(HTML>人間の尊厳とは、
人間の尊厳とは、


基本的人権の理解こそデモクラシーの基盤

◆ラジュが死んだ

           人間の尊厳とは、 アジアスケッチ(11)路上の生き方  http://plaza.umin.ac.jp/~ihf/fieldnotes/0620.htm  より

◆ラジュが死んだ

あれは3年前の秋のことだ。ブトワール(ネパール)のストリートチ ルドレン、ラジュ・ネパーリーは犬に噛まれてしまった。 それからも、ラジュはいつものように道に落ちているガラクタを拾い 集めては、それを売ってなけなしの金を手にして生活していた。

だが、 気前のいい彼は、仲間に食事をおごることもしばしばだった。 発病したのは約1ヶ月が経過した頃だったろうか。最初は熱が出て、 しばらく休みがちな日々が続いた。心配した仲間が食事を持ってきてく れた。友情だけが彼の薬だった。

しかし、病気はしだいに悪化していった。興奮しやすくなり、食事を 運んできた友人を怒鳴りつけたり、ときには殴りかかることもあった。 そのころには誰もが、おそらくラジュ自身も、それが「狂犬病」という 病気であり、死を免れないものだということに気がついていた。

1997年1月21日、ラジュの体調は急速に悪化しすっかり痩せ細て しまっていた。仲間たちは相談して、CCCに彼を運び込んだ。

CCC (Children Contact Center)とは、ストリートチルドレンを対象とし た教育、職業訓練などを実施している団体である。CCCのスタッフは 、すぐさまラジュを病院へと連れて行ったが、そこの医師は、彼はすで に手遅れの状態にあり、おそらく3日以内に死亡するだろうと告げたの だった。 CCCのスタッフは、「入院費用を負担するから、ラジュの最期を病 院で迎えさせよう」とストリートチルドレンたちに提案した。

しかし、 ラジュの仲間たちは、その申し出を拒否して、彼をいつもの裏通りへと 連れ帰った。

「病院より、ここで死ぬのがラジュにはふさわしい」

1997年1月24日、ラジュは死んだ。14年間の路上の生涯だっ た。

彼の葬儀は河岸で行われた。ブトワールのストリートチルドレンたち が集まり、遺体に火を放った。ラジュの父親はどこにいるのか判らなか った。母親は刑務所で息子の死を知らされた。

遺骨を川へと放り込む。その流れはガンジスへ、そして天界へと連な る。ストリートチルドレンたちは、仲間の死を嘆くよりも、むしろ祝福 したのだという。

◆何が解決なのか

「ストリートチルドレンの問題は、古着を贈るとか、そんなことで解決 するものではないんです。政治や経済、教育、宗教、とにかくいろんな 分野から取り組まなければならない問題なんです。医療もまた、その重 要な一側面。だから、シッダルタ病院が活動を開始したことは、とても 歓迎しています。ただ、もっと私たちと対話してほしい。ストリートチ ルドレンの現状を知ってほしい。そして、ストリートチルドレンへの無 料診療を開始してくれれば、ラジュのような不幸は繰り返されずにすむ かもしれないのです」

「それは違うね」 突然、それまでじっと僕たちの会話に耳を傾けていたビシュヌ少年が 口を差し挟んだ。彼は、ブトワールのストリートチルドレンたちのリー ダー格にある少年である。実はラジュの悲劇は、彼が 語ってくれたも のだった。

「それは違うと思う。ラジュが死んだのは、ボランティアがいなかった からじゃない。貧しい人を助ける善人がいなかったからじゃない」

16歳の彼の目は、ナイフのように鋭く光っていた。反抗期の季節ら しい危険な香りがしたが、多くのものを見てきたのだろう、独特の自信 が漂っていた。

「ラジュが死んだのはね、誰もがストリートチルドレンを馬鹿にして、 僕らのガラクタを安くしか買ってくれないからなんだ。僕らは、なるべ く良いものを拾ってまわっている。国を愛する気持ちは、政治家にも、 農民にも、他のすべてのネパール人にも負けてはいないよ。僕らが、毎 日やってるリサイクルは国のためになっているはずなんだ」

