> 完全直接政治における危険性については正にその部分が焦点なのです。
> 賛成の方は「失敗したらそれはそれでしょうがない。勉強になるんだから良いじゃな
> いか」という意見を仰いますが、その失敗が重度の失敗で取り返しが付かない物だっ
>たらどうなりますか?
完全直接政治がどのようなものと想定するのかで違います、例えば景品又は罰則
をつけて無理にでも意思を表明させれば問題です、又、年に1つか2つの決定か、
10 か 50 か、等によっても異なるでしょう。どのような条件によったのか、
一度目の失敗で、全く教訓が得られなかったのか、公論の質、量等もあるでしょ
う。直接の場合は未知数ですが完全間接の現状。1000兆の債務は取り返しがつきません
・・・・「国民は愚、議員のみが論理的思考可能」と言われたいようですが、EU諸国では加入の是非という難解なテーマを国民投票にかけています。また、死刑廃止、体罰、安楽死、労働移民、食糧自給、郵政民営化それぞれに正解があるとお考えのようですが、議論のあるテーマは賛否の議論は必ずあるものです。しかも正解など分かりません。振興券に続いて定額給付金が正解でしょうか、正解の分らないテーマは国民の価値観が参加して決めてもいいのではないでしょうか。
> だからこそ危険のないところで体験させる=シミュレーションをする=学校教育でそ
> う言った機会を設けると言うことなのです。
> 自動車の免許を取るのにいきなり路上教習するのではなく、まずは所内教習をするの
> と同じです。k
教習を受けるために数十年も遅れても仕方がない、と言われるのでしょうか
第一、政治的選択については正誤があるのでしょうか。(振興券だけはやる
前から失政は多くの人々は分かっていましたが)スイスの準備金売却法案などでも
、橋本首相の財政運用でも、どの選択が正しいなどは歴史が評価するのみでは
ないでしょうか、判断力は情報量に比例するでしょうから政争、利権探しで多忙
を極める人種よりも、webの普及で一般人の方が情報量が多くなる可能性もあるで
しょう
> あと、貴方の言うように直接投票権を望む人だけがそれを行うというのでは万人の民
> 意を向上する効果はありません。
> 直接投票を希望しない大多数の人は今と変わらず政治には興味が無いという状況のま
> まです。
> それでは本質的に政治を良くすることは出来ないのではないですか?k
そうかも知れません、多忙、難解という人々は半数はおられます。しかし国民の
不幸感は随分減るはずです。これまでのように「政治家が無能力だ」とは言えま
せん、そして、「政治が悪いのは選挙で主権を一任委任してしまった自分の責任でもある、
次には重要議案毎に政党を選択しよう」と考える人も出てくるでしょう。
民意が目覚めると間接政治の質も改善されることとなるでしょう
>> 現在の一票の格差をご存じでしょうか。並存案では「議員は信託総数を行使」
>> します。一票の格差は大きく改善されるでしょう。これが第一の効果、ミネ
> その点は賛成です。
> ただ、棄権票の扱いや反対票の扱いをどうするかという問題がありますので両手をあげ
> て賛成とは言えませんが。
> ちなみにこれも間接政治オンリーでも実行できる案ですね。k
参政国民は一票、多忙で議員に任せておきたいと考える人は議員が選挙区の平均得票数を行使しますから、重要議案に限っては一票の格差は無視できるようになるかも知れません、尚第三段階では選挙の落選候補も得票数を行使するとしています。
しかし、十分公論の末、 「並存政治において国会の表決の結果、死票」となるのは救済でき
ません。デモクラシーの原則によるべきでしょう。ただ51%でも可決等という
のは問題で、3分の2等という基準を設けるべきかも知れませんが・・・
> 議会の評決数全てを合計したもののうち20%が直接投票者だとします。
> で、残り80%のうち半数の50%が与党とそれに追随する党、さらに残り30%のう
> ち20%が野党勢力で10%が無所属とします。
> 野党勢力50%+無所属の半数5%で55%です。
> これだけの賛成票があれば直接投票者を含めた議会全体で過半数を獲ることが出来ます。
> この状況ではやはり重要法案は与党の思い通りになるのではないでしょうか?k
それでいいのです。結果の如何によって、直接参政者が増減することに
なるでしょう。しかし参政国民全員がある議案に同じ政党を選択するなどということは考えられません。並存政治には全セクトに賛成者がおられます。
> そう言ったアンケートは対象が偏っていたり、反対意見を聞いていなかったりしますの
> で意味がないと何度も言っています。
>また、多くの賛同者がいることが結果的に良い結果をもたらすとも言えません。
