。きれいな施設
と高度医療をふんだんに盛り込み、何もすることがない、アメリカのサンシャインシティーのような老後施設
に住みたいとは思わない。このような物を見本としないで、本当の福祉とはなにか、もう一度考え直した方が
よい。単にお金をかければいいというものではないのである。これらの政策は、ほとんどの人の老後に、もう
一つの夢と希望を与えるものになると思う。

もしこれらのことを、政府がやらないならば、地方自治体がかってに始めてしまうことも可能である。
年金の一部を県などに将来譲り渡すなどということは、自由契約で出来ることであるし、土地用途区画の線
引きなどは、市や県の条例で変えられるからである。過疎化している村などへも、大勢の都会人が移住してく
るようになるであろう。実施に向けて各地方自冶体が、より具体的な方法の検討に入ることを望む。

 最後になるが、この森林改造、食用果実生産木を植えようということは、海外援助において、最も優れた方
式になる。これ以外の援助は全部止めて、これだけに集中しても良いと思う。途上国の大部分は、亜熱帯や熱
帯にあり、そこでの木種交換は、日本でやるよりはるかに効率が良いからである。土地や人手はいくらでもあ
るのに、そこにこのような木を植えるということをせず、やっていることは、飢えに苦しみ、権力争いに明け
暮れ、先進国から手に入れた武器で、お互いに殺し合いばかりしている。これが現状である。

 ダムや発電所など相手国の権力者と、日本の大企業を助ける、相手国のインフラを無視した大型プロジェク
トは、もはや要らない。苗を作る人、それを植える人、育てる人、そこにだけ日本の援助資金は使うべきであ
る。これこそ、相手国の低所得者層を直接助け、10年後は相手国の悲劇を内部から解消させ、これらのことは
、ひいては日本の安全保証にもなるのである。日本だけでなく、世界全体としてみても、100億の人口になった
ときの、世界の混乱を楽観的にみては、大きな過ちになるであろう。飢えに苦しむような人々を、多量に造る
ことは、テロ人口を増やすだけであり、現代では、恐ろしいことに、その一部の人だけで、世界は崩壊させら
れるのである。

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