スエーデンの政治


スエーデンの政治

今本@政治学専攻です。


民主主義に適った政治とは何か、という理解を深めるために、 以下で『スウェーデンの政治 〜デモクラシーの実験室〜』 (岡沢・奥島編、早稲田大学出版部)より適宜引用・要約 いたします。


1.スウェーデンの政治と政治家


スウェーデンでは地方分権が徹底している。 国は外交・防衛・経済など必要最小限を担当。 医療は県、教育・福祉・保育などは自治体(市町村)に 多くが任されている。地方分権の理念は、『行政の 決定は、できるだけ住民の身近で行われるべきだ」 というものだ。


「スウェーデンは大きな政府」と言われるが、正確には 「小さな中央政府と大きな地方自治体」と言える。 スウェーデンの地方政治家のほとんどが「政治家」とは 別にそれぞれの職業をもっている。つまり、兼業議員が 多い。(国会議員は半分がフルタイムで働く) 政治家としての給料は、公的な会議へ出席した時間で 計算される。市議会は月に1度、各委員会の会議が 毎週あるとしても、政治家だけの給料ではとても生活 できない。 


「スウェーデンで、地方政治家にとって一番必要なことは 何ですか」。ベクショー市の市会議員、スベン・オケ・ アンダションに尋ねたことがある。 「仕事を持っていることです。政治家はそれぞれの職業に 従事する人たちの声を政治に反映させることが大きな 役割です。そのためには、政治家も現場で一緒に汗を 流していなくてはならないと思います」とスベン・オケさん。


「日本では三権分立という大原則から、公職にたずさわる 人、たとえば、教員が政治家になることは考えられません。 もし、教員が政治家になろうとすれば、まずは教員の仕事を やめなくてはなりません」と重ねて言うと、 「もちろん、理論はそのとおりです。しかし、この国は 地方政治のきわめてアマチュアの精神を大切にしています。 『素人の政治』なのです。『素人』がやっているからこそ、 現場の声、市民の声が議会に届くという大きなメリットが あります。地方政治家に必要なのは、理論うんぬんよりも 生活実感ではないですか」とスベン・オケさんは答えた。


さらに「市職員が同時に政治家になるのは行政の中立性 に反しませんか?」との質問には、「もちろん、職場では 政治的に中立に職務を行います。しかし、あらゆる職種の 現場の人が政治になることが大事なので、市職員であろうと 政治家になることは問題ありません」とスベン・オケさん。 スウェーデンでは福祉や教育の現場職員のほとんどが 市の公務員だ。


日本のように個人に投票する選挙ではなく、政党に投票する 比例代表選挙なので、福祉現場の人が簡単に比例代表 リストに載り、政治家になる。各政党の比例代表リストを 見ると、福祉、教育、医療などの現場代表、高齢者、 障害者、女性、学生、移民代表など、さまざまな顔ぶれが 並んでいる。


また「長老支配政治」の日本とスウェーデンでは対照的だ。 スウェーデンでは、政治家の主役は40代。50代の政治家は 少し高齢というイメージがある。たとえば、65歳以上の 国会議員は2%しかいない。スウェーデンでは、退職年齢 に達すれば、政治家も引退し、後進に道を譲るのが一般的だ。


2.スウェーデンの議会


市議会には決まった役人席はない。スウェーデンでは 議員対議員のディスカッションがメイン。役人の姿は まず見かけない。 議会とは、議員同士が議論をする場である。 だから議会はシナリオもなく、よくエキサイトして、反論の 応酬になることもある。終了時刻は決まっていない。


議会には毎回中学生や高校生が傍聴に来ている。 スウェーデンでは、政治教育、民主主義教育が、教育のなか でも重視されている。市議会傍聴という宿題を出されている 高校生の姿がたくさん目につく。 女性議員が多い。それに服装がカラフルでラフ。女性が多い だけでも、議場の雰囲気が日本と全然違う。さらに、日本の ような背広姿の議員は少なく、ポロシャツやジーンズの人が 多い。みんな勤め帰りに議会に出席するのだ。


「役人は選挙で選ばれていない。だから、役人が多くの権限を 持ちすぎることは、民主主義に反する」というのが、スウェーデンの 民主主義の理念。議員同士が議論して、市の政治方向を決める ことがあたりまえになっている。


3.スウェーデンの選挙


3年ごとの9月の第3日曜日が、スウェーデンの選挙日である。 国政選挙と地方選挙は同日に行われる。 その結果、「地方政治の国政からの独立は一層高まった」 といわれる。


日本では、4年に1度の統一地方選挙の争点が、たとえば 湾岸戦争という防衛・外交問題になるなど、とかく国政選挙と 地方選挙の争点を混同してしまう。同日選挙はこれを避ける ことができる。たとえば、「国政選挙には経済政策に力を いれるという党に」、「地方選挙には福祉サービスの充実に 熱心な党に」投票するというように、国政と地方で政策をわけて 選択をすることができる。 市議会選挙の争点は、保育制作と高齢者福祉政策、小学校 教育の問題、住宅環境問題に集中する。


スウェーデンでは、地方選挙も比例代表制で行われている。 比例代表選挙では、贈り物を配ったり、有権者に頭を下げて 頼んだり、候補者の名前をスピーカーで連呼するというような 「投票お願い合戦」にはならない。 きわめて静かな政策選挙である。有権者は政策を選び、 政党に投票する。各政党は男女比、年齢、職業などができる だけ均等に割り振られるように候補者を比例代表名簿に 載せる。若者票を獲得するために、各政党はその青年部の リーダーを名簿に載せることが重要な選挙戦略となる。