貴方は「大衆は愚・議員のみが正解できる」とお考えのようですね。 間接政治は人々に教育がなく、通信交通手段が未整備の時代に成立しました。
現在は教育も情報手段もまるで違いますし、デモクラシーは先の大戦で貴重な
教訓を得ています。人類は少しずつ前進していると言えるでしょう。
さて、>多くの賛同者がいい結果をもたらすとは言えない
ここでも又「いい」「悪い」を言われています。 政治的選択に正解があるでしょうか、社会は常に変化します。
つい10年前にはGNPが価値の尺度でしたが、今はそれが「環境」に変わりつつ
あります。ところが企業と深い関係を構築している政官の人々はそれを認めた
がりません。
> > 予算措置の必要な議案事業については参政国民は自分
> > の財布から持ち出す気分になり、又、先進性の高い議案も否決される傾向があ
> > って結果として発展性が疎外されるミネ、
> もし貴方の言う併存案で直接参政者の意見が有効に機能するとしたら、議会の決定は
> こういう結果になります。
> つまり、いくら併存を行ったところで、結局はどちらかの特色しかでないと言うこと
> です。
> で、直接政治の特色が色濃くでれば、こういった結果や衆愚色の強い結果がでますし、
> 逆に間接政治の特色が色濃くでれば、現状となにも変わらないと言うことになります。
>ですから、私は間接政治のシステムのまま、極力民意を反映できるような制度改革と、
> 国民の民意を高めるような教育改革を提唱しているのです。
先ず、間接政治は半世紀続いたこと、その結果、議員は最も信頼されない
職業になりました。それは議員が自己利益を優先し国民の声、意思を自己の価値観
で咀嚼する事に由来します、国民の不幸感は8割に達しています。
sakuさんは結果が成功か失敗かを先ず考えておられますが、国民の主権がどうあ
るべきかが重要ではないでしょうか
与党は午後6時からの投票者は無党派層が多いとの理由から投票時間を8時から
6時に短縮する検討した事があります。間接政治は振興券・定額給付金もそうですが党利党略で
のみ動きます。そうした中で在外投票権が成立したことは主権の重さ、意義が
党利党略でさえどうすることもできない民主主義の基本であることを示してい
ます、例え在外の1%の人であっても「主権を行使したい」という要望は拒否で
きません、それと同様に、複数の選択肢があるのに一つの政党にどうして絞る
ことができるのか、という間接政治の構造的な制度欠陥について放置される事は
憲法の主権在民の精神に照らしてゆるされません
あなたの教育改革論は否定しません。教育は重要ですが政治改革策の「柱」になり
うるでしょうか、時間的にも大きな問題があります
> ある時に隣国に軍事侵攻すべきかどうかという直接投票が行われました。
> 有識者は隣国は核ミサイルを所有している危険性があると反対しましたが、一部の極右
> 著名人の発言によって世論は大きく開戦賛成に傾き評決でも開戦が決定しました。
> その結果、戦争を起こしましたが、やはり核ミサイルを保有していたのは事実だったよ
> うで、それを主要都市に打ち込まれ国民の半数が死にました。
> もちろん国民は嫌と言うほど反省するでしょうね。
> まあ、生き残った人だけですが。k
米軍のイラク侵攻で分るように 軍事産業の影響力は間接政治のほうにより強くでます、直接間接並存政治は「
公論」が特徴ですから簡便な端末ができ婦人の参加なども考えれば、より慎重
な政治運営になるでしょう、尚外交や臨機の対応は議院内閣制の領域に属し並存政治における参政議案にはなりません
>国自体を良くしようとした場合、多くの人にとって問題のない
> 間接政治自体は維持し何か別の手段を導入すべきであるというのは貴方も共通した意見
> ですよね。
> それを実現する手段として貴方は並立制という折衝案を考え出し、私は既存間接政治の
> 手直しと教育で対処しようと言っているにすぎません。
>なぜ貴方は私の案に反対なのですか?k
昔のデモクラシーの書物にもあり、考え出したもの、折衷案等ではなく、あくまで
理論に基ずくものです。 しかも一任政治ではテーマAは与党を、テーマBは野党を支持したいという国民の要求に対応できません。
また、議員総数削減など本当に有効な手直しが「議員」自体には無理なこと
、自分達の権益を減らすことをどうして推進できるでしょうか、教育制度で国民の
政治意識を変えるについてはいわゆる百年河清を待つであり、無効でなくても最善
とは到底考えられないのですが
> 議員が官僚のため、企業のために働いたところでなにも得はありません。
> その状況で国民を無視した政治をやろうとする議員がでてくるとは思えませんが?
