議論集002



「選挙とデモクラシー」富田信男、堀江堪共著 学陽書房


p23  1791年フランス憲法は「もろもろの県で選出された代議士は個々の県の代表者ではなく全国民の代表者である、彼等に対して委任を与える事は許されない」ものとし、又  西独基本法が「議員は全国民の代表者であって委任および指示に拘束されることなく の良心のみに従う。


日本国憲法では「全国民を代表する選挙された議員」と規定されている。つまり選ば れたものは全国民(つまりえらんたものだけではない)の為にあるいは、全人民に替わ って意思するものとされ、代表するものとされるものとの同一性の擬制がここには前提されている。


しかも代表されるものは、主権者としての一体的人民であるという事、  従って国民主権は個々の人民に分割されるものでなく人民ないし国民の全体に帰属する というもう一つの擬制がある。

p24 こうした説明にも多くのフィクションがある。全国民を代表するというが一体的な国民の意思はどうやって知ることができるのか。次の選挙で国民の審判に服するという が、国民ではなくて彼の選挙区の審判ではないのか。そうだとすれば選挙区の判断が  国民の判断に等しいというもう一つの擬制(フィクション)があると言わねばならない  こうみてくると「国民代表」という考え方がいかに神話化あるいは建て前化しているかが分かるであろう。


p63 比例代表制の長所と して、第一に、民意を数学的合理さをもって議会に反映せしめ、  一方に偏しない中正な政治を行うことができる、第二に政界を粛正することができる  即ち極端な選挙の腐敗を防止できる。短所の第一として、小党分立の気運を促進し、  堅固な政党内閣の樹立を困難ならしむる、第二としてもっぱら党派に重きを置き、人  物の選択を軽視する結果議員の人物を劣等化させるので少壮新進の政治家の進出を困難ならしめると非難される。


p104  選挙費用高騰の理由 ( い )選挙の定着(ろ) 有権者の増大(は)選挙公職の増加(に)複数候補者の競合( ほ)決定過程に置ける競合過程の当選第一主義 ( へ) 二世議員や官僚出身ぎいんの大 量発生(と)選挙区のサイズと法定運動日数のアンバランス  (ち )大衆のタカリ、  ネダリの構造 (り) 一般社会のインフレ、人件費 (ぬ) 党規律の欠如 (る) 財界の投 資指向    

 (詳細は省略 例えば最終の「財界の投資指向」について本文では以下のように) 政党、派閥幹部、政治家は政治資金提供源を熱心に探究する。その探究過程で、利益達成率の高い有益な投資先を求めている企業家を発見する。実際政党が政治 献金を受け取らなくなったら一番困るのは財界企業であろう。献金抑制論は恩を 売りながら投資効率を高める手段にすぎない。


p144  R・イングルハートは「欧米国民は政治参加への可能性をますます発展させている。  この変化は投票という伝統的な活動に参加する率の増大を物語るだけでなく質的に異なったレベルで政治過程に参与するだろうことを意味している。  彼等は政策決定者の選択に自分たちの声を反映させるだけでなく、次第に主要な政策 の決定への参加を要求するようになる。


p121  選挙区という限定的地域のみで支持を得て議員となり、他の理由で党内に絶大な影響力を有しているとするならば、もし圧倒的多数の国民が不支持であってもその議員が  国家リーダーとなる可能性は極めて高い、党内の勢力競争に従事する場合選挙民の意 向を考慮にいれる政治家などはいないのである。いかなる制度をもってしても選挙機 能には代議制という間接性から生ずる限界がある。しかし選挙にかわる方法も見当た らないとするなら選挙活動の在り方を見直し直接民主制的要素を実質的に盛り込んで 選挙の活生化を計らねばならない。


p122  今日、政治課題が増加している為に問題ごとに支持政党が異なり、特定の政党に包括  的支持を与えることは困難になっている。外交政策ではA党を支持し、福祉政策では  B党、教育政策ではC党という事もありうるのである。


p145 政治参加は、選挙参加という古典的な形態から新たな発展を示しているが、同時に研 究対象領域が拡大し複雑化することによって足踏み状態となつている。  しかし、今日、「議会政治の危機」が叫ばれている時、参加民主主義が提唱され、政 党や圧力団体を介在させることなく市民が直接、政策決定の場に関わることが強く望  まれていることは否定できない。
つまり大量の政治的無関心が発生し、さらに脱政党化が指摘され、政治不信が拡大するなかで、市民の参加と民意フィードバックが重 要視されているのである。その意味で政治参加を再点検し、選挙とデモクラシーの関  係を「参加」という原点に立って分析することが必要と考えられる。
なぜなら「市民  にとって投票する権利よりも重要なものはない」からである。


p154  今日、市民としての我々に求められているのは政治への極的参加であり、政党や圧  力団体に政治を「委任」するのではなく、直接的に政策形成過程へと働きかけることであ り、政治過程を民主的にコントロールすることである。


p264  なぜ政治不信がびまんしているのか、ここでは選挙との関連において、第一に国民の  意見の多様化、利害の多元化、第二に代表観念の混迷、第三に政治エリートの出身母 体などの偏り、第四に情報格差、第五に政治的有効性感覚の低下を論じ、最後に価値  として見たデモクラシーに言及したいと思う。


