・・ 公共施設の欠陥

2002.10,1・・・・ 公共施設の欠陥


ある公務員の告発
欠陥だらけの公共施設


行政が住民と接する現場である「公共施設」に勤務する立場として、毎日直面する問 題点について申し上げたいと思います。 1.公共施設の私物化と欠陥施設の横行ー問題の提起ー 私は公共施設、特にその中でも「箱物行政」の代名詞として真っ先に槍玉に挙げられ ている某施設に勤務しております。私と同じ立場の公務員の方々の 多くも同じ考えを抱いていることと想いますが、公共施設に勤務して身を以て思い知 らされたことは、その計画や設計の多くがあまりにもデタラメであるということです。  実際私が勤務する施設においては、それでなくとも狭い敷地面積の中で中央に全 く意味のない巨大なエントランスホールを配し、事務室、トイレ、倉庫、収蔵庫、展 示室(尚作業スペースや資財の搬入口等はナント!ありません)等の「仕事をする空 間」は非常に狭く、またエントランスホールの隅々に分散して配されているため、ト イレに行くのも一仕事、一日中建物内を走り回らねばならず全く仕事になりません。 ひょっとしたら設計者は職員の運動不足解消のためにこの建物を設計したのでしょう か?また予算が限られているにもかかわらず、エントランス全面に高価な最高級の大 理石を貼り、そのため館内全体に騒音(一階事務室の物音の音が二階まで聞こえる) が響き渡るため苦情が絶えず、その一方で展示や資料の保存に必要な備品は「予算が ない」「必要ない」「無駄だ」(どっちが無駄じゃ!)として省き、また温湿度や外 光遮断等の展示環境は最悪で展示品がしばしば破損し(なお修復を申し出ましたが認 められませんでした)、建物内にはしばしばゴキブリが繁殖し屋外からはムカデやト カゲが侵入する有様。さらに入館者の立場からも苦情が絶えません。さらに信じられ ないのは十分な防水工事が行われていないらしく、大雨が降ると展示室や倉庫、電気 室等が漏水し、そのため施設や備品に黴が発生し、一部の鉄骨にサビが見られること で、ここまでくれば「ヘタクソな建築」を通り越して立派な「欠陥建築」です。恐ら く設計者の先祖が昔施設で頓死し、その恨みを晴らすためにこんな設計をしたので しょう。施設の問題については何度も声を大にして指摘しましたが、この設計者の所 属する事務所が首長と仲良しのため、逆に「反抗的だ」とされ全く野放し状態です。 さらに驚くことにこのとんでもない建築士が何ら責任を問われることもなく、その後 さらに大規模な県の施設の設計に参加(この施設はあまりの使いにくさに怒った利用 者から新聞投書でその問題点を指摘されています)していることで、真剣に設計され ている多くの建築家の方には失礼な言い方になりますが、日本の建築界の良識を疑っ てしまいます。  さてなぜこのような欠陥建築が建てられてしまうのでしょうか。勤務して 痛感させられたことですが、何よりも政治家・「自称有能な役人」・建築家が全く現 場の意見に耳を傾けないことで、それは彼らが現場の仕事をバカにしていることを端 的に示しています。そして政治家や一部の自称「有能な役人」等は公共施設を単に自 分の手柄話のネタと考えているにすぎず、彼らはただ自分が「すごい物を建てた」と 自慢できればよいだけで、そこで行われる現場の日常の活動は地味で目立たないため 全く眼中にないのです。次に建築士側の問題として、彼らが自分を「技術者」ではな く「芸術家」と勘違いしていることがあります。彼らはあたかも自分を「ミケランジェ ロ」、その設計を「サンピエトロ大聖堂」のつもりでいるのでしょう。公共施設の設 計において機能性が犠牲にされ、「奇抜な外観」ばかりが求められる原因はそこにあ り、これらはすなわち政治家・役人・建築家による「公共施設の私物化」(それはま さに行政の私物化)に他なりません。本来行政とは文化・福祉などそのジャンルに限 らず、実際に現場で行われる活動のことであり、箱物を建てて「○○センター」と名 付けることではないはずです。当然施設はその活動を行えるように機面を重視しなけ ればならないはずで、機能面を無視した欠陥施設を放置していることは行政活動その ものを蔑ろにしていることを意味していることになります。言い換えれば公共施設は その自治体の行政に対する姿勢を表しているのです。  博物館、美術館、水族館、科学館はある分野の資料を「収集・保管」し、それを「調査研究、展 示・活用」することにより社会教育に役立てる施設であることをお断りしておきます。 またその資料は日本の文化財のように大変脆弱なものが多く、その施設や仕事は外部 の人が考えている以上に手間のかかるものです。しかし現実には博物館、特に美術館 は「単なる客寄せ施設」と考えられ、その本来の役割については全く理解されていな いのが現状です。(実際みなさんの中にも美術館や博物館といえば「一部の物好きの ための娯楽施設」とお考えの方も多いかもしれません。)  ここまでは例として私が勤めている施設を取り上げましたが、妹尾河童氏が 『河童が語る舞台裏おもて』の中の「ヘンな劇場を建てないで下さい!」