議論006

議論集006



続、議員秘書の嘆き
議員秘書氏が国会の慣例の不条理を嘆いています  ごく一部を紹介させて頂きます
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> 知ってました?委員会の傍聴って、誰でもできるもんじゃないって。「紹介議員」 > が必要なんです。まるでどこの馬の骨か分からないヒトは傍聴ができないって失 > 礼な仕組み。
> 委員会は、テレビに出てくるでかい本会議場とは別の「委員会室」で審議します。 > たしか本会議は紹介議員がなくても傍聴できるんですが(まだお世話をしたこと > がないので確信がありません。すべてを「初めて仕事する時(^。^)」か「失敗し > て(~_~メ)」覚えていく毎日です)、何故か委員会は議員の紹介がいるんです。 >
> 議員を個人的に知らなくても、例えば、自分の選挙区の議員の事務所に電話をし > て「傍聴したいから傍聴券の手配をお願いします」と言えばいいんですが・・・。 > 最近はインターネットやケーブルテレビで見ることができます。 > でも、全体の雰囲気を眺め渡すには、「傍聴」は一回はお勧めです。 >
> 問題は、国民が、いつどこで、何の委員会が行なわれいるか知るすべが限られ過 > ぎているといういこと。議員事務所に聞くくらいしか手段がない。マスコミです > ら、「○○の審議はいつですか?」と電話で聞いてくる。なんとかならんのか? > 新聞の政治面やニュース番組で、政党間のくだらない駆け引きを報道している暇 > があったら、何委員会で何が審議される、くらいの国民向け情報を流さんかいっ > と思う!
> 国会も国会だし、報道機関も報道機関だ。一時が万事。とにかく、50年前の慣 > 習がそのままぜ〜んぶ踏襲され続けている感じの世界で、書いていると、だんだ > ん腹が立ってきます。普段は忙しいので、「ハイハイハイハイ、言う通りにすれ > ばいいんでしょ」と目鯨を立てずにこなしていく。 >
> PRTR法案は傍聴人がとても多かった。毎回傍聴に来る方もいて嬉しかった。 > ただ、手続きがもの凄く不便。委員会が開かれる当日でなければ傍聴券を発行し > てくれない!朝開かれる委員会は、担当者すら全員来ていない朝の手続きとなる。 > 「当日までにちょっと手の開いている時に、傍聴券を取りに」なんて効率的な仕 > 事の仕方ができない。1分を惜しんで仕事をしている秘書としては痛い。苦しい。 > 拷問。
> 「委員長の許可がいる」という理由。 > ところが、ところが!やることと言えば、委員会が開かれるというタイミングで > 傍聴券を取りにいくと、委員長がいる、とおぼしき所へ券を発行する担当の方が > 電話をかけて「○○議員のご紹介で、○○さん・○○(職業)、傍聴希望です。 > はい」と言うだけ。ほとんど意味ない手続き!(ぶちっと切れそうになった)そ > のためにわざわざ窓口へ行き、傍聴する人の名前と職業を書き込むのだ。
> そんなこと電話とFAXですまさせてくれっ! > どう考えてもFAXのない時代からの慣習。 > どうやったら傍聴手続きがスムーズに行くかと考えられたことのない証拠。
> 案の定、議員は何か私に用事があったらしく「何をしていた > んだ!」と怒られてしまった。身体は一つ。怒られたって仕方のないことを怒ら > れても仕方がない。
> 委員長は、どの議員がどんな傍聴人を紹介したかをチェックできる。さりげなく > 色々な情報が入手されているのである。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー さて丁度一カ月前の東京新聞社説ではまさにインターネット政治フォーラムの綱領 に関するような主張がされていますのでご覧ください ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「主権者」の実感は?
 私たちは「主権者」を実感できているでしょうか。いらだちの解消とよ りよい政治のため、「直接民主制」の効用を考えてみます。五十三回目の 憲法記念日です。
 住民と政治の大きな落差――先の統一地方選のキーワードです。
 国民は主権者のはずなのに、その意思が十分に反映されないという選挙がかなりあ りました。無投票や相乗り候補などで、落差はそのままです。
 その一方で、この落差を何とか埋めようといううねりが、かなり力強く起きまし た。市町村長選では相乗り候補が敗れた例が八カ所、政党支援なしに当選した市長も 何人かいます。
 議会議員選でも、若い世代や女性の台頭、無所属の増加など、これまでのように利 益誘導や政党のしがらみのない人材がかなり登場しました。
 「国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し……」  憲法は、前文で国民主権と、代表民主制を規定しています。
 代表民主制へのいらだち
 しかし、多くの国民は今回の選挙にもかいま見られるように、政治家が国民の代表 者として機能していないと感じています。
 このいらだちは、二つの方向に動いています。一つは、政党不信、政治不信の結果 としての無党派層の増加と投票率の低下です。
 もう一つは、自分たちの意思を直接政治に反映させるための政治参加です。代表民 主制のゆがみに対する異議申し立てです。
 国民の意思と実際の政治との落差は代表民主制の宿命です。
 一九六〇年代の後半、高度成長経済のひずみである公害や乱開発が、住民の生活、 生命を脅かすようになりました。ところが、国会や地方議会は企業優先で、国民の姿 がかすんでいました。そこに起こったのが住民運動です。陳情や請願などの抗議行動 によって、自分たちの意思を議会に反映させるためです。
 七〇、八〇年代と、住民運動は環境、教育、福祉など、さらに多様化していきま す。  これが、九〇年代に入ると、住民運動は質を変えます。議会が、行政に対するチェ ック機能を果たさないとみて、オンブズパーソンが活躍します。
 日本では制度化されていませんが、住民に代わって、行政情報を公開させ、無駄遣 いや不正をえぐり出し、場合によっては訴訟を起こし、損害を補償させています。
 「自分たちのことは自分で」
 もう一つは、住民投票です。米軍基地や原子力発電所、産廃処理場、大プロジェク トなどをテーマに、ここ二、三年の間にいくつかの住民投票が行われました。
 公共事業関係の業界出身者が多い議会では、チェック機能は働かず、住民の要望は 無視されます。そこで住民が「自分たちのことは自分たちで決めよう」という意思表 示です。
 主権が侵害されているという怒りが、代表民主制への不信感を募らせ、直接民主制 を求めているのです。
 住民投票を実現するには、まず地方議会での条例が必要なので、簡単ではありませ んが、各地で条例制定の動きが出ています。地方自治体では情報公開が進んでいるこ ともあり、その動きに拍車をかけています。
 しかし、国民は自らの意思と国会との落差にもいらだっています。
 自民党の憲法調査会が九七年八月に発表した世論調査があります。憲法改正賛成が 七五・九%ですが、具体的課題として挙げたのは――
 (1)分かりやすい現代的文体にする(四八・四%)(2)重要な問題で国民投票 をする(四四・三%)(3)首相を国民が直接選挙する(四三・三%)。
 国民は、自分たちに理解しやすい憲法を求め、さらに国や国民の多くに影響を及ぼ すテーマについては直接判断を下す。また、この国の「顔」も直接選びたいというこ とです。  自民党が期待したであろう安全保障問題は、六位以下に出てくるだけです。国民の 政治不信の裏返しです。
 ここで、直接民主制を手放しで勧めようとは思いません。
 行き過ぎると危ないからです。第二次世界大戦前、日本やドイツでは「国民精神総 動員」や大衆動員などの名目で、国を誤らした例があります。
 最近は、住民投票に対して、「ポピュリズム(大衆迎合)」という批判もありま す。大衆の望むままに政治を動かせば、将来の国の針路を誤るというわけです。
 しかし、いまの政治は「利権迎合」「票迎合」で、議会と国民の間を遠くしている 大きな理由です。
 こうした政治をただす手段と限定したうえで、直接民主制を積極的に評価したいと 思います。
 徳島市の吉野川・可動堰(ぜき)建設問題が一つの手本です。
 市民の間では、生活や環境破壊を理由に建設中止を求める声が増えています。しか し、建設省や県、市は決定済みと受け付けません。
 そこでさる二月、住民団体は「自らの意思で決めたい」と、有権者の半分近い署名 を添えて、市議会に住民投票条例案の制定を求めましたが、建設賛成派が多く否決さ れました。
 このため、今回の市議選に何人かの候補者を立て、応援した結果、住民投票賛成派 が過半数を占めたのです。
 関谷勝嗣建設相は、「住民投票で建設反対が過半数を占めたら計画を直ちに中止す る」と言明しました。
 直接民主制で政治に緊張を
 住民の政治参加の動きが、国の施策を変えさせるのです。沖縄の米軍基地に関して の住民投票もありましたが、少なくとも政府にことの重大さを認識させる効果はあり ました。
 直接民主制は、代表民主制に刺激を与え、政治全体に緊張感をもたらします。ま た、住民自身にとっても民主主義の学校になります。
 「主権者」を取り戻すため、スパイスとしての直接民主制の勧めです。
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この社説の中に「大衆迎合」は国の将来を誤るとしています。しかし無駄な公共事業の山、愚策の定額給付金でも御判りのようにエリート 政治が既にどうしようもなく「誤ってしまった」ことも忘れてはなりま せん。1000兆に手が届く債務になるやも知れません、子孫からの無断 の借金で食い繋いでいるだけという真実を隠そうとしているような気がします


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