テレビドキュメント番組づくりの面白さ(4)
日中国交回復記念スペシャル ドキュメント フジテレビ「中国大秘境」後編

株式会社マークワン
プロデューサー
永堀 徹

我々テレビ取材チームは、西田敏行さんと中国に飛び立った。
表向きの仕事はテレビ番組の取材ではなく、日中合同登山隊の偵察隊なのである。中国体育省管轄の下部組織「中国登山協会」の許可で、そのまた下部組織に当たる四川省登山協会と、雲南省体育運動委員会が、我々を「海子山」、「玉竜雪山」、「梅里雪山」等に責任を持って伴走する、ということになっている。


過酷を極める秘境探訪

(1)雨のスタート
北京経由で、雲南省昆明飛行場に着いた時は生憎の土砂降りであった。数十年来の大雨で、「異常気象だ」と騒いでいて、何となくいやな予感がしたが、殺風景な空港の軒下に立ち、雨だれをぼんやり眺めながら迎えの車を待った。一時間以上待っても迎えの車が来ない。ロケ隊も、一体どうなっているんだ、という不安の色を隠せない。隊長の日本ヒマラヤ協会の事務局長、山森欽一氏も「連絡がついている筈なのに、おかしい」と言う。更に待つこと一時間で、やっと迎えがきた。「中央からの連絡がなかったので、いつも通り仕事をしていた」とニコニコ笑って握手を求めてきた。こちらは、ふてくされた態度で「ニイハオ」と握手を返すのが精一杯であった。
(2)不安的中、あわや大惨事!!
とに角、遅れを取り戻さなければならず、4台の四輪駆動車に分乗して、雲南省の中緬公路(中国〜ミャンマー)を真西に向かった。私と山森隊長と雲南省体育協会の責任コーディネイター、張さんがロケ隊全員の私物や取材テープなどを満載した最後尾の荷物運搬車。ところが、この車の運転手はポアンとした人で、私は山森氏に「大丈夫なの?」と聞くと、「郷に入れば郷に従え、さ」と鷹揚に構え笑っていたが、その後十分もたたずに大事件に見舞われてしまった。
昆明を出発して、礎雄に向かって60km走った「土官」という村に差し掛かった時、なだらかな左にカーブする道を、真っすぐ街路樹に向かっている。車窓からぼんやり稲刈り風景を見ていた我々は慌てて、「おい、おい、おい駄目じゃないか!ぶつかるよ!ぶつかるよ!」と叫んだが、車は街路樹にぶつかり一回転して逆方向を向いて止まった。居眠り運転だった。フロントガラスは割れ、私も山森さんも張さんも、瞼や足や手に傷を負った。しかし、その直後のコーディネイターの動きが機敏であった。血だらけの足を引き摺って道の真ん中で両手を挙げ、走っている車を止めたかと思うとすばやくその車に乗り、西田さんたちに知らせに行ったのである。取材スタッフは、お腹はすくし、胴元は居ないし、ずいぶん遅いなあ、と我々の車を苛々して待っていたらしく、両手を罰点印にして血だらけになって走ってきた張さんを見て、てっきり私が死んだと思ったらしい。
ロケ隊全員が我々の事故車まで戻ってきてくれて、再出発となった。もちろん、運転手はクビ、代替の車も昆明から呼び寄せ、中国体育省には、ヒマラヤ協会から厳重な申し入れをしてもらった。この事件以来、不思議なほどあらゆる取材がすこぶる順調に進んだ。
(3)過酷な取材環境
能海寛がチベット入りを目の前にして果たせなかった川蔵公路は、言語を絶する艱難辛苦の道のりであった。標高3000m〜5000mの延々と続く険しい道で、いくつもの村を通過した。「当時、空気の薄いヤクしか交通手段がない寒いところを、どうやってチベットに向かったのだろう」と今でも不思議に思う。
我々は田舎の木賃宿以下の、窓ガラスが割れた招待所に泊まり取材した。夜は真っ暗だった。共同便所から野犬に追われて逃げ帰ったり、理塘という標高4100mの村の招待所では便所に差し込む月明かりを頼りにそーっとしゃがんだら、隣に用を足している人が居て、「明日も晴れるね」と、突然声を掛けられ、飛び上がるほど驚いた。まさしくその声は西田さんであった。
西田さんには、取材クルーがどれほど助けられたか知れない。標高4500mでの取材はかなり危険で、ディレクターは酸素ボンベを吸っても起き上がれないほど苦しんでいた。坂道を二、三歩歩いただけで、肩で呼吸をするほどの呼吸困難に陥るという過酷な条件での撮影が続いた日には、言葉を交わすことさえ億劫になる。そんな中で西田さんは、カメラの三脚を担いでくれたり、弱ったスタッフを助けてくれたり、人を笑わせてくれたり、気遣いが大変行き届いた人だと感心した。
(4)西田さんのクライマックスシーン
チベットを目前にした金砂江に掛かる国境の橋で、ドキュメントのエンディングに近いクライマックスシーンが出来上がった。 西田さんは、「私が、能海寛になったつもりで、彼が渡りたかった、そして渡れなかったこの橋を、今から渡ります」と言って、渡りきったチベット側の河原に降り立ち、能海寛がここで断腸の思いで詠んだ歌を、朗々と読み上げた。
のぞめども深山の奥の金砂江つばさなければ渡りえもせず
我々も、この取材では言葉に言い尽くせない艱難辛苦を体験しただけに、西田さんの、このラストコメントに皆、涙した。


●チャン族の女性と


●チベット族の子供たちと

PROFILE
永堀 徹(ながほり とおる)

昭和36年4月
日活株式会社入社
映画興行部、
関東支社配給係長、
テレビ本部企画営業プロデューサー、
企画営業課長

昭和58年9月
アオイスタジオ株式会社入社
映像事業部プロデューサー、
映像事業本部長

平成10年9月
株式会社プロモーション入社
プロデューサー本部長、
執行役員

平成15年9月
株式会社マークワン入社

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