の中で指摘 されているように多くの他の文化施設も同様ですし、また文化施設以外の施設でも同 様のことがあるかと思います。また施設に限らず『週間文春』2000.4.6号「総力特集  一から出直せ!」に指摘された、愛知県豊田市の矢作川に架けられた悪名高い「恐 竜橋(豊田大橋 黒川紀章設計)」、さらに磯崎新設計の静岡県の「グランシップ」 などもそのいい例といえます。 2.欠陥建築を撲滅するために!  これらの施設はすべて「税金」で建てられており、一度建ててしまったものは簡単 には直すことは出来ず、またその分野にける行政サービスの提供に大きな障害となり その意味では二重の意味での「税金の無駄遣い」になるのです。その点からも欠陥公 共施設の問題は市民が関心を持たねばならない大変深刻なものです。  これらの対策として行政に関しては、私の経験から現場の声が上に聞き入れられる のは、「上意下達」の役所の体質からかなり困難なことです。まず住民(実際に行政 に携わる公務員も含む)が日頃から各施設の本来の役割や意義(それはすなわち行政 のあるべき姿)を十分理解し、選挙などの場を利用して意志表示することから始めな ければなりません。そして住民はその施設を取り巻く様々な問題点にもっと関心を持 ち(それは地方行政そのものに関心を持つことになります)、また職員は自分が「公 務員」である以前に自分もその地域で生活する住民であることを自覚し、お互いの垣 根を越えて取り組まねばならないでしょう。具体的には計画段階から完成後の運営状 況について、一部の役人や建築家により密室で進められないように現場の職員と利用 者である市民との連絡を密にしてその内容を常に公開させ、問題が発生した場合には 速やかに対応を求める必要があるでしょう。  また建築士に関してはまず問題のある建築士を公共事業から排除する必要がありま す。まず各施設を専門家(建築士ではなく病院における医師・看護婦、博物館におけ る学芸員のようなその施設に従事する専門職員)によって、1使用可能施設、2一部 問題はあるが修理をすれば使用可能となる施設、3全く使用には耐えられず新たに建 て直す以外ない欠陥施設に分類します。 1の場合は特に問題はないのでそのまま利用。2については問題の程度に応じて設計 者から設計料を一部自治体に返還させ、施設についてはいったん使用を中止し、修理 して使用可能となった段階で再開する。この場合設計者に「公共施設建築士」の資格 を取得させた上で無償で行わせる。3ではその施設の使用は禁止し設計料は全額自治 体に返還させ、また欠陥の程度に応じて建設費の一部を返還、及び損害を賠償させ、 設計者は今後一切の公共施設の設計は禁止し、場合によっては損害賠償といった民事 上の責任だけでなく何らかの刑事責任を問う。また現場の意見を無視してデタラメな 計画を強行した役人・政治家にも懲戒免職を含めてそれに相当する処分を科す必要が あります。  また建築士および役人については資質向上の必要が急務であり、建築家については 「公共施設建築士」の資格の創設、および役人については行政各分野に関する資格取 得またはそれに準ずる研修の受講の義務化を提案します。施設を設計する場合、一定 期間その施設の仕事を体験させた後、専門職員の審査を受けて十分その能力があると 判定された者だけにその資格を与えるのです。ここで「仕事を体験する」というのは 「ネクタイを締め、高級なスーツに身を包み、遠目で現場の仕事の様子をさも知った ような口をききながら眺める」のではなく、作業着で実際その施設での仕事すべてに 従事することです。  しかしいったん建てられてしまった欠陥建築はどうすればよいでしょうか。本来な らば設計者と役人に費用を負担させた上で取り壊すべきでしょうが、現実問題として 不可能でしょう。それならば何らかの形で活用するほかありません。しかし「物置」 程度の役にしか立たない(私の勤務する施設は漏水するので物置にもなりませんが) 建物は実際には活用しようがありません。そこでこのような過ちを繰り返さないため にも「教材」とし、今後の戒めとしたらどうでしょうか。まず欠陥建築と認定された 施設を「教材施設」として登録します。そして建築士や各専門職の資格を取得する場 合、必ず一定期間「教材施設」での実習を義務づけます。なぜ欠陥施設かといえば、 「病気になって初めて健康の大切さが身に染みて理解できる」というように、「欠陥 施設」での実習を通じて初めて施設の理想像が痛感できると考えるためです。言うま でもありませんが、その施設で行われるのはあくまで模擬的な内容になります。本来 の業務に使えないのですから当然ですが、福祉施設においては実習生が被介護者とな ることにより、利用者の立場に立った仕事が可能となり、資質の向上につながること と考えます。  最後に繰り返しておきますが本来行政とは文化・福祉などのジャンルに限らず、実 際に現場で行われる活動すなわちソフトのことであり、箱物を建てて「○○センター」 と名付けることではないはずです。