「現代政治」その動態と理論 五十嵐仁   法律文化社

p359(最終項)  なにより重要なことは、それが直接にであれ、間接にであれ国民の意思が政治的決定  に正確に反映されているかどうかということである。例え直接的な参加であっても、  正常な状態で冷静な判断が下せない状況のもとでの決定を強いられるのであればそれは民主主義ではない。たとえ間接的な参加であっても、絶えず選出母体の意思が確かめられ正確に反映されていればそれは民主主義である。

 ただし今日の大規模社会においては直接民主制が適用できる範囲は限られており間接 民主制が主流によらざるを得ない。しかしそれは空洞化、形骸化されやすいという  弱点をもっている。間接民主制のもとで民主主義の実質を確保する為には可能な限り  国民の意思わ直接問い、その意思が表明される機会を多くする必要があろう。  このような間接民主制と直接民主制が結合されて、はじめて民主主義は実現されるの  であり、その基礎をなすのは一人一人の政治参加への主体的な取り組みである。  

 

「政治体制」  山口定   東京大学出版会

p78  代表的な「参加民主主義」論者とみなされているのはペイトマン、マファーソン、  プーランツァスらの政治学者であり、企業レベルでの「参加民主主義」を強調するダ  ールがいる。また日本の場合には松下圭一、篠原一、石田雄、内山英男らがいる。  此の理論には次の4つの基本的な主張がある  イ、参加に関する道具理論   市民にとってその利害を守るための最善の方法は決定の形成に参加すことであるという考え方、つまり功利主義的な参加論といえる  ロ、参加に関する発展理論    参加は参加する人の能力、人格を成長させるという主張である  ハ、参加に関する共同体理論  


 

p291  欧米の先進諸国において新しい政治と呼ばれている動向がある。それを支える価値観  の核心はかってR・イングルハートによって「脱物質主義的」と規定されたものである  が、この新しい政治による政党制の再編成が西ドイツを突破口として進行しはじめてい る。
87年選挙では8.3% 44議席  古い政治とは工業化を中軸として変容する産業構造とそれを推進しようとする生産力  主義のエトス、それに見合う労働中心主義の社会観を根底におき、そうした社会状況  を国家中心主義的に統合することを政治の中心課題として設定し、問題解決のための対  抗軸を究極のところでは「資本主義」対「社会主義」に求めたイデオロギー政治からな る政治の事であり、  新しい政治は結局のところ「古い政治」に対する包括的な対抗概念として設定するよりないと考えられるが、その現実的な担い手と見られるのは、エコロジー運動、フェミニ ズム運動、平和運動、反原発運動など多種多様な新しい社会運動である。

 西ドイツの緑の党は単なるエコロジー運動にとどまらず環境保護、社会的公正、底辺民 主主義という基本原則を掲げ、従来の国家主義的、中央集権主義的、社会民主主義的な  福祉国家には反対するものの、社会的自助を基礎にした福祉国家の再構築を主張してい る。

要するにエコロジーと参加民主主義と社会的自助を主張する新しい政治運動である


「インターネット革命」 大前研一 

 インターネツトにより直接政治が可能になる、国会も議会も不要になる可能性がある重要案件をまとめて「国民の選択肢はこれです」と言える代議員たちがインターネッ ト内のフォーラムで論争する、誰もがそこえ参加出来るから選択肢をフォーラムで決め、あとは冷静に判断して電話で直接投票する。

「A案の賛成は70%。可決」という仕 組を作る事ができる


「現代政治学」 堀江 ふかし、岡沢のりお編 法学書院

p99  行政国家の出現  20世紀に於ける福祉国家の出現により、国家は経済政策や社会政策をはじめ広範な領  域に対し積極的に施策を講じなければならなくなった。これがいわゆる行政国家化現 象と言われるものである。
国民の様々な要求に応えるために内閣を中心とする行政部 門に広範囲な行政裁量権を認め、議会のもつ立法権をある程度行政部門に委任する事 が不可避になっている。つまり議会は高度な専門性と技術性が要求されしかも著しく量的にも拡大した諸問題に対して迅速な対応が困難になつた為、政府立法、委任立法  行政裁量権等を通して大幅な行政権の拡大を認めざるを得なくなった。

 
「現代国家の核心は行政裁量にある」と言われるのはこの為である  ここに立法権の行政権に対する優位は崩れ行政権の立法権に対する優位が生まれた。  行政部は建て前としての権力分立制にも関わらず実際には立法、予算編成からその執行に至るまで中心的な役割りを果たし、政治権力の実権を掌握しているのである。  
今日行政部は経済計画、社会保障、生活環境、資源エネルギーといった多くの複雑な 問題に対し、立案し、調整し、統合していかなくてはならない。議会は法律案を形式的に承認していく機関に変質していく恐れすら生ずるようになった。
 多くの場合官僚によって立案され、政府提出案の形で議会の審議にかけられる。  審議の過程に於いても資料の提出ヒヤリング等を通して重要な役割りを果たす。この ようにしてセクショナリズムや繁文辱礼いった官僚制の逆機能現象も目立つように  なってきた。立法部が行政部に対する統制をいかにして回復するかということが議会政治の根本問題として登場するのである。


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