「僕らは、自分の目に自信があるんだ。だから、僕らのガラクタをもっ と信用して買ってほしい。そしたら、僕らは家が持てるし、病院にだっ て行ける。病院がただになるなんてごめんだね。その金でぼくらのガラ クタを買ってくれ。その金を、病気のために使うか、それとも家を買う ために使うか、それは僕たちが決める。僕らの生き方は僕らが決めるん だ!」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

アジアスケッチ(11)路上の生き方 を読んで     峯

「僕らの生き方は僕らが決めるんだ!」 少年のこの言葉は「自己の意志 、表現が尊重されること」即ち基本的人権、人間の尊厳を表現したもの です。

一括一任間接政治は、「国民は愚であり政治的選択は無理である、だからエリー トによって政治を施してあげる、主権在民とは言っても、それは議員を 選択することができるのみであり、そのほかの国民の意志は「参考」 「諮問」以上の価値を認めない、」という思想が潜在しています、 小澤氏は「「国政にふさわしいと思って国会へ出した以上、『金と票は 出 すが、あとは自分の見識で存分にやってくれ』という事でなければ いけない。信頼して任せるべきだ」といっています。

しかし議員にとり、 官僚はよきパートナーであり官僚に遠慮せざるを得ない関係から、議員 には行革、倫理法なども効果的なものが出来ません、

諌早、名護、神戸、徳島などでは一部市会議員、沖縄では自衛隊幹部が 公然と市民の判断力を批判し、議員の能力を評価したり、権威性につ いて主張しています。

繰り上がって議員になる可能性を持つ野村幸代氏を不起訴とした検察の 姿勢も検察審査会決定を低く評価したものです。

かの少年はまさに「自己決定権」が最も大切なものだ、と言っています、 政治に於ても、外交政策はA党に同意し、教育政策はB党を支持し、財政 再建策はC党に賛同するということは十分ありえます。

しかも、選挙後起きた問題については意志の表現方法はありません 主権在民が憲法の精神であるなら、主要議案の票決毎に、政党を選択できる 制度とすることこそが、国民の政治的向上、活力の向上に繋がること は明らかです。

政治が失敗するか否かは問題ではありません、かの少年が「僕らの生 き方は僕らが決めるん だ!」 まさに「真のデモクラシー」の何たる か、「真の成長」はどこにあるかを述べたものとして賞賛されます。

今の国民の幸福観は技術の進歩によるものであり、政治からは嫌悪し か得ていないと断言できます。 全ての成長は失敗の上に形成されたものです。「大衆は愚である、エ リートが指導してやる」という一括一任間接政治は、「お上のお情けで、生か してやる、しかしイザという場合には赤紙だぞ」としていた戦前の 制度の基盤となった制度でもあり、国民の基本的人権と、成長(民度 の向上)をも否定するものにほかありません。 しかも、これまでエリート達の施策のどれが成功したと言われるでし ょうか、600兆債務で実質的にはサラ金地獄に陥れた全責任、全ての 環境破壊の責任は彼等の不作為などの結果です。 臨界事故に於ても、何と「事故が起きた」ときに、はじめて「査察す る」とした方針が最初に存在していたとのこと、彼等の能力、価値観 は「自己と企業の保身」が全てではないでしょうか 8割がwebをすると言われる数年後、人々が社会意識に目覚め、関与を 深めるときは叉、一括一任間接政治が個々人の尊厳を否定していることに気付 くときでもあります。

議案毎に党首が討論する、それを視聴した案別信託間接政治に所属される方々は、自分の意志に似た政党に主権を付託する、(政治意識の高い人は従来の選挙権を返上して、案別参政権を得、興味ある法案毎に電子的に政党(議員)を選択し主権を委託する)、一方、一括一任間接政治(従来の議員)は選挙の得票数を行使する政治構想です

このサイトの設置者へメール