00県 公務員 選挙制度について議論される場合、国政選挙ばかりが問題とされますが、地方選挙についても問題にすべきです。 まずこの問題の大きな要因として、地方行政に関する有権者の関心の低さがあります。特に小規模な市町村の首長選挙にお いて候補者がなく、「無投票当選」が頻発していることはその現れといえましょう。小さな市町村の場合、いわゆる地域の 「ボス」がそのまま首長に立候補する場合が多く、ムラ社会の閉鎖性から対立候補も立てにくいため首長とその取り巻きの 有力者による「行政の私物化」が行われているのが実情です。またこのことがさらなる住民の行政に関する諦めとも言うべ き無関心に拍車をかけているのです。 また無投票当選は政策の是非を問う以前にその政策を策定・実行する首長を選ぶ権利の行使すら否定するものであり、有権 者の参政権の根本的な侵害にあたるはずです。これらの点からも無投票当選の制度は廃止すべきです。具体的な解決案とし て立候補者が一人の場合は信任投票を行い、「不信任」の場合は当選者無しとし、新たに選挙をやり直し新しい首長が決ま るまでの首長空席の間は議会の議長等を職務代理者とするなどして必ず選挙の洗礼を受けた人物を首長にする必要がありま す。一度県内の首長の選挙が必ず行われる自治体とほとんど無投票の自治体とその人物を比較し、その問題点を探ってみる べきでしょう。 繰り返しますが「無投票当選」の制度を放置することは国民の基本的人権である「参政権」そのものの侵害に目を瞑ること なのです。選挙の投票が行われるとマスコミを始め「投票率の低さ」を問題として大騒ぎするのに、何故か「投票率0%」 の選挙について何も問題にされないのが不思議でなりません。


私現在とある分野の修士号取得のため米国留学中の国を憂う日本男児です。私の学校に人事院から国費留学で来ている学生がおります。彼の日常と着たらわれわれの税金でゴルフ三昧。その姿を見るたびに、国家のことなど何も考えず、毎日をなし崩し的に生きる程度の低い官僚に殺意さえ抱きそうになります。私は最近、日本にすむ皆様にこの彼の私生活をマスコミで取り上げ、いかに間違った人的投資を人事院は行っているのかを明らかにしていただきたい。これは氷山の一角に違いない。どこぞのマスコミが渡米して、彼の私生活を一週間取材して頂きたいものです



所感・以上は、国家予算がいかに官僚と議員の利益の為に無駄に使われているかを証明するものです。直接間接併存政治によって大衆の意思が権力に参加することが極め手になると思います