議員は利権やバックマージンを国民から得ることはできません。国民は多く
の場合「文句」を持ってきますが、企業は「工作金」を持ってき、役人は金の必要な新しい企画を持ってきます、役人は天下る企業にいい顔ができ、議員はバックマージンが期待できます。
> 貴方の言う「一財産を使って見ろ」というのはあくまで現状で立候補する場合です。
> そう言った敷居を極力排除すれば、国会議員に立候補するのも組合役員をやるのもた
> いして変わらないくらいのレベルになります。
「排除すれば」・・・排除する法律は議員の権益を減らします。
組合役員程度の権益にしかならない可能性があるなら議員は決死的に反対
し、法の成立を阻止するでしょう
> 私の意見はそう言った個人の幸福感は2の次だというものです。
> あくまで政治とは国をよりよく運行するための手段にすぎないという考えですので。
どのような結果を招くなどというものは「議決」の時点では分からないの
です。ですから優秀な人々の選択した結果が、今となって1000兆もの債務で
、実質破綻してしまっているのです。宮沢さんは「もうダメだ」と正直に告白されています
> しかし、労働組合の活動などを見ていると、これほどとは思わなかったくらい日本人の
> 消極性/他人任せ発想は深刻です。
> ですから、責任の所在を明確にしてあげれば自分から政治意識に目覚めるだろうと言う
> のは甘いし、そう言ったことをやってしまうと取り返しのつかないような失敗に陥る可
> 能性が否定できないと言うのが私の意見です。
甘い、失敗等というのは「予断」ではないでしょうか。失敗どころか、国民は
主権という至上の贈り物に歓喜するでしょう。日本の将来感も大きく改善され
消費も回復するでしょう、尚過去の政治の全ては役人によって検閲され、行革はなされず結果として2極化の大きな原因になっています。
> 貴方の案では、政治意識の高い人はますます高くなるかもしれませんが、その他大勢は
> まるっきり今と変わらないと思いますよ。
> ほとんどの人は現状で自分の生活にさほど支障はありません。(たいていの人が食うの
> に困ることはありませんよね)
> その状態であれば、面倒くさい政治なんて人任せて良いと思ってしまいがちです。
> ですから、先進国でそう言った傾向が表せるのはある程度仕方のないことだと思います。
> その流れを現状で防ごうと思ったら幼い頃からの教育で基本的な考え方を変えて行くし
> かないのですよ。
>面倒クサイ政治なんて人任せで良いと思う・・・それを尊重することが重要です。それさえ基本的人権です。
「教育で基本的考えを変える」これは子供の人格を否定している恐れがあり
ます。意識的に政治意識を高めるなど穏やかではないように感じます、
> あるべき姿というのは、積極的に民主的な問題解決を行おうとする姿勢です。
> もちろん教師はそう言った方向に導こうとはしますが、強制はしません。
>ですから、その上でどうするかはあくまで生徒自身の自由です。
> その結果、多くの人は積極的に政治に関与するようになっていくだろうというだけで
> そうならない人も当然いるでしょう。
心理学、教育学分野では「指示的」手法は過去のものになりつつあると思いますが
> それを言ったら、直接政治の導入の方がよっぽど議員にとっては目障りでは?
> なにせ、自分たちの決定権に横槍を入れる存在が現れることになるのですから。
ですから並存政治構想は議員が支持することは先ず考えられません
大きな世論調査で圧倒的支持があるようであれば、案の実現を唯一の主張とした
大量の人々が金バッチを付けることも可能になるでしょう
> もちろん、政治的に色々な意見があって、候補者を絞れないとかどの候補者も自分の
> 意見に合わないとして棄権する人もいるでしょうがそれはごく一部で、残りの大多数
> は単に面倒くさいとか興味がないとか理由で投票していないのです。
> その状態では政治家の天敵にはなりようがありません。
法は個人を規制し拘束します。8割ほどの人々は関心はあるのですが間接
政治ー議員への信頼を無くしてしまっているのです。これは総理府の統計
でさえそうなっています。またテーマAは与党を、テーマBは野党をと考える人々は投票できません。
> 第二段階というのは民間か
> らの“政策案の提示”が出来ると言うだけではなかったですか?
> そうであればいくら案を提出しても議会(直接参政者もいるのでしょうが)が認めな
> ければ効力はありません。
現実には、当分は参政議案は政府が出してくるでしょう。
NGO提出法案が「参政議案」に選出されるようになるにはかなり年数がかかるでしょう。それから2カ
月の「公論期間」であらゆるスペースで議論が交され「表決」になります。
NGO提出といえ ここで否決されることは有りえることです。しかし議員が信託されている票数
を行使する以上、完全なデモクラシーとして参政国民も非難の根拠を持ちません
しかし、「公論」期間にあらゆるスペースで議論されることが国民の政治意識
を刺激しますから、「教育論」よりもはるかに民度の向上に資する事でしょう
>>生徒個々人を評価することなく、全人格を肯定するところから出発する教育は、
>>先ず教師の人格の変容を必要とするでしょうミネ
> そんなことはないと思いますが。
> ごく普通の人間であれば可能なことだと思います。
>小学校の教育は既にこういう方向にありますから、それを徹底するだけで良
> いと言うことになりますので至極簡単な事です。
> 教師だって普通の人間なのですから可能でしょう。k
全勝街道を進んできた教師は学業によって人を評価する価値観をどう
することもできません。しかしこの議論は他のスペースでしたいと
思います