選挙キャンペーンでは、政策論争を中心にした物静かな討論、 対話集会が一般的である。それでも、投票率はズバ抜けて 高い。どんなときも、85%から90%前後の投票率を記録する。 選挙ではテレビや新聞がよく使われる。ローカルニュースの 時間には市議会議員の候補者たちが登場し、毎日決められた テーマに基づいてディベートを行う。新聞には毎日、政党間の 政策の違いが一目でわかるような記事が掲載される。 投票日前々日の金曜日の夜8時から3時間行われる、各党党首 による最終のテレビ討論会は、翌日には手話と文字放送がつき、 二度も再放送されるので、トータルの視聴率80%、ほとんど 全国民が見ていることになる。


各政党の候補者は多くの中学や高校を訪れ、選挙前に公開政策 討論会を行っている。中学校や高校の授業の中でも、生徒が グループにわかれて、各政党の政策を勉強し、教室や廊下に 掲示したり、美術の時間に政党のポスターを描いたりする。


私が立ち会った高校では、各党の代表が一人5分ずつ自分の政党の 政策を説明、その後1時間30分にわたって19名の学生が質問した。 質問する学生が堂々としていることに驚いた。「あなたの党では 減税を主張しているが、それで環境政策はおろそかにならないか?」 などという質問が矢のように飛ぶ。


また女子学生の政治への関心の 高さも注目に値する。半分以上の質問は女性からなされた。 この政策討論会を踏まえて、翌日には「模擬選挙」が校内で 行われた。実物の投票用紙を使って、図書館で投票する。 選挙の立会人も学生。翌日には、模擬選挙の結果が掲示される。 日本と違って、スウェーデンの教育では、選挙そのものが生きた 社会教育。スウェーデンでは「政治は大切なもの。住み良い社会を つくるには、政治参加が必要」という若者たちのコンセンサスが 形成されている。


1976年選挙から、スウェーデン在住の外国人にも、 地方議会選挙での選挙権・被選挙権が与えられることに なった。住民投票への参加も原則としてできることになった。


4.スウェーデンのオンブズマン制度


スウェーデンはオンブズマンの発祥地として知られている。 しかしオンブズマンは苦情を「処理する」行政側の代理人ではない。 「申し立てる」側の代理人だ。行政当局から独立した「議会の特別職」 であって、独特の方式で市民の権利を守る。「人権のための・市民の 代理人」という意味だ。給与も公務員と同様に国から支払われる。


スウェーデンには、1世紀以上の歴史を誇る「国会オンブズマン」 のほか、公正取引オンブズマン、男女雇用機会均等オンブズマン、 人種差別禁止オンブズマン、子どもの権利保障のためのオンブズマン、 マスコミ監視(報道)オンブズマン、といった、市民の苦情を聞き、 当事者側に謝罪、措置取り消し、訂正などの改善措置を迫る。 いずれも弱い立場の一般市民、「個人の人権」を守るのが目的である。


報道オンブズマンは報道関係者と一般市民からなる、マスコミによる 自主組織である。オンブズマンは苦情を受け付け、綿密な調査を 行い、場合によっては報道側を提訴する。 国会オンブズマンは、国会法に明記された監察機関である。憲法に したがって公権力の濫用を阻止する目的で、市民の基本権と自由を 公権力が侵害していないかをチェック、監視する。裁判所、警察、 公立の老人ホーム、病院など、あらゆる公的機関を対象に、常時 抜き打ち検査を行っている。
(以上)
今本 秀爾 Imamoto Shuji

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さて、日本国民の8割は「もはや政治からは何も期待しない」と考え、将来の
展望についても先進国で最悪の暗いイメージを持っている事、世界一の巨大な
債務、そして世界一のお役人天国等等についてはご承知の通りです。
(詳細はhttp://www3.plala.or.jp./seijian/genkou2.html)
なぜこのような世界に恥ずかしい国に成り果てたのでしょう。
まず、憲法にある「自由委任」です。選挙の時の正反対の行動をとってもそれは
問われる事はありません。次に教育はA党、経済はB党を支持したいと考えても、
投票では一票しかありません。
ですから極く大まかにしか選ぶことができません。政治制度は極めて雑というほ
かありません。
次に、議員は選挙の事を考えて、地元の要請を役所につなぐことを大事な事と考え
ています。役所役人と懇意である必要があるのです。このために役人の権益を減ら
すあらゆる提案は握りつぶしたいと考えます。
例えば原発の安全のための特殊法人は10数個もあります。しかし電源が落ちるケ
ースにはどうするのかという極く初歩的な事さえ不作為に済ましていました。
多くの人々が霞ヶ関から天下り、専ら年3千億円もの技術開発予算に吸い付いていた
のです。
この犯罪的と言ってもいいほどの無駄でさえ、どの政党も指摘しません。原発はゼネ
コンと霞ヶ関の利益のために存在しているという極論さえあります。(しかも発電原
価について大変な数字の操作)
国民は主権をただの一回表現できるだけ、あとは議員任せーーという政治の制度が誤
りです。
全ての先進国には重要なテーマについては国民が決められる国民投票制度があります
さらに、国民投票レベルでなく、次位のテーマについては「参政員制度」によって、関心の
高い人々は参加できます。(同じ意思が10万票集まれば議員の一票と同じ働き)。
全ての党はこうした事について「パイの席に割り込んでくるもの」と感じ無視を決め込
んでいます。国民主権を言うなら上の二つの制度が実現していなければなりません
是非とも孫文の複決権 をご覧下さい。 戻る

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