議員も官に優位に立つためには国民投票が必要という認識 ・
2009/ 3/28
>霞ヶ関・永田町VS小沢サイドのバトルを仲裁できるものは
そのような見方もあるでしょうが 与野党を掌の中でバランスをとって戦わせているのは霞ヶ関という見方もできます。麻生小沢両氏
とも首相としてダメとする人々が83%という驚くような数字が
あるようです。そして両党ともに確定したマニフェストがありません。例えば郵政をどうするのか・・・こうしたことで国民は投票で
きるものでしょうか・・・・。
与野党どちらにも圧倒的な支持率を持たせない、適当に懇親して恩も売る、役所をイビリはじめるとザル法を厳格に解釈して議員を震
え上がらせる・・・要するに官僚は「国の統治者は霞ヶ関であって、ピノキオに過ぎない議員諸侯には霞ヶ関の恩と恐怖を感じさせる
・・・議員全員に、どうあがいても霞ヶ関には敵わない・・という価値観を抱かせる」・・・これが霞ヶ関官僚の基本的なスタンスで
しょう。まるで戦前の軍部のようです。
例えば 分権で3万人が浮いてしまうのに与党は温存するとのこと・・民主党も公務員組織を抱きこんでいて「大幅な削減」公約が実現
できるものでしょうか。自然減程度が関の山かも知れません。
「議員は霞ヶ関には遠慮せざるを得ない」こうした制度的な欠陥には裁判員のような「国民の常識の参加」しかありません。
イタリア、スイス、フランスなどのように国民投票制度を持ち、重要政治テーマは国民投票もしくは併存政治制度で消化していかなく
てはなりません。役人に頭が上がらない議員へ自由委任という今の制度のもとでは役人擁護体質や金権政治体質は永久に解消できないでしょう、
枡添大臣のサイトですが・・
上の中で鈴木寛議員が国民投票に関して以下のようにご発言です
「戦後政治を総括したときに、官僚政治の弊害あるいは限界と、それに対する主権在民というものの強化ということをやはりこの憲法議
論の中で深めていくということ、それによる正に官に対する政治家の優位、政党政治の優位ということも確立をされると思います」
国民投票は国民の自己表現による幸福感どころか、立法府が行政府に対して優位に立てる可能性にまで言及されておられます。そうであ
れば政党を問わず国民投票や参政員制度を研究